おとなしくしていると言った覚えはない
真紀と千春は部屋に戻ると、扉越しに外のようすをうかがったあとお互いのベッドに腰かけ、向かい合った。
「聖女だとばれないほうが後々いいみたいなこと言ってたけどねえ」
千春がのんびりと話し始めた。
「あれは面倒くさいから私たちを蚊帳の外に置こうという魂胆だと思う」
「その通りだと思うな」
真紀も腕組みをしながら言った。
「何とかして一枚噛むか、それともおとなしくしているか」
「真紀ちゃん、もう一つあるよ」
「もう一つ?」
真紀は腕組みをとくと、体の横に手をついて前に乗り出した。千春は口に一本指をあてていたずらな顔をした。
「二人だけで人魚を探すのも駄目。アーロンやエドウィと、それからザイナスの息子と行動するのも駄目。だけどね、私たちだけにできることがあるでしょ」
「私たちだけ? 聖女……ゲイザーか!」
「正解!」
千春は小さくパチパチと拍手した。
「ミッドランドとローランドの国境の町が最後だったでしょ。ハイランドのこの瘴気の濃さ。絶対野良ゲイザーがいると思うんだよねえ」
「今まで私たちがいなくても何とかなっていたんだから、大丈夫だとは思うんだよ。でも」
真紀はちょっと窓の外を眺めた。
「もう疲れたんだ、って言ってふらふらしているゲイザーはかわいそうなんだよね」
「うん。ふらふらと山越えまでしちゃうんだもんねえ」
二人は国境の町で出会ったゲイザーを思い出した。もう一日さまよっていたら、きっと人にまとわりついて大騒ぎになっていたことだろう。
「この部屋の窓からゲイザーを呼んだら大騒ぎだし、どうしようか」
千春がんーと首をかしげる。その時、階段を上がってくる足音があった。その足音はそのまま二人の部屋の前で止まり、とんとんとドアを叩く音がした。
「アーロンだ」
「王子様がちょっと賢くなったよ」
「聞こえてるぞ」
真紀はぷぷっと笑いながらドアを開けた。
「アーロン」
アーロンはじろりと真紀をにらんだが、真紀はどこ吹く風だ。
「すまないが、これから少し宿を出てくる。ちょっと不安かもしれないが、おとなしくしててくれ」
「もう25歳だよ。心配しないで」
「どの口が言う」
憎まれ口をたたくと、アーロンはいったん部屋に戻り、また階段を下りて行った。
「行った?」
「行ったね」
真紀は立ち上がると、千春のほうを眺めた。窓が駄目なら出かけるしかないのだが、千春は少女の格好だ。着替えさせるべきかどうかと悩む。
「動きにくいって思ってる? 大人用よりスカートが短いから案外動きやすいよ。それにもし外で誰かに見つかったら、今のままのシュゼのほうがいいもの」
「確かにね。この格好で馬車に乗ってきたんだし、みかんも売ったし、大丈夫か」
真紀は頷いた。千春も立ち上がると、
「さて、どうする?」
と聞いた。真紀はニヤリとして髪をかき上げると、
「さっきさ、宿の人と話したんだけど。昼に知り合った子と、兄さんに内緒で会いたいから、こっそり抜けられないかって」
と答えた。
「真紀ちゃん、さすがにそれは……」
千春はあきれた。
「宿の人はわかってくれたよ。イケメンの兄貴の陰で弟は大変だなってさ」
「やめて、おかしすぎる」
おかしすぎておなかが痛くなりそうだった。千春の笑いが収まると、
「階段と反対側の奥のドアをあけると、従業員用の階段があって、下りるとすぐ宿の裏手に出られるんだってさ。あんまり遅いと鍵をかけちまうぜって言われたんだけど、まだ大丈夫でしょ。そこから裏山のほうに行ってみよう」
と真紀が言った。二人はそうしてこっそり宿の裏口から抜け出したのだった。人目を避けて、昼間目をつけておいた道から裏山に登る。明かりでばれるといけないので月明かりだけだ。
「はあ、はあ、結構来たね」
「うん、おお、離宮と湖が見えるよ」
少し息を切らす千春と対照的に真紀は元気だ。それでもだいぶ体力がついたと千春は思う。落ち着いたところで少し木の陰に隠れるように移動し、真紀と千春は空に手を伸ばしてゲイザーの気配を探ろうとした。
「なあ」
「ひいっ!」
突然後ろから声をかけられ、真紀は飛び上がるほどびっくりした。千春に至っては固まって動けないでいる。
恐る恐る後ろを振り向くと、短い茶色の髪の人がいた。その人の後ろを見ると、闇ににじむように茶色の大きな羽根がある。
「白くない……サウロ」
「あいつと一緒にするな。お前」
その鳥人は思わずサウロの名前をつぶやいた真紀をじろじろと眺めた。この記憶を刺激する遠慮のなさ。確かに鳥人だ。そう思ったら千春の緊張も解けた。
「髪が不自然だ。かつらだな。それに目が黒い。つまり」
「こんなところに聖女はっけーん」
「カエラ……」
鳥人がもう一人登場した。最初の鳥人は眉間に手を当てている。そうだ、鳥人はたいてい二人一組なんだったと真紀は思い出した。
「うっわー、小さーい、かわいーい。サイカニアの言っていた通りねえ!」
小さいほうの鳥人は千春の周りをぐるぐる回っている。
「あの」
「ん? 何?」
「お忍びで来ているので、少し静かに」
「あらそうだったわ。私も任務の途中だった」
千春も真紀もがっくりした。しかし、そんな場合ではない。とりあえず状況を把握しなくちゃならない。真紀は会話を試みた。
「あの、ひゃあっ」
真紀の足もとを何かがするりと撫でて行った。
「何? 何? ひゃあっ」
今度はあわあわしているわきの下に何かが潜り込んだ。モフっと。
「ええ、何、うわっ、ああ」
「そんなに驚かなくても」
わきの下で何かが喋った。
「驚くわ! 急に二メートル級のわんこが来たら!」
真紀は盛大に突っ込んだ。
「わんこ? おお、犬のことか。かの国の犬は小さいのだったか」
「ザイナスだ……」
いつの間にか大きな灰色の犬の首を抱えることになっていた真紀だったが、この優しい声は確かにザイナスだった。しかし、犬と言っても……。真紀は恐る恐るザイナスの首から後ろを眺めた。二メートルの犬とは、つまり三人掛けのソファくらいの大きさであった。当然立っている真紀の胸のところあたりに顔がある。
その灰色の顔のとがった鼻ががふんふんと真紀のにおいをかいだ。うおっ。大きいとしか言いようがない。真紀はかなりビビっていた。
「元気そうだな」
ザイナスは満足そうに言った。そこにふらふらと千春が近づいてきた。
「ザイナス」
「おお、チハール、チハールも元気そうだな」
千春は何も言わずザイナスの首に手をまわし、その毛皮に顔を埋めた。真紀も負けずに抱き着いた。
「ん、なんだ、国が恋しくなったか」
ザイナスは優しくしっぽを揺らす。しかし二人はそんな殊勝な気持ちではなく、ただただ陶然として毛皮に顔を埋めていた。モフモフ。天国。
「ザイナス、せっかく聖女とお話してたのに」
カエラが口を尖らした。千春はハッとして毛皮から顔を上げた。ちっとも話なんかしていなかったくせに。思わず鳥人に突っ込む癖が出て、正気に返ってしまったのだ。
「そうだぞ。なんでこんなところにいるのか聞こうとしていたのに」
もう一人の鳥人の言葉に、真紀もハッと毛皮から顔を上げた。それどころではなかった。
「ザイナス、そして鳥人の二人! 少し下がってもらえますか」
「そしてお願い。何も手出しをしないで」
急に雰囲気が変わり、凛と立つ二人に、いぶかしげに思いながらも三人は後ろに下がった。真紀と千春は空を見上げた。
「来た」
ゲイザーだ。
『聖女二人の異世界ぶらり旅』本屋さんに並んでいました。よかった。
異世界に来たての初々しい真紀と千春を本でぜひ!
そして明日は更新お休みです。




