その頃城では
前話までのあらすじ
ドワーフ領から無事帰ってきた真紀と千春は、今度は変装せずに、正式にエルフ領へと向かうことになった。エルフのエアリスの飛行船に乗って、まず南領を目指す。一方、ミッドランドの城では……。
「行ったな」
「ああ」
ザイナスとアーサーは、城のバルコニーからエアリスの飛行船がふらふらと飛び立つのを見ていた。いや、ふらふらと言ったらエアリスが怒るだろう。しかしいつみても四角い箱が空を飛んでいくのは不思議なものなのだった。
「父さん」
「ああ、すまない」
呼びかけられてザイナスは後ろを振り向いた。
そこには、ザイナスと同じ灰色の犬人一人と、くすんだ金色の犬人二人が立っていた。金色の犬人は男女の組み合わせだが、三人ともザイナスよりかなり小柄だ。
「出発が遅くなってしまうな。だがマキとチハールの元気な姿を見ていきたかったのだ」
そういって部屋に戻るザイナスに、灰色の犬人はしっぽを大きく揺らしてこう言った。
「そうまでする価値が彼女らにあるのかな。母さんは獣人領で先頭を切って魔物と戦っているのに」
「聖女ときたら、のんきに旅をして飲んだり食べたりしているだけ、と」
「そうだ」
ザイナスは不満げな息子を眺めた。見た目は人の20歳くらいのこの犬人は、ザイナスの息子でもうすぐ100歳になる。普段はザイナスの妻のもとで、獣人領のダンジョンに挑む毎日だ。
「ディロンはそういうが、オーサもコリートもそう思うのか」
ザイナスが金色の犬人に聞くと、
「私はそうは思わないけど。適材適所でしょ。母さんは戦闘が好きなだけだし、父さんは外交に向いているというだけのことだし。そもそも、代々の聖女は外遊すらほとんどしなかったのだから、外に出るだけましだと思うわ。いつか紹介してね、父さん」
「俺も別に。結構かわいかったし」
「ふん。適材適所って、都合のいい言葉だよな」
ディロンはそっぽを向いた。オーサはディロンの姉で、130歳。ちょうど真紀と千春と同世代に見える。母譲りのくすんだ金色の豊かな毛並みをしている。コリートはザイナスの甥っ子で、オーサとだいたい同い年だ。どんな環境でもストレスをためない精神力が買われやはり特殊な任務に就くことが多い。
ザイナスは内心ため息をついた。この大切な時期に、経験の浅い息子を任務に同行させることに抵抗がなかったわけではない。しかし、両親に似ず体格が小さい姉のオーサは、獣人の戦闘部隊の中でも人間領への潜入の特殊任務についてすでに活躍している。弟のディロンも犬人としては小柄で、最前線で魔物と戦いたい本人の意思に反して、こうして潜入任務に割り当てられたわけだが、さて。
このように感情的で、任務が務まるかどうか。そんな不安を抱えるザイナスに、アーサーはこう声をかけた。
「ザイナス、エドウィを見ただろう」
「アーサー」
「この二か月の旅で、どれだけ成長してきたことか。獣人が領の外で経験を積む機会はあまりない。本人にもよい経験になるし、獣人領のためにもなることだろう」
アーサーがなだめるようにザイナスの背中を叩く。
そうだ、どうしたって自分の大きな体では人族に紛れるのは難しい。やらせてみるしかないだろう。
その時、窓の外でバサバサっという音がした。鳥人だ。
「さすがに海を越えてくるのは少々堪えるな」
「サウロたちほどの体力馬鹿ではないものね」
そうこぼしているのは、鳥人の中でも長距離を移動せず、限られた範囲で暮らす種族だ。限られた範囲と言ってもそれは半径数十キロにも及ぶ。サウロとサイカニアの種族は長距離を移動するのに向いているが、内陸では目立つ。今回、わざわざ海を越えて、羽の色が茶色の鳥人を呼んだのはそのためだ。つややかなまだらでこげ茶色の羽は、広げると内側が少し白い。目の色は明るい茶色だ。そのせいかサウロに比べるとだいぶ思慮深く見える。
「もう聖女は行ってしまったの?」
「ああ、ついさっきだ」
「ああ、見たかったのに!」
アーサーの言葉にそう嘆く鳥人に、
「とってもかわいらしかったわよ」
とオーサが追い打ちをかける。
「私たちも列車でこられればよかったのにな。一度は乗りたいのに、地下は気持ち悪くてだめなのよね」
「任務から帰ったら聖女が帰るまで待っていようか」
しかし、中身はやっぱり鳥人なのだった。
「さて、クリオ、カエラ、来たばかりで申し訳ないが、さっそく任務の説明だ」
アーサーのまじめな声が響いた。アーサーは机に落ち着き、残りも思い思いの場所に落ち着いた。
「あらかじめ話は行っていると思うが、人魚族から警告が来た」
「『内陸の鏡の湖に注意しろ』だったか。それだけでは全く何のことかわかりません」
ディロンがそう言った。アーサーが頷く。
「だからこそこうして獣人にも協力してもらうことになったのだが」
アーサーは眉間のしわに手をやった。
「もともと人族の間に確執はないはずだった。しかし、先ごろ聖女の披露目の会の折、内陸が聖女を侮辱したのは記憶に新しい」
皆うなずいた。話だけはすべての領に伝わっているはずだ。
「あまりの横暴さに内陸とは一時流通と交流を絶った。一番困るのは、魔石の輸入のはずだった。しかし、困った様子は一向になかったのだ」
流通が再開してからも、魔石を輸入する量は変わらない。程よいと思われる時期に、内陸から謝罪が来たが、このくらい時間を空ければ体裁が整うだろう、程度の印象だった。むしろ、謝ってやるよ、と押し付けられたような不快さだ。そうアーサーは説明した。
「何かが内陸で起こっている。そう思っていた時に、アミアからの警告だ。人魚が人間に何らかの警告をしてくること自体珍しい。もっともまったく何にも説明がないのも人魚らしいことだが」
アーサーはため息をつき、眉間のしわをもんだ。
「もちろん、すでに人族の偵察は出している。ただ、獣人族には正規の道を通らず、内陸の鏡の湖の山側から偵察を行ってほしい。必要なら鏡の湖の町に潜入してもかまわない」
そういうとアーサーは皆を見渡した。
「幸い、聖女はエルフ領へ向かった。ドワーフ領の鏡の湖ではゲイザーに狙われたところを人魚が助けたそうだ。もっとも、マキとチハールに言わせれば魔物は聖女を傷つけない」
「ダンジョンで戦っている我らからすれば信じがたいことですが……」
オーサがそうつぶやいた。
「カイダルとナイランも見たそうだ」
「カイダルとナイランが。それなら確かでしょう」
カイダルとナイランはダンジョンに潜るものからの信頼はあつい。
「ザイナスたちは山側から。クリオとカエラは空から。無理はしなくてよいが、できるだけ情報を集めてくれ」
「「承知した」」
全員が頷いた。
グルドをはじめとするドワーフと、エアリスを中心とするエルフの技術者は、この300年近く便利な魔道具を生み出し続けてきた。それには魔石が必要で、考えてみればそれをまかなうためには魔物の数も増えている必要がある。もし魔道具の開発がなければ、魔物の数の増加にもっと早く気づいていたかもしれない。
何かが起こりつつある。いや、300年以上前から、すでに起こりつつあったのかもしれない。
偵察の準備に席を立った獣人を見送り、アーサーは飛行船の飛び立った方角を見た。偵察が空振りで終わるのが一番なのだが。聖女がのんきでいてくれるなら、それに越したことはないのだから。
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