二日酔いには味噌汁の日
目覚めたのは千春が先だった。かすかに残る頭痛が、無理な飲酒の証拠だ。
「学生でもないのに、無茶したな……お酒に申し訳ない」
思わず出たつぶやきに、そこはあの支えた人に申し訳ないと思うべきではないのか、と自分で突っ込んだ。
「そうだ!」
がばりと起き上った千春は、
「う、いってー」
と頭を抱えた。そろそろと見回すと、千春の部屋が三つくらい入りそうな部屋の、大きなベッドに自分はいる。隣を見ると、真紀はまだ寝ている。千春ももう一度寝転がると、状況を考え始めた。
残念ながら、千春は飲んでも記憶を飛ばしたことはない。神殿。聖女。二人。獣人。エルフ。ドッキリにしては手が込み過ぎている。
「異世界召喚か、間違いないな……」
では自分たちはどうすべきか。優先順位を付けよう。しっかし、起きないな真紀ちゃん。いらっとして真紀の鼻をつまんだ。
「ぷはっ。あいてー、頭がかすかに痛いー」
「かすかかい! おはよう、真紀ちゃん」
「おはよう。ん?」
真紀の表情がくるくると変わった。千春は知っていた。真紀もどんなに飲んでも記憶をなくさないことを。だからこう言った。
「ラッシュ」
「うわー、やめて千春! 恥ずかしすぎて死ねる」
「死なないから。最悪はそのあとだから」
「うわー。記憶をなくしたい……」
真紀は布団にあおむけに沈み込んだ。両眼に手を当てて、ぼそぼそとこう言った。
「ねえ、千春」
「うん」
「人には耳としっぽはないよね」
「ない」
「2メートル余裕で超えてたと思う」
「うん。もう一人は耳が長かった」
「まじか」
沈黙が落ちた。二人でベッドの天蓋を眺める。
「千春」
「ん?」
「帰れるのかな」
「わからない」
「千春」
真紀の声が震えた。
「真紀ちゃん」
「なに?」
「つらいことは、夜に考えよう。明るいうちはさ、これからどうするか考えよう」
「こんなときでもかっこいいな」
真紀はちょっとだけ鼻をすんっとしてそう言った。
「神殿だった。聖女。二人。外人がきれいな日本語でそう言っていた。それにラッシュ」
「いや、獣人だから」
「優しい目をしていたような気がする」
「今のところマイナス要素は弱い。けどね」
千春が急に自信なげに言った。
「私たち、見る目がないってわかったばかりじゃない」
「そうだった」
二人でまたベッドの天蓋を眺めた。千春の彼氏はチューターだった。営業事務には営業の先輩社員。本当に頼りがいがあって、ちょっと重かったけれど、好きだった。好きだったのに。天蓋がぼやっとにじむ。
「千春」
「ん?」
「つらいことは夜に考えよう」
千春も鼻をすんっとして言った。
「うん」
「さて、どうするか」
「話を聞かないことにはどうしようもないね」
「うかつに返事をせずに、話を聞いてゆっくり考えようか」
「そうだね」
「言っとくけど、魔王とは戦いたくはない」
「そうだそうだー」
「政略結婚もしないぞ」
「そうだそうだー」
「せっかく異世界に来たらしいから」
「来たらしいから!」
二人で顔を見合わせた。
「おいしいものと、酒」
「きれいな景色と、文化」
「「外せないよね」」
くすくすと笑った。
なんだ、やることは決まってた。
「じゃあ、まず仕事を探さないと」
「千春、働きものだね。でもまずはなぜここにいるのか。やっぱりちゃんと話を聞いて、情報を集めよう」
「そうだね」
千春は枕元のベルを振った。1秒後にドアが開いて、昨日の侍女さん二人がやって来た。はやっ。ベルを持ったまま固まる千春に、侍女はニッコリと微笑み、
「お加減はいかがですか」
と聞いた。
「あ、少し二日酔いだけど大丈夫です。あの、」
「はい、セーラと申します」
「ハンナと申します」
「ごていねいに。私は麻生、彼女は相田です」
「ア、ソーさまに、アイーダさまですね」
「……だいたいそんな感じで」
つい日本式に名字で返事をしてしまった千春だった。
「昨日はご迷惑をおかけしました」
真紀がひょいと千春の横から顔を出して言った。
「大丈夫です。今朝はお元気そうでようございました。それではまず朝食はいかがでしょう」
「お願いします」
飲んだ次の日はホントは味噌汁が良いのだが、ゼイタクは言うまい。って味噌汁だよ!
「先代の聖女さまの工夫によりできたものにございます」
「聖女って……」
「詳しくは陛下にお聞きください」
そう言って味噌汁とおむすび、そして卵焼きに浅漬けが用意された。味噌汁はおばあちゃんの家で食べたような懐かしい味がした。出汁には煮干におそらく昆布、ほんのわずかに干ししいたけの香り。千春と真紀はしっかりといただいた。そして食後は紅茶が出た。
「先代はリョクチャが飲みたいと言っておられたそうですが、なにぶん作り方が分からず。味噌は手作りしていたから分かったそうなのですが」
「リョクチャ?」
「なんでも薄緑の香り高いお茶だとか」
「緑茶かー、蒸すんだよね、発酵させずに」
「蒸す?」
「そう、確か少しだけ蒸して、揉んで、水分をとばすためにから煎りして、また揉んでって繰り返すの」
真紀は案外色々なことを知っている。
「でも、紅茶の方が発酵させるから作るの大変だと思うんだけどな」
そう言って首をひねっているが、
「ぜひに! その技術をぜひに、生産者に!」
とセーラに熱く求められ、
「ええー、作り方を知ってるだけで、できるかどうか……」
「そこは職人が試行錯誤いたします!」
と、結局指導することになっていた。さっそくお仕事発生である。
それはともかく、食事の後は洗面、着替えだ。水道はボタンを触ると出る方式だ。トイレは水洗ではなかったが、即座に分解され肥料になるという、清潔なものだった。これなら何とかなりそうだ。
昨日着ていた服は洗濯をして返してくれるそうで、今日は別の服を用意してくれていた。クリーム色を基本としたワンピースをまず着る。ゆったりした袖で、裾は足首まである。その上に、袖なしの浴衣のような、前合わせのきれいな色のワンピースを重ねる。こちらはふくらはぎまでの長さで、帯を結んで出来上がりだ。
髪は結わずにとかしただけ。千春と真紀はお互いを眺めた。
「あれ、あれだよ」
「うん、あれ」
なかなか出てこない。
「竜宮城! タイやヒラメが舞い踊る!」
「違うよ。乙姫様」
「それだ!」
セーラさんはいわゆる普通のメイド服を着ているのに。千春は思った。何となく和風なんだけど。ん?
よく見るとセーラたちも、落ち着いた色の重ね着だった。さっそく異国の風物だ。千春はうれしくなった。
「こちら先代の聖女様のお国のご衣裳を参考にされているそうです」
なるほど! 先代がんばったな? とりあえず、大事にしてもらっていたんだろう。よい要素だ。
「お支度は終わりましたが、これからどういたしましょう」
セーラがそういう。
「どう、とは」
「ご事情をお知りになりたいでしょうから、陛下をお呼びしてこちらに来ていただくか、執務室にこちらから向かうか、あるいは心が落ち着くまで誰にも会わないという選択肢もございます」
「会わなくてもいいの?」
「確か五代ほど前の聖女様は、『イジン怖い』と言ってなかなかなじめなかったごようすだったと伝えられております」
「イジンって、文明開化か!」
「先代はどうしてもその、獣人の方になじめず……」
「ラッシュか! その、獣人の方はたくさん?」
「はい、人口にして1割ほどは」
真紀はわくわくした。
「その、獣人と言うのはいろいろな」
「真紀ちゃん、それは後で」
真紀はしゅんとなった。ごめん。でもね。
この場所はどこも自分の陣地ではないのだ。有利な場所などない。ならば、
「こちらから会いに行きます」
後書きを借りまして、お知らせです。なろう様に昨年書いていた筆者の小説『この手の中を、守りたい』の書籍化が決まりました。ハイファンタジー、子どもたちの成長物語に興味のある方は、よろしければ
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引き続き、『ぶらり旅』もお楽しみください。