案外手強い
客足もひと段落したころ、真紀と千春は小さな反省会をしていた。
「まずさ、日本式におつりを渡してたのがいけなかったんじゃない?」
千春がそう指摘した。
「でもさ、お金を放り投げるってできないじゃない」
「確かにね。でも相手の手をこう、受ける形がさ」
千春は真紀の手を受けて見せた。そしておつりを渡すふりをする。
「コンビニじゃあないんだからさ。女の子は喜んでたよ? おばさんもね? ついでに言うとおじさんも喜んでたけど」
「ああー、つい漏れ出るおもてなしの心が」
「それはしまっておこう。目立たないことが大切だからね」
千春は今回は全く目立っていない。まだ恋愛範囲外の子どもだと思われているからだ。それはとても居心地が良いものだった。
「それにさ、犬っぽい人を見たらラッシュと言ってしまう癖はやめよう。そもそも色も違うしね」
「うう。でもあの人、ザイナスを若くして人族にしたらっていう顔立ちしてなかった?」
「してたしてた! 真紀ちゃんが巻き込まれてる隙にいっぱい堪能したよ!」
千春はうっとりとそう言った。
「ザイナスの優しい目がキリッとなって、顔のラインが鋭角で、ちょっと世の中を斜に見てる若さがあって、あれで耳さえあればなあ」
「千春、よく見てたな」
いっそ感心するほどだ。
「物語は主人公でいるより傍観者でいるほうが楽しいものなのです」
「確かに」
あれだけさらわれかけた千春の言うことには実感がこもっていた。
「何がですか」
「エド! アーロンも」
みかんを売りに出た二人が戻ってきていた。
「トラブルは当事者は大変だけど周りは結構楽しいって話」
「ひどいっ」
千春と真紀はそう言って笑いあった。しかしエドウィは真剣な顔をして言った。
「さっきの灰色の若者ですよね。何がありました!」
「エド。言葉遣い。そしてこんなところでする話じゃない。いったん宿に戻ろう」
アーロンも真剣な顔をしていた。真紀と千春は笑顔を引っ込めると頷き、皆で少し早めに市場を撤収した。
夕ご飯にはまだ早かったし、四人は宿の一部屋に集まった。それまで静かに行動していた真紀は、部屋のベッドにちょこんと座るとこう尋ねた。千春もその隣に座り、エドウィをじっと見た。
「それで、灰色の人がどうしたの」
「はい。知り合いでした」
「アーロンは?」
「俺は直接に知り合いではない。俺はな」
アーロンは少し意味深なことを言った。アーロンでなければ、誰が知り合いなのか。
「悪いことではないと思います。ただ思いもかけない人だったから、少し立ち直る時間が欲しかったのです」
エドウィは深く息を吐きだすと、椅子にどさっと座り込んだ。そんな無作法なエドウィは珍しい。
「マキ、灰色の人は誰かに似ていませんでしたか?」
「え? ザイナスを若くしたみたいって千春と話してたとこだったの。まさか」
「ええ、ザイナスの息子、ディロンです」
それを聞いて真紀は千春と目を合わせた。
「あー似ているわけだ」
「どおりでかっこいいわけだよね」
「かっこいい?」
エドウィが聞きとがめたが二人は聞いていなかった。
「あれ、でも耳がなかったよ?」
千春が思い出してそういうと、エドウィはこともなげにこう言った。
「ああ、おそらく特殊形態でしょう。完全な人化です。難しいらしくて私も見たのは初めてですが」
「特殊形態!」
なんて夢のある話だろうか。千春は目をきらめかせた。いやいや、そんな場合ではない。
「でも獣人が内陸まで来てしかも変装してるっておかしくない?」
「だから戸惑ったのです。しかし、こちらから姿を隠そうとはしなかった。堂々とその身をさらしていました。ということはミッドランドにとってやましいことで来たのではないということです」
なるほど。
「むしろ私たちのほうがやましいか」
「やましくはないですが、事情は知りたがるでしょうね。おそらく何らかの連絡があるでしょう」
エドウィはそういうと、椅子にさらに沈み込んだ。
「問題はこちらの事情をどこまで話すべきかだな」
「ですね」
アーロンとそう会話をするエドウィに、真紀はいぶかしげに尋ねた。
「全部言えばいいんじゃないの? 味方なんでしょ?」
「こんな危険なことに聖女を連れて来たと言ったら、ここから先に自由に動けると思いますか」
「う、確かに」
「ディロンは案外頭が固いんですよ。オーサがいれば何とかごまかせるんですが」
オーサとは誰だといぶかる真紀と千春の顔を見て、エドウィは説明を足した。
「オーサはザイナスの娘、ディロンの姉です。融通が利くんですよ」
「そうなんだ」
ふむふむと頷く真紀と千春を見て、アーロンが言った。
「手の内をすべてさらす必要はないな。こいつらが聖女だということはまだ言わないでおこう」
「そうですね。あとは流れで」
四人で頷くと、軽く身支度を整えた後食堂で集合ということになった。
真紀は一人で先に食堂に来て、カウンターに座ると宿の雑用の人と話していた。宿屋はどこも食堂と酒場を兼ねているので、町の人も結構来ている。そこに扉が開いて昼間の灰色の若者ともう一人の若者がやってきた。
客の視線が一瞬集まるが、人を探すようなそのようすにすぐに興味を失う。灰色の視線が真紀に止まった。
「あれ、あんた」
「ああ、昼間の。何か用かい?」
真紀は軽やかにそう声を返す。その男は頭に手をやるとちょっと考え、
「あんたの、その、兄さん? にな」
「へえ? わかった。呼んでくるよ」
「すまない」
真紀はカウンターの椅子からさっと降りると二階へ駆けあがった。
「なんだよ、よそ者どうし、気が合うのか?」
灰色の若者は四人掛けのテーブルに座ったとたん給仕に声をかけられるが、よそ者というその響きはからかいを含むだけで嫌なものではなかった。
「ハイランドで出会ったのも何かの縁だしな、商売の情報交換でもしようかと思ってさ」
「なるほどなあ。あんたらがここに来るって知ってたんなら、町の女衆に声をかけたのにさ」
「やめてくれよ。女の子は好きだけど、多すぎるのはなあ」
「贅沢なこった」
聞くともなしに聞いていた他の客もその情けなさそうな声に笑い声を上げた。すぐに二階から四人が下りてきた。
「六人座れるところに移るか」
うろこ売りが席を立とうとすると、真紀が止めた。
「いいって。俺とシュゼはカウンターで食べるから」
「そうしてくれるか」
アーロンがそう確認すると、真紀と千春は頷いてさっき座っていたカウンター席について足をぶらぶらさせた。
聞き分けのいい子どもたちだなと思いながらも、ディロンとコリートはエドウィとアーロンに向き合った。
「ええと、エドウィか」
「やっぱり。ディロンですね」
改めて確認するとほっとした空気が流れた。夕食を注文し、エールが来る頃にはそれぞれ自己紹介も終わり、和やかな空気が流れていた。
「イケメンだねえ」
「眼福眼福」
「ディロンじゃなくって、もう一人のほうが色的にはラッシュっぽいよねえ」
「千春、なんでもラッシュに例えるのはやめようって決めたばかりだよ」
「そうだった」
くすくす笑う二人に、カウンターの向こう側から声がかかる。
「なんだよ、楽しそうだな」
「だってさ、兄さんだけじゃなくってさ、あのテーブル、すっげーハンサムじゃねえ?」
「確かになあ。だがしょせん男だしな。美人ならともかく」
エールを樽から注ぎながら男は興味なさそうに肩をすくめた。
「それよりそろそろ酔っ払いが増える時間だぞ」
「わかった。シュゼ、部屋に戻るぞ」
「うん」
二人は素直に椅子を降りると、テーブル席に声をかけた。
「ああ、ノーフェ、シュゼ、今日は先に寝ててくれ。俺たちこの後出かけるかもしれねえ」
「わかったよ」
アーロンの言葉に頷くと、真紀と千春は二階に上がっていった。
「いい子たちだな」
「あ、ああ、あれで案外手ごわいんだがな」
「そうか」
なぜか微妙な顔のアーロンとエドウィを見てディロンとコリートは首を傾げた。案外手ごわいの意味を知るのはこのすぐ後になる。
いよいよ今日発売!『聖女二人の異世界ぶらり旅』
仕事が終わったら見に行こうっと。




