空が青い日
庭にお昼を用意してもらうなんてぜいたくなこと、昨日までなら頼めなかっただろう。しかし、こういう場合、言わないほうが相手に気を遣わせる気がする。千春はそう思い、庭に行きたいと言葉にしたのだった。
季節も日本と同じなのだろうか、バラのような花がきれいに咲く庭園を少し見ている間に、あずまやのテーブルには軽くてつまみやすい料理が用意されていた。
「すっきりする飲み物はご用意いたしましたが、お茶などはお声かけくださいませ」
そう言って護衛の人もセーラさんも、目の届かないところに去って行った。
千春と真紀は椅子にそっと腰かけた。風がさわやかだ。
「帰れるかどうか、聞けなかった」
「それどころじゃなかったよね」
「うん、衝撃的だった」
二人は今はすべすべの額に同時に触れた。
「「……」」
同時に下を向いた。
「できてるよまた」
「また落ちたらやだな。百万うっかり落としましたって、シャレにならない」
額にはもう小さな魔石ができていた。一ヶ月に一度じゃなかったの?
「あのさ、ハウス栽培のマンゴーみたいにさ、ネットをかけといたらどうだろう」
「ああ、完熟したらポトッと落ちるから、その防止にだっけ」
「そう」
「けが人みたい」
そう千春に言われて真紀は考えた。
「じゃああれ。忍者の」
「ああ、鉢巻き?」
「こう、聖女マーク付けて」
「聖女マークって……三つ目?」
「ないわー」
「ないね」
二人は同時に天を仰いだ。千春が言った。
「現実的には、リボンを巻いて横で結ぶかそんな感じだね」
「若干イタイよね、25歳にしては」
「まあ、ネットや鉢巻きよりはまし。あと落とすより」
「そうだね」
「つまりさ」
「うん?」
「最後は一年に一個ってことはさ」
「うん」
「帰れないでここで死ぬってことだよ」
「……うん」
空は青く、風は花の香りを運んでくる。同時に料理のにおいも。
「いただきますか」
「腹が減っては戦ができぬってね」
「忍者だけに?」
「それはもうおしまい」
朝はおむすびが出たが、お昼はパンが中心だ。まず目についたのがサラダだ。細かく千切りにしたニンジンや大根のようなものが、マリネにされて白い小鉢に映える。ほんのり甘酸っぱい味付けは食欲をわかせるのに十分だ。碧や黄色のペーストが薄く切ったフランスパンのようなものに添えられている。これも薄くスライスしたハムに、具材のたっぷり詰まったオムレツが手のひらの半分より小さなサイズに焼かれている。金色のオイルで炒められ、口を開いた黒い貝には身がぎっしりと詰まっている。
二人は一口食べ始めると、もう止まらなかった。もちろん、食べきれる量ではない。しかし、冷めてもおいしいように程よく香料のきいた料理はおいしく、どの種類も一口だけでも味わいたかったのだ。
満足して用意された飲み物を飲む。
「グレープフルーツに近い香り。皮だけを水に少しだけ漬けたものかな」
「甘くなくて、さわやかだね。どこかで飲んだような?」
「昨日寝る前にね」
「ああー」
思い出さなくてもいいこともある。やはり空は青いな。真紀は言った。
「これからどうしよう」
「いくらお金があって、自動魔石生産器になったとしても、最終的には仕事はしたいな」
「そうだね」
「でも、衣食住が確保されてるなら、まずはやりたいことをやろうよ。お金を使うのも仕事だと思う」
千春はそう答えた。大きな事業を起こさなくてもいいから、せっかく貯金をしてくれてたものは有効に使わなきゃ。
「私、ラッシュの国に行きたい」
「ザイナスさんね」
「そう。みんなザイナスさんみたいなのかな。ネコ科はいるのかな。パンダとか」
「そんなにいっぱいに分かれてないと思うけど」
「あと魔石列車って言ってた」
「それ、いいね! 車内販売してると思う?」
「思う思う。昔風だもん。きっとペットボトルじゃないお茶や、サンドイッチなんかを売りに来るんじゃないかな」
「素焼きの器に入ってたりして」
「飲み終わったら窓からぽんって?」
「駅ごとにホームで名物を売ってたり」
「駅弁があったり」
二人はすっかり旅の予定に夢中になっている。
「エアリスさんの国はどうかな」
「エルフだからね。森に住んでるんだよ」
「薄いクッキーが主食で、肉は食べないとか何かに書いてあった」
「みんな弓矢が得意でね」
「肉は食べないなら、なんで弓矢を使うの?」
「肉を食べないとはかぎらないよ」
「旅行に行くのにも、まずこの世界のことを知らなくちゃ」
「勉強からか」
それからセーラが声をかけてくれるまで、今後のことをいろいろ話し合ったのだった。
その日の夜、エドウィはもう休む準備をしていた。
「結局歳は聞かなかったが、同じくらいだろうか。しっかりなさっていたから、少し年上かもしれないな」
王宮には代々の聖女の絵姿がある。日界にはない黒い髪、黒い瞳。どこもかしこも小さい体のつくり。小さい頃見てときめいた、そのままの聖女がそこにいた。具体的には、チハール。
もちろん、マキも素敵だ。しかしエアリスに先を越されたが、耐えきれず倒れた姿と、その後の現実的な姿のギャップときたら。
もちろん、次代の王として民を守っていく覚悟はある。しかし、チハールのことも守ってあげたい……。エドウィは、千春が聞いたら即座に回れ右するような事を考えていたのだった。その時、
「エドウィ、ちょっといいか」
「エアリス、ザイナス、めずらしいですね、こんな時間に」
年かさの友だちが誘いに来た。
「どちらに」
「まあ、来い」
向かったところは聖女の部屋だ。ドアのところには護衛が2人と、セーラ、そして王とグルドもいる。
「父上まで」
王はしーっと合図をした。静かに。どうしたんだ?
この部屋は普通の客室で、居間は付いていない。したがってこのドア一枚むこうには、チハールがいる。もちろん、マキもだが。
かすかに高鳴る胸を抑え、皆のそばに静かに歩み寄る。そしてはっとした。
扉の向こうからは、すすり泣きが聞こえた。話の中身までは聞き取れないが、2人で代わる代わる何かを話しながら、泣いている。エドウィはエアリスとザイナスを見、2人はエドウィにうなずいた。見かけの元気に惑わされるな。そういう事か。
やがて何も聞こえなくなるまで、皆で祈るような時を過ごした。
せめて暗闇が、2人に優しくありますようにと。