成功
マキと千春は1日ぶりの自由を味わっていた。正確には、
「お、人間の少年だぞ」
という視線は集めていたが、それは慣れていたから気にならなかった。もう募集は締め切られたかもしれないし、とにかく急いで行かなくちゃ。城に向かって足早に歩きながら、千春は真紀に話しかけた。
「ねえ、真紀ちゃん、自由ってなんだろね」
「日本にいた時は自由だったかな」
「週に5日会社に行って、残り2日のんびり過ごす。その2日だってためていた買い物や家事が大半で、自分の時間なんてそんなになかったよね」
「それでも好きな本を買って読んだりおもしろい動画を見たり」
「好きなものを食べて自分の生活は自分で決めてた」
「デートしたり」
「ふられたり」
「そうだ、そうだったねえ」
「もう、心は痛くないなあ」
ほんの少し、かすかに痛むけれども。
「心配性のエルフや」
「苦労性の王様」
「おっとりした獣人」
「鳥人。人魚」
二人は空に向かって手を振った。きっとどこかで見てる。
「親切なドワーフ」
「そして王子」
「二人ね」
「二人」
二人はふふっと笑った。それでも足は城へ急いでいる。
「頭に浮かぶのはこの世界の人たちのことばかりだ」
「ほんとだ」
「ねえ真紀ちゃん」
「なに?」
「今、私たちのしていることは、自分で決めたことじゃないのかな」
「……自分で決めたことだね」
「そうでしょ」
「あれ、自由だ」
「ほんとだ」
逃げてるんじゃない。進んでいるんだ。なぜだろう。そう思うだけでのびのびと息が吸える気がした。
「では自分で選んで、進みますか」
「おう!」
さあ、お城だ!
「珍しいな、人間族の子かい」
「親戚を頼ってきたんだけど、グロブルまで仕事しながら行けるって聞いて」
「確かにな。まだ募集してたと思うから、そこを入ってまっすぐ行って、大きな兵舎があるからそこで聞いてみな」
「わかった、ありがとう!」
ドワーフのお城は本当に平らだった。建物は二階まであるが、左のほうで大きな鍛冶の音がし、右の奥のほうは居住区になっているようだ。明日の出発のため城内はドワーフだけでなく人間も入り混じってにぎやかだ。
そうしてすぐに兵舎はあった。
「あの、賄いの募集に来たんですが!」
「おお、あそこで調理してるおっさんに言え!」
もう夕方に近くなり、夕飯の支度が始まっているようだ。指示を出している中年の少し禿げあがった人を目指す。
「あの、賄いの!」
大きな声で呼びかけた。
「なんだ、お前ら」
「グロブルまで、賄いの下働き募集してるって聞いて」
男はじっと二人を見た。
「手を見せてみろ」
二人は掌を見せた。きれいな手だ。
「ふん、訳ありか。グロブルに行きたいんだな」
男はあごに手を当てて少し考えた。
「よし、では使えるかどうか試験だ。そこの芋をむけ」
そこには籠に一杯の芋が置いてあった。
「水場はそこ。包丁はここ。むいた芋はこれに入れる。終わったら声をかけろ」
「「はい」」
いきなり仕事だがやるしかない。まず真紀が芋を洗い、すかさず千春がそれをむいていく。芋を洗い終わったら、真紀も芋むきに入る。ていねいに、でもなるべく急いで。終わったら千春が芋の皮をあつめている間に真紀がもう一度むいた芋を洗う。
「できました」
「遅いな」
二人はしゅんとした。
「だが手際がいい。いないよりましだろう。一日5000ギル。食事の支度と片づけ以外は自由。ただしほとんど移動だ。三食賄い付き。宿泊はテント。とりあえずグロブルまで。どうだ」
「「ありがとうございます!」」
「俺はパウロ。お前たちは」
「俺がケネス。こっちがライアン。弟です」
「兄弟か。そっくりだな。しっかし細いな。ここにいる間だけでもしっかり食べろよ」
「「はい!」」
「今晩からにするか」
「いえ、お世話になっているところがあるので、できれば明日から」
「出発は朝になる。朝早くにここに来い」
「わかりました」
採用だ!
「おじさん、雇ってもらえたよ!」
「よかったな!」
「うん!」
門番に報告をすると、久しぶりの料理で少しひりひりする手を何となくうれしく思いながら、エドモンの屋敷に戻る二人だった。
その夜のこと。
「カイダル様、今日もお出かけですか」
「一応な」
「そう言えば、賄いの下働き決まったようですよ」
「そうか」
「人間族の子どもだったな。珍しいことに」
「どんな子どもだった!」
カイダルは話しかけてきた門番に勢いよく尋ねた。あいつらなら自分から来ることもあり得る。
「どんなって、貧乏そうな明るい茶髪の兄弟としか。あ、明るい元気な子どもたちでしたね」
「くすんだ金髪ではなく?」
「茶色で」
「すかした生意気な子どもではなく?」
「さわやかでしたが」
「うつむきがちな女の子でもなく?」
「男でしたが」
違ったか。真紀と千春が聞いたらあきれて怒って、そして笑いころげたに違いない。カイダルがいたからそう振る舞わざるを得なかったのにと。しかし城の外に出ようとした瞬間、引きとめられた。
「カイダル様、今日はミッドランドの方々と会食です!」
「ちっ、それは兄貴たちにまかせて」
「あなたが討伐隊のドワーフ代表でしょう!」
カイダルとナイランはしぶしぶと城内に戻って行った。なあ、ノーフェ、シュゼ、元気で過ごせよ。
その頃真紀と千春は元気に夕食をごちそうになっていた。
「しかしあなたがたが聖女だとは」
クライスは少しがっかりしながらそう言った。もちろん会えて光栄だ。しかし、恋の可能性は消えた。
ドワーフも獣人もエルフも、寿命は300歳だ。一方人間は100歳にも満たない。青年期の姿を長く保つ三領の種族と違い、人間はすぐに老いる。したがって恋に落ちることはあっても、人間と他の種族が結婚することはほとんどない。別れがつらいからだ。
それでも恋をしたいと思うほどに真紀と千春は魅力的に映ったのだった。しかし、聖女が結婚したと聞いたこともない。せめて今夜だけでも楽しい時間を過ごそう。
「ではアンとメアリーというのは」
「ごめんなさい。真紀と」
「千春です」
「マキ、チハール」
「「はい」」
二人は花のように笑った。自分の名前で呼ばれるのはいいものだ。エドモンの優しく穏やかな奥さんのエマと、日本のファッションの話をしたり、カイダルとナイランの旅の話をしたりして、楽しく過ごすのだった。
「さて、マキにチハール」
食事が終わると、エドモンがにこにこしてこう言った。
「明日から子どもですからな。今日は大人の時間です。クライス」
そう言うと、クライスが小さくて平たい鉄板とハムをもってきた。
「さ、ここからは男の仕事です」
そう言うと、大きなハムを少しずつ薄切りにし、クライスがそれをその鉄板で焼く。じりじり言い始めたら、エマがそれを薄切りにした小さいパンに乗せて行く。
「さ、食べてみて」
二人はあむっとそれを一口で食べた。熟成された熱々のハムからにじみ出るうまみのある油が口いっぱいに広がり、それをパンが優しく包み込む。
「さ、これを一口」
昨日の辛口のりんご酒だ。少し油っぽい口の中を、りんご酒が洗い流していく。最後にりんごのふんわりとした香りだけが口に残る。
「「おいしい!」」
エマが優しくほほ笑む。
「ほんとは冬の料理なのよ。家庭料理だから、あまりお店では出ないものなの。ぜひ食べてほしくて。さ、この酢漬けも一緒に」
たくさん夕食をいただいたはずなのに、なぜお酒と一緒だとまた食べられるのだろう。エマはお母さんの匂いがした。セーラ、元気かなあ。領都最後の日も、やっぱりドワーフの温かさに触れる真紀と千春だった。




