あごをそっと持ち上げられても恋に落ちるとは限らない
露天に向かう真紀を見送り、千春は人魚の店に向かった。うろこのアクセサリーとか、心がはやる。
布をしいた台の上に、きれいにアクセサリーが並べられている。売り子は人魚だ。一見すると普通の人だが、耳のある部分はひれのようになっていて、あけたり閉じたりしている。耳元から肩にかけてえらがあり、人よりやや薄い唇に大きい口。切れ長の瞳。太く背中まである髪。足は二本あるが、細長い手指の間にはひれがあり、日をはじく硬質の肌を持っている。つまり、一言でいえば美しかった。
千春のように、初めて人魚を見る乗客も多く、みんな感嘆した表情で人魚に見とれていた。
「かわいいお嬢さん、ぜひアクセサリーを見て行ってね」
声をかけられてはっとした千春は、見とれていた目を落とし、台の上を見た。
「端から端まで全部ください」
と思わず言ってしまいそうな美しい細工だ。言わないけど。うろことは言っても様々な色がつき、それも透明でうすい。繊細なガラス細工のようだ。何枚かうろこを重ね、動かすとシャラシャラと音がするイヤリング。薄ピンクのさんごを磨いたネックレス。一時間じゃ足りないよ、と台を見つめる千春に影が落ちた。
ん? と思って顔を上げると、そこには先ほどの人魚の店員さんはおらず、代わりのように美しい人魚の青年が千春の隣にいた。人魚は男性も女性も美しいのだなあと千春はぼんやりと思った。
と、その人は千春に手を伸ばし、あごをそっと持ち上げ上を向かせた。
「神の愛し子よ、よく顔を見せておくれ」
千春は固まった。視線の端で何かが動いた。髪の毛だ。動くんだ。ウネウネしている。
青年はその髪の毛で千春の前髪をそっと上げると、やや眉をひそめ、
「美しい黒曜石の瞳を隠すとは。それに神に愛されし印。なぜ封をする」
とささやいた。
「え? えっと、それは、その」
百万落としたくないからなんてそんな事情、すぐ説明できるわけがない。千春が固まったまま焦っていると、
「わかっておる。人間の世界は生きにくいものよの。さあ、おいで、名はなんという」
「あ、ちはる」
「チハールか」
あ、つい言ってしまった。その人は優しく名前を繰り返すと、千春をさっと腕に抱えあげた。
「え、あ、ええ?」
「チハールは泳げまいな。大丈夫、船を用意したから、泳げなくても大丈夫だ。そのうち泳ぎ方も教えてやろうな」
「え、いや、なに?」
「さあ、我らの国に共に行こう。なに、陸の者もおる。封も外し、自由に生きられる」
そのまますたすたと海のほうへ向かう。その向かう先には恐ろしいほどの数の人魚がいた。
「愛し子よ」
「愛し子」
「神よ」
「我らとともに」
どうしよう、どうしよう! そこに声がかかった。
「千春!」
「おい待て、何をしている!」
青年はいらだったように眉をひそめるとこう言った。
「連れがいたか。ん? 少年か、いや、愛し子がもう一人?」
千春は必死でうなずいた。
「下ろしてください。私たち、三領に行かなくては」
「なぜそんなことを。海で暮らせばよいではないか」
「いやいやいや、人間ですから。旅の途中なんです」
むしろ旅を始めてまだ二時間ちょっとなんです。
「なんと。愛し子の気配が近づいたから来てみれば、我らのもとに来たのではないと」
「まず闇界の近くに行って、浄化しないとと思って」
「それは後でもいいではないか。愛し子が来たのなどいつぶりか。もう一人も連れてさあ行こう」
その時やっと真紀とカイダルとナイランが追いついてきた。
「さあ行こうじゃねえよ。人魚が子ども好きなのは知ってたが、それじゃ人さらいだ。そいつはドワーフ領に行く用事があるんだよ。離してくれ」
「下ろしてください」
カイダルに重ねて千春もそう言うと、その人は悲しそうな目で見た。だめだ、鳥人と一緒。はっきり言わなくては。
「用事が終わったら、遊びに来ます。だから今は行かせて?」
「用事はいつ終わる? 明日か」
「そんなに早くはないけれど、必ず」
その人は真紀を見た。
「来ます」
真紀もそう誓った。その人はため息をつくと、千春を下ろした。すぐに真紀が寄ってきた。
「せめて海の民にもっと顔を見せておくれ」
真紀と千春は、警戒するカイダルとナイランをお供につけたまま、その人に手を引かれ人魚の前を練り歩き、あちこち触られ、抱かれ、ほほや頭をなでられて残りの時間を過ごしたのだった。
これも聖女の納める税金だ。真紀と千春はがんばった。
「さ、時間だぞ」
カイダルが声をかけ、
「愛し子よ、旅の終わりにまた来るのだぞ」
「「はい、必ず」」
そう言うとその青年は名残惜しげに手を離してくれた。
「急げ!」
列車に走る。座った席がそのままあいていて、みんなでほっと腰を下ろした。
「つ、疲れた」
「旅って大変なんだね」
「いやいやいや」
疲れたと嘆く真紀と千春に、カイダルが突っ込んだ。
「ないから。普通はゲイザーにあったり、人魚にさらわれそうになったりしないから」
「鳥人もだけど、人魚って人懐こいんですねえ」
「いや、そんなことはない。お前、鳥人にもなつかれてんのか」
「そう言えばさらわれかけてたね」
「それはたまたま! 持ち運びしやすそうだからって」
「ぷはっ」
ナイランが吹き出した。
「確かにな、お前、そんな感じ」
どんな感じだよ。それにしても、あの話の通じなさ。さすが空の鳥人、海の人魚と言われるだけのことはある。千春はため息をついた。それでも内陸の人のような意地悪よりはるかにいい。
「せっかく記念にうろこのアクセサリー買いたかったのにな。無駄遣いするなってことかもしれない」
千春がぶつぶつ言うとカイダルにあきれた目で見られた。
「シュゼ、お前、気づいていなかったのか」
「何を?」
カイダルは黙って真紀にあごをしゃくった。真紀ちゃん? あ。
私たちはお互いを呆然と見た。いつの間につけられたのか。髪にも体にも、そしてポケットにもあふれるほどうろこが付けられていた。しゃらん。
「よほど気に入られたんだな」
むしろ、マーキングだろうな。二人は黙ってウロコをはずし、一つ一つていねいにカバンにしまった。後で売れるかもしれない。というか売らないと荷物になる。
さっそくアクシデントがあったが、お酒も手に入ったし、千春はうろこのアクセサリーを手に入れたし、結果的には問題ない。真紀はそう結論づけた。自分が今まで会ったドワーフはみな親切でおもしろい人ばかりだった。ドワーフ領に行きさえすれば、もう大丈夫だろう。
出発のベルがちりんちりんと人魚島に響いた。
旅に出てまだ3時間。
明日は更新はお休みです。




