空がいいものとは限らない日
次の日、真紀と千春は執務室にいた。
「もう次の話を聞く準備はできたか」
「はい、お願いします」
「うむ。といっても」
王はそこで区切った。
「大事な話は昨日終えた。マキとチハールは、もう一生好きなように過ごせばよいのだ。昨日言ったとおり、衣食住は十分に保証する。ほしいものがあれば言うがよい。かなえられるものはすべてかなえよう」
一生。やっぱり。でもきちんと聞かなくちゃ。真紀は思い切って聞いた。
「帰れないのですか」
「……すまぬ。帰った聖女は一人もいない」
そうだろうと思った。思わず口元が震えた2人だったが、王はあえて続けた。受け止められる。この二人ならば。
「それでだが」
「はい」
「今日の話と言うのは、エアリス、ザイナス、いいか」
「では私から」
エアリスが話し始めた。
「もちろん、聖女は日界にいるだけで瘴気は浄化される。しかし、ここ人間領は闇界より離れた地。闇界に接する我らが領地では、瘴気はもっと濃い。昨日一日で王宮が浄化されたように、聖女がいる周辺の浄化は早い」
そこでエアリスは話を区切り、なにかを確かめるように真紀と千春を見た。
「できればエルフ領にも直接来てほしいのだ」
「獣人領にもな」
「もちろん、ドワーフ領にもだ。なあマキとチハールよ」
グルドはいたずらな目をしてこう言った。
「ドワーフ領の名物はリンゴ酒ぞ」
マキの目が輝いた。リンゴ酒!
「なっ、グルド、ずるいぞ! 面倒な説明だけさせて、いいとこどりしおって!」
エアリスは焦ってこう言った。
「マキ、チハール。エルフ領にはな、ぶどう酒があるぞ。それだけではない。はちみつ酒もだ。エルフが森の蜂に頼んで集めた蜂蜜から作っていてな」
はちみつ酒! 千春も目が輝いた。そして二人はザイナスのほうを期待を込めて見た。ザイナスはちょっと困ったように頭をかいた。
「獣人はな、あまり酒を好まぬのでな。だが、肉を重ねたものを大きな串に刺して、特製のたれをかけて遠火で焼いた料理など、旅人にも人気だぞ」
ケバブのようなものかと考え、目をキラキラさせる二人に、エアリスは内心期待が高まった。もう少し特産品を押すか。しかし、やはりこれは言わなければ不公平だろう。
「ただしな」
真紀と千春はかたずを飲んだ。
「遠回りせずに行くとなると、海を越えることになる。飛行船に乗らねばならぬのだ」
「「行きます!!」」
「え、いまなんと」
「「行きます、と」」
聞き違いかもしれない。
「いま」
「行きますよ」
真紀は即答し、グルドがやはり笑い転げている。
「やはり300歳も過ぎるとエルフでも耳が遠くなるのかのう」
「お主とてほぼ同い年であろう、失礼な」
エアリスはぶつぶつ言った。そして心配そうに二人に聞いた。
「飛行船とは、空を飛ぶものだが、高いところは大丈夫だろうか」
真紀はこう答えた。
「高いところは苦手だけれど、すごく高くなったらかえって気にならないです」
「と言うことは、飛行船には乗ったことがあるのか」
「飛行船にはないけど、飛行機なら」
「飛行機とな」
「すごい速さで上空を飛ぶ金属の乗り物です」
「前代の聖女はそんな話はしなかったと思うが」
「その後で一般的になったんですよ」
話を聞く限りでは、二つの世界は時間の進み方は同じだ。60年前に来た聖女は、おそらく小さいころに戦争を体験した世代だろう。その前は大正か明治の人と言うことなのだろう。後で聞いてみよう。
「その乗り物の話はぜひ聞きたいものだが」
グルドは興味しんしんで尋ねた。
「複雑すぎて、十分説明できないと思いますが、それでよければ」
「よいよい。専門職でない限りそんなものだ」
「グルドよ、話を戻してもよいか」
「すまぬな」
エアリスは話を戻すとこうお願いした。
「それで、なるべく早くに来てもらいたいのだが」
「それは……」
真紀はためらった。マキか。反対するならチハールだと思ったが。エアリスは続きを待った。
「昨日千春とも話したんですが、私たちまだこの世界のこと知らな過ぎると思うんです。なぜだか言葉は通じるけれど、字が読めるかどうかもわからない。地理に、歴史。それからみんなの暮らしぶりや物価。まずそれを勉強してから行きたいと思うの」
「それに、浄化のお仕事としていくなら、何日滞在するのが効果的なのか、どういう順番で回るかなんかも考えなくちゃいけないでしょう」
真紀、千春と続けてこう言った。
「それに」
千春がきらりとしてこう言った。
「予算はどこから出ますか?」
「……」
部屋が静まり返った。
「あ、通じてないかな、ええと、旅行の、飛行船の運賃とか、宿代、食費とか」
「通じている、チハール。ただ、少し、その少し、思いもしなかっただけで」
エアリスはそう答えた。
「思いもしなかったって」
千春は少し眉をしかめた。
「まず行ってくれるとは思わなかったのでな。歴代の聖女方は静かな方が多くて、いや、もちろんマキとチハールもしとやかだが」
エアリスはあわててそう言った。しとやかって。2人は半目になった。
「では聖女専用飛行船を用意させよう」
「ではドワーフ領では専用列車だな。3両ほど丸ごと聖女専用で行こう」
「では獣人領は専用象を」
いや待て、今何かおかしかった。専用飛行船に、専用列車。専用、象?
「大きな象でな、気性も穏やかでのんびり移動が楽しめるのだ。特製のかごを用意しようか」
ザイナスがにこにこしている。
知ってる! 真紀はきらきらしてそう言った。
「木で編んだ浅いかごのようなものが座席としてついてるんでしょ」
「ん? 観光客用には網目の大きい箱型のかごだが」
箱型?
「それは鳥かごみたいな?」
「おお、そうだ。傷ついた小鳥を入れておくようなかごだな」
「それは、なんだか檻みたいな感じですね」
そういう真紀の言葉を聞いて、エアリスがはっとしたようにザイナスに振り向いた。
「ザイナス、そういえば特製の檻を用意すると言っていたな」
「それは言葉のあやだろう」
ザイナスがあわてて言った。
「マキとチハールを守るためだ。実際箱型にして上を守らねば奴らが群れをなしてやってくるだろう」
真紀と千春は顔を見合わせた。奴ら? 群れ? くしくも同時に思い出したのは、ヒッチコックだ。ハハハ、まさかね。
その時執務室の空気が揺れた。王が驚いて叫んだ。
「な、まだ定期便の来る日ではないのに! ザイナス! 早便をだしたか?」
「まさか! 聖女が落ち着いてからと思い、何の連絡もしておらぬ。うわっ!」
執務室に突風が吹き、書類が舞い飛ぶ中、窓に続く広いバルコニーに、2体の影が降り立った。
あまりのことに顔を伏せていた真紀と千春は、風がおさまったので恐る恐る顔を上げた。
「「いた」」
空を背に大きな翼を広げた人たちがそう言った。