囚われの人
ボスン、ボスン、という音がドアの外まで聞こえてくる。
「またご機嫌ななめのようだが。いつまでその、こうしているつもりだろう、シュゼ様は」
「もうすぐノーフェ様がやってくるはずだ。ノーフェ様なら何とかしてくれる」
ドアの前の護衛が二人、こそこそと言い交わしている。と、そこへワゴンを押している侍女と大きな木箱を持ってまじめな顔をした男を連れたシュゼが、にこにこしながら歩いて来た。
護衛の二人には目もくれず、侍女にドアをノックさせている。
ボスン、という音はとだえ、何も聞こえなくなった。
「では入りましょう」
「入れと返事をいただいておりませんが」
「いいのよ。きっと待っていてくださったと思うわ。今日は新鮮な魚が手に入ったのよ」
控えめに止める侍女を気にも留めず、シュゼはドアを開けさせた。
ドアを開けるとそこは日の入る明るい居間で、湖に面したバルコニーには両開きのガラスの扉があり、自由に湖に行けるようになっている。湖は夏の風にほんの少し水面を波立たせているが、海のように波はおしよせず岸辺も穏やかだ。入って左側には寝室があるようだが、今は閉まっている。
その居間の、窓に向かってくつろげる大きなソファには、こちらからは見えないがシュゼの愛しい人がねそべっているはずだ。
ボスン、とソファを叩く音がした。
「アミア様、シュゼにございます。ご機嫌はいかが」
「よいと思うか」
ボスン、と音が強くなった。
「今日は湖から海の魚が上がりましたの。料理人もつれてきましたので、きっと気に入るはずですわ」
ボスン、と音だけがした。
シュゼはアミアの向かい側に回り込むと、ほう、とため息をついた。
アミアは薄い布一枚を体に巻き付けてソファに横たわっているが、片ひじをついて湖を見ていた。乳白色の美しい髪は、水になびく海藻のように静かにゆらゆら揺れ、肌は日の光をはじききらめいている。筋肉質の均整の取れた体は腰まで続き、腰から下は見事な魚体だ。その二つに割れた尾びれを、時折不機嫌にソファに打ち付けている。それがさっきからのボスンという音だ。
一見無表情の顔は少し眉根がしかめられ、薄青い瞳はけだるく不機嫌を物語っている。
そんな姿でさえ美しい。
普段ならもう少したくさんの王族が鏡の湖のこの離宮に避暑に来るのだが、今年は西北部の高原に行くものが多く、残りは王都に残っているためこの避暑地にはシュゼしかいない。
退屈して帰ろうかと思っていたところに、漁師から人魚が網にかかったと連絡が来て、行ってみたらこの美しい人魚がいたというわけなのだった。
内陸では見たことがない、美しい人魚。ドワーフ領に列車で行けば、人魚島で見られるというが、シュゼはまだドワーフ領に行ったことがない。行かせてもらえる予定もない。この間ようやっと久しぶりにミッドランドに行けたのだが、本当は三領にも行ってみたいと幼いころから思っていた。
だからミッドランドでザイナス様やエアリス様を見た時は興奮したものだ。グルド様ももちろん小さくてかわいらしかったが、ドワーフは最近内陸でも見かけるようになったので、それほど珍しくもない。
でも、みんな忙しそうで交流する機会もなく、少しでも時間があればいつも聖女と共に時間を過ごしていた。お兄様をはじめ、一緒に行った内陸の皆はそもそも三領の者を嫌っているから、会いたいと、お話してみたいのだと口に出す機会もなかったのだ。エドウィ様だって、前のようにはお相手をしてくださらなかった。
そのうえトラムの町を楽しむ間もなく帰ることになった。
そんなうつうつとした気持ちでいたところに、人魚の知らせだ。
もともと鏡の湖では、人魚の目撃情報はたまにある。ちょっとでも見られたらいいな、という気持ちでここに避暑に来ているのだ。シュゼはうっとりと横たわるアミアを眺めた。うろこがきらめいて何と美しいのでしょう。
「魚などいらぬ。湖に戻せ」
網に絡まる人魚は、招くシュゼに答え、おとなしく離宮に来てくれた。しかし最初に名前を教え、少し話した後はこうしてずっと不機嫌なのだ。
調理した魚は嫌い。布団が固すぎる、もっと話のできるやつを呼べ。
「まあ、まだいらしたばかりではありませんか。人魚の国のお話をまだ聞いておりませんよ」
「人魚島に来い。たくさん人魚がいるぞ」
「お父様の許可が出ませんもの。ねえ、アミア様、人魚の国は誰も知らないと言われていますが、本当はどこにあるんですの?」
「秘されているから誰も知らぬのだ。そんなこともわからないのか」
「だからこそ知りたいと思うのですわ」
シュゼはアミアの不機嫌を気にする風もなく話を続けた。アミアはそれを遮り、
「あの、向かいのサンゴのような形の岩が見えるか」
と聞いた。
「サンゴ? わかりませんが、エルフの手と言われている岩のことでしょうか」
「エルフの手だと? 気持ちの悪い」
その岩は、手を開いて少しすぼめ上に突き上げたような奇妙な形をしていた。
「あそこの周りが黒い。何かが群れている。あれはなんだ」
「さあ、シュゼにはわかりかねますが、確か」
「確か?」
「危ないから対岸には近づくなと言われていますもの。あそこには坑道があるのですが、最近危ないものが出てきているので兵をやっているとか。アミア様は知っておりますか? 獣人領には吸血コウモリという生き物がいて、洞窟に住んでいるのですって」
きっとそんな生き物が出たに違いない。ほんのちょっとでいいから見てみたいと思うシュゼだった。
「坑道。採掘はドワーフの仕事だと思っていたが」
「あら、アミア様は案外物を知らないのですね。採掘する場所は内陸にもありますのよ。ここはドワーフも何人かいてお仕事をしているのです」
「昔からか?」
「いえ、シュゼが生まれてからと記憶しておりますが……」
シュゼは首を傾げた。あまり興味はなかったので、詳しくは覚えていない。
「何か所かあって、そこに行けばドワーフに会えるのですよ」
シュゼにとってはそれが大事だったのだ。それがたとえ、罪人をドワーフ領から家族ごと連れてきている結果だったとしても。
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