野放しな聖女
話を聞いていようと思ったが、さすがに疲れて寝てしまった真紀と千春だった。
衝撃で湖に落ちた時、千春は案外冷静だった。だいぶ昔だが、着衣泳は学校のプールでやっていたし、スイミングにも通っていたから、泳ぐことはできるはずだ。しかし、まず着水の衝撃で上と下がわからなくなった。夜の月灯りは水面を指し示すほどではなく、待っていれば自然に浮かび上がるとわかっていても、息のできない中での暗い水中に恐怖を感じた。
それでも我慢して水面を目指そうとした時、なにかが下から上がってきて、千春の腰をつかんだ。驚いて思わず息を吐きだすと同時に水面にぷはっと持ち上げられたというわけだ。
「な、なに」
「落ち着け、チハール」
「だれ?」
「つれないことを。うろこを忘れたか」
「人魚の……」
人魚の青年だ!
「さあ、ゲイザーが狙ってくる。岸に向かう間に息を整えろ」
「はい!」
千春が袖で顔をこすって水を拭き取ると、人魚のお兄さんは千春を抱えたまま水面を器用に泳ぎ出した。上でピシッという音がする。
「尾びれでゲイザーをはじいているんだ」
なるほど。でも何でゲイザーが……。悩む間もなく岸に連れて行かれ、真紀と再会できた。
そう言えばそのあとナイランにもお姫様だっこをしてもらったのだった。もしかして、ようやくロマンチックなシチュエーション?
思い返して一瞬意識が浮上しそうになる千春だったが、まあ、湖の匂いのするぬれネズミにロマンチックなどあり得ない。たとえ相手が王子や海の長だとしても。
後に千春は真紀と熱く語るのだった。
「お姫様だっこは確かにある意味憧れだよ。だけどさ、そういう状況になる時ってつまり、自分が苦しいか困った時だよね? そんな時恋が生まれるかなあ」
「うーん。つらい自分を大事にしてくれた的な?」
「つらくて恥ずかしくて、運んでくれてる相手に申し訳なさといら立ちしか感じなかったね」
「いら立ちって」
「こっちは湖くさいんだよとか、ほっといてくれとか、今体重どうだったっけとか」
「わかったよ千春、ロマンスってさ、ロマンチックを楽しめる人のもとにしか訪れないんじゃない?」
「私ロマンチックだけど?」
「ロマンチックに謝れ」
頭の中はともかく、すぐ寝息を立てた真紀と千春に五人はほっとした。
聖女が城出した事情を聴いてカイダルがこうまとめた。
「つまり、聖女が変装したのがノーフェとシュゼで、だから温泉では女で、領都では貴族のご令嬢で、今はケネスとライアンと、そういうことか」
「そうだ」
「そうしてドワーフ領で半月以上野放しか」
「野放しって」
ナイランがクックッと笑う。
「まあ、そのすべてにだまされていたあなたなら皮肉の一つや二つも言いたくなるだろうな」
そう言うエドウィに、カイダルはぐっと詰まった。
「カイダルよ」
「なんですか、白の賢者よ」
「温泉では女とはなんだ」
「そ、それは」
カイダルの目が泳いだ。
「たまたま、ノーフェとシュゼを探していて、その」
「その?」
「遠くからちらっと黒髪の女が見え、て」
「のぞきか」
「のぞきだな」
「のぞきとはな」
カイダルは追い詰められた。ナイランはまだ笑っている。お前だって見ただろう!
「あー、今はそんなことを話している場合ではないだろう!」
「確かにな」
そう主張するカイダルに、ミッドランド側はしぶしぶ引いてくれた。
「しかし、それほど大切にされているのになぜ」
「ノーフェを見てたらわかっただろう。自立心が強いんだろうよ」
そう問うカイダルにナイランが答えた。ふむ。よく見ている。エドウィはわずかにいらだちながらそう思った。しかし、話を進めねばならない。
「城出についてはまあ、もう良いのです。無事見つかったことだし。問題はゲイザーだ」
「確かに。明らかにノーフェとシュゼを狙っていた」
「マキとチハールです」
なぜだろう。自分の知らないマキとチハールの話をされたくない。
「すまん。ただ、人魚島では人魚に連れ去られそうになっていたし、鳥人とも親しい。また、列車に乗っているときにゲイザーがチハールとマキを見に来たという事件もあった」
「それは! 初めて聞きました。その時に長と知り合ったのか」
「鳥人は報告はしなかったのか」
「無事であるとか、居所をつかんでいるらしいとしか」
「気ままだな」
鳥人のことは今はいい。というか鳥人はコントロールしようがない。
「人魚の長は、魔物が騒いでいると、喜んでいるようだと言っていました。なぜ聖女が人間領に現れるのか考えろとも」
「彼らは何を知っているんだ」
「人魚は始原に近しい。神の意図や世界の成り立ちを知り、世界を見守っているとも言います。カイダルもナイランも幼き頃人魚の長と会わせられたでしょう。つながりを大切にせよと」
「確かに」
「魔物が騒ぐから聖女が招かれるのか、聖女が現れるから魔物が騒ぐのか、そもそも瘴気との関係は何なのか、謎は多いのです」
エドウィは静かにそう言った。カイダルは頭をがしがしとかきながら、
「しかしな、要は魔物が増えたら退治する、聖女はミッドランドで大人しくしてもらうでいいんじゃねえのか。三領は瘴気が濃い。確かにノーフェが、いやマキたちが来てから瘴気はものすごい速さで薄くなっている。聖女を招きたい気持ちもある。しかし、ダンジョンに近づくたびに魔物が飛び出してくるようでは安全を保証できないぞ」
と言った。ナイランもうなずく。
「聖女がいなくなっては元も子もない」
「いなくなってもまた三ヶ月で現れるからいいと」
「「はあ?」」
カイダルとナイランはそう言ったエドウィに詰め寄った。
「勘違いするな。これは聖女のお披露目の席で、内陸のやつらがマキとチハールに言ったことだ」
「あいつら!」
「内陸め!」
「ちなみにそう言ったのはボンクラ王族のノーフェとシュゼだよ」
「「は」」
ナイランとカイダルは声を合わせた。
「その名前を使ったのか」
「やっぱりいいな、こいつら」
「持ち帰りてえ」
「「「だめだ」」」
ミッドランド側の三人も声を合わせた。ちょっとしたにらみ合いの後、エアリスが言った。
「魔石の流通量、各領の輸出入などを改めて調べねばならぬ。あわせて、マキとチハールがドワーフ領に来たことによって、エルフ領や獣人領の瘴気がどう変化したのかも。ドワーフ領の滞在だけで効果があるなら無理にあちこち行かせることはないだろう」
「ほ、ずいぶん意見が変わったの」
「グルドよ、魔石の生成がどれほど二人の負担になるかわからぬのだ。エルフの皆も大事だが、マキとチハールも大事なのに変わりはない」
皆うなずいた。エドウィをのぞいては。エドウィはすうすうと寝息を立てる真紀と千春を眺め、寝顔を見る失礼さに一人で顔を赤らめていたが、
「問題はマキとチハールがおとなしくするわけがないということです」
とぽつりと言った。確かに。




