何かが元に戻った日
「やはり耐えきれぬ話よな、乙女には」
グルドが優しく言った。いや、耐えきれますけど? 真紀はあごを上げた。
「耐え切れた聖女はそなたが初めてだ、マキ」
「私はよく体を動かすので、ケガみたいのには慣れてるんです。でも千春は慎重で、いつだってしっかりしてるから、逆に耐えきれなかったんだと思います、あ」
真紀の額からも宝石がポロっと落ちた。
「これ、どうするんですか」
「これはダンジョンの魔石より格段に良い魔石なのだよ。自分の体から出たものを売るなんてと、中には嫌がる聖女もいたから無理にとは言わないが、売ってくれると助かる」
「ほほう」
真紀の瞳がきらりと光った。
「千春、千春!」
「う、ううん」
ソファでなぜかエアリスに寄りかからされている千春を、マキはゆすった。
「売れるんだって、これ!」
「マキ、そのように乱暴にするな」
エアリスがたしなめる。なんだこの人。千春係か。でも、仕方ないんです。この話をあとからしたら、なんで起こさなかったと怒られるのは私なんだから。
「千春!」
「……売れる?」
千春がかっと目を見開いた。
「売れるって聞こえた気がした」
「これ、売れるんだって」
真紀の手のひらの宝石を見た千春はちょっと顔をしかめた。それでも王の目を見てこう言った。
「いくらですか」
「……」
王はあっけにとられて声が出ない。
「あ、通じないのかな。えー、これ、お金、売る、どのくらい」
「チハール、通じている。少し、そう、少しばかり驚いただけだ」
王は眉間をもんだ。
「それ一つで魔石列車が一ヶ月は動く。その大きさなら百万ギルほどか」
「百万ギルとはどのくらいでしょう」
「そなたたちの国はエンを使うのだったか。宰相!」
宰相は一歩前にずいっとでてきた。
「住むところがあれば、4人家族が一ヶ月に20万あれば余裕で暮らせます」
「なるほど、だいたい円と同じって考えていいのかな」
千春はふむふむとうなずいた。
「良かった。当分の暮らしは大丈夫だね」
「安心したね、千春」
「待て待て、何を言っているのだそなたたちは」
王はあわててこう言った。千春と真紀はきょとんとしてこう言った。
「だって生活費を稼がないと」
「観光もしたいし」
王はため息をつくと、また眉間をもんだ。グルドは先ほどから笑い転げている。
「いいか、よく聞け。そなたたちは、神に召喚された聖女なのだ。身を賭して、世界を浄化してくれている。日界のすべての領が感謝し、ほめたたえる存在なわけだ」
「そうなんですか」
「そうなんですかってマキ、まあいい。まず住むところは用意されている」
「え、家付きですか! やった!」
王は千春と真紀を立たせると窓に連れて行った。
「ほら、あそこの離宮、わかるか」
「わあ、白い壁でかわいい」
「果樹園に、畑? 庭園もある」
「あれが聖女宮、そなたたちが住まうところだ」
二人はきょとんとし、ニッコリするとハイタッチをした。
「なんだそれは」
グルドが尋ねる。
「うれしい時、楽しい時、仲間と分かち合うポーズなの」
真紀が説明する。
「ふむふむ、わしともやってくれるか」
「いいですよ、はい」
ぱしん!
「これは楽しいものだ」
「チハール、私とも」
「エアリス、さん? はい」
ぱしん!
「おお、これはよい」
「チハール、私にも」
「はい、エドウィ様」
「エドウィと」
「……エドウィ」
ぱしん!エドウィはうれしそうに笑った。
「王は」
「私はいい」
真紀はザイナスに目を向けた。
「うむ」
ぱしん! ザイナスにはロータッチだが、しっぽがばっさばっさしている。真紀と目を合わせてニッコリ笑った。
「落ち着いたかな」
「「はい」」
「衣食住は保証されている。そのうえで毎月手当が出る。それこそ毎月百万だったか、セーラ」
「そうでございます。しかし、歴代の聖女様はあまり使わず残しているため、膨大な財産が残っております」
「それも民に害がない程度に自由に使ってよい。これでわかったか」
二人はうなずいた。
「他に話したいこともあるが、今日はこのくらいにしておこう。話を聞く余裕ができたら、声をかけてくれないか。早めだと助かる」
「「わかりました」」
「チハール、マキ」
「「はい?」」
「すまなかったとは言えない。しかし、我らの世界に来てくれて、本当に感謝する」
王は深く頭を下げた。他の面々もそれに倣った。
いいですよとも、気にしていませんとも言えない。失ったものは何とも引きかえられないからだ。二人は無言で、ただうなずいた。今はその程度でよいのだ。
なぜかエアリスやザイナスや王子に付き添われて、真紀と千春は部屋に戻ろうとしていた。ふと真紀が立ち止まった。
「千春、今部屋はよくないよ」
「そうだね。セーラさん」
「何でございましょう」
「お昼を外で食べたいの。用意してもらえますか」
「もちろんでございます。聖女宮も手入れはされていますが、そちらに向かいますか」
「いえ、近くでお願いします。このまま向かってもいいですか」
セーラさんはすぐもう一人に指示を出した。
「では我らもここで失礼する」
「失礼する」
「え、一緒に」
「王子」
エアリスとザイナスは、一緒に来たそうな王子を連れて、静かに去って行った。
「親しくお話しする機会だったのに。よい場所も知っているし」
残念そうな王子に、エアリスは静かにこう言った。
「エドウィよ、見かけの元気さに惑わされてはいけない。歴代の聖女は、額の印の話をするまでに最低でもひと月はかかったという。それを一日で済ませたのだぞ」
「聖女の印は美しいのに」
「そなたとて、例えば手のひらに急に宝石が生えてきたらどう思う」
「それは」
王子は手のひらを見た。
「いやです」
「まして女人だ。受け入れられるものではない」
「しかし、外に行くほどの元気が」
エアリスはため息をついた。
「部屋の中では気が滅入るのだろうよ」
「気が滅入る……」
「いらぬことばかり考えてしまう。そんな時は日のもとに出るのが一番なのだ。マキもチハールもエルフに近しい考え方をするのだろう」
「そんな時は見知らぬものに近くにいてほしくはないだろうよ」
「ザイナス。そんなものでしょうか」
「そんなものだ。焦るな、エドウィ。マキもチハールもいつか折り合いをつけるだろう」
「はい」
エドウィは少し不満そうにしながらも、ふっとほほえんだ。
「それにしても、『いくらですか』って。父上が何も言えなくなったのは初めて見ましたよ」
「確かにな。みものではあったな」
ザイナスもくつくつ笑った。日界の憂いは晴れた。窓の外を見ると、マキとチハールがゆっくりと庭園に向かっている。聖女の憂いも晴れますように。そっと祈った。
戻ったのは額でした。