野生の生き物と目を合わせてはいけない
列車の窓からは、ぼんやりとした光に照らされる通路が見える。列車といっても馬がひくので線路ではなく馬車道だ。トンネルは一定ではなく、広くなり、狭くなりしながら続いていく。
「これをグルドたちが作ったのか……」
「おや、グルドを知っているのか?」
「あ、いえ、有名な人だから」
思わずつぶやいた真紀に、ドワーフの若者が不思議そうに尋ねたので、あわててごまかした。
「有名だものなあ、トンネルの開通に力を注ぎ、列車の仕組みを作った人だから。そのほかにもいろいろ開発していて、ドワーフの誇りだよ、グルドは」
なぜだか真紀も誇らしくなった。
「ほら、トンネルが広くなった。第一の広間に出るよ。列車もゆっくり走ってくれるから、よく見てごらん」
相席の親切なドワーフだった。
「俺はカイダル。こっちはナイラン」
「あ、俺はノーフェ。妹はシュゼです」
「内陸か」
真紀はあいまいに笑った。名前をどうすると言ったときに、
「何か面倒なことになった時に迷惑がかかっても平気な相手の名前」
という千春の判断でこうなった。相手も勝手に内陸の人だと判断してくれるし。千春は結構根に持つのだ。
カイダルの言う通り窓の外を見ていると、確かに列車はスピードを落とした。
「「わあ!」」
それは鍾乳洞だった。ところどころにある灯りに照らされて、乳白色の床に壁に石筍が続く。石筍の先には、明かりに照らされて緑色にきらめく地底湖が広がっている。天井は高すぎて先が見えず、闇が続いている。
「浅そうに見えるが、案外深く、海につながっているという噂もある。しかし真実は人魚族しか知らず、人魚族はそれを教えてはくれないそうだ」
「人魚族?」
「まあ、内陸なら見たことはないだろうなあ。空は鳥族、海は人魚族って言うように、遊び好きで物見高い奴らさあ」
「獣人領の勉強をしたときに、人魚族については聞かなかった気がする」
そう言う真紀に、
「自由すぎて管理しきれないのさ。だから海は海で独立して、どこの国にも属してはいない。次の島で土産物を売っているから楽しみにな」
と言った。海に住んでいて自由なのに、陸に出てわざわざ土産を売っているという人魚族。まったく想像がつかない。地底湖を通り過ぎようとした時、ふと視線を感じた。千春は上を見た。
「目、だ」
「「目?」」
カイダルとナイランは同時に言った。
「目が、なにかと目があった。あ? 近づいてくる」
「なんだと?」
ナイランが身を乗り出した時、列車の窓から、大きな目が覗いた。
「ゲイザー! 何でこんなところに!」
二人はとっさに腰に手をやって剣をとろうとしたが、さすがに剣は荷物の中だった。列車は魔物に気づいたのか、やがてスピードを上げ、ゲイザーは列車の後ろに流れて行く。
真紀と千春は固まり、乗客はざわめき、カイダルとナイランは噴き出た汗をぬぐった。
「油断した……」
「いや、ダンジョンでもないのに魔物が出るかよ。それに窓は閉まってた。どうしようもなかった」
「なあおい、びっくりしたよな、冒険者でない限り一生見ない魔物だぜ?」
「目が、目が合った……目しかなかった……」
フルフルする千春を二人は気の毒そうに見た。
「目が合うと寄ってくる魔物だから、目を合わせちゃならねえんだが、知るわけねえよな」
知るわけがない。
「ノーフェのほうは冒険者になるならしっかり覚えとけ」
「いや、俺は……はい」
真紀は素直にうなずいておいた。ゲイザーは馬車のスピードにはついてこれないようで、そのうちすーっといなくなったらしい。
「いると知ってりゃ対策はとれる。とりあえず、ゲイザーとは目を合わせないこと」
千春はこくこくとうなずいた。でもじっと見られてたら、思わず見ちゃうよね? そんな千春と真紀に、ナイランは干した果物をくれた。動揺を隠せないまま、それでももぐもぐと干し果物をかじる千春を見て、ナイランは「なんか小さい動物みてえ」と思うのだった。これ、いつまでも餌付けしてやりたくなる。どっかに、「餌をやりすぎないでください」とか書いてないか?
そんな失礼なことを思われているとも知らない真紀と千春を乗せて、列車は人魚島に向かうのだった。ナイランが真紀と千春に餌付けしている間に、カイダルは車掌と話し、状況説明をしていた。
「第一広間に向かう逆方向の列車の乗客から冒険者を募るってよ。うまいことアーチャーがいるといいが。ま、割にあわねえ仕事だし、俺たちはこのままドワーフ領に向かおうぜ」
「わかった」
列車は緩やかな上り坂に入っている。少しずつ明るくなり、トンネルを抜けると、窓からは広い海が見えた。
「「わあ!」」
お城から眺めた遠くの海でもなく、港から眺めた湾の風景でもない。窓一面に海が広がり、手前を見れば人間領の大陸が、行く手を見れば高くそびえる山々と共にドワーフの大陸が見える。その中間地点にある島が人魚島だ。
列車は静かに駅に止まった。駅と言ってもタラップから直接地面に下りるだけ。下りてきた人々を待ちかねるかのようにいくつか露店が並び、飲み物や食べ物などを売っている。そして少し海側に寄ったところに、その人たちはいた。人魚だ。
「ほら、あれが人魚族だ。うろこのアクセサリーや、サンゴや貝の細工物を売ってるから、お金に余裕があるなら見てくるといい。一時間で列車は出ちまうから、早めにここに集合だぞ」
カイダルにそう約束させられた。いつの間にか、また一緒に乗ることになっていた。
「ちは、あ、シュゼ、俺あっちの店に寄ってから行くから、シュゼは先に人魚の店に行っておいで」
「わかった。お兄ちゃん」
そう千春に言うと真紀は露店のほうに走って行った。そして鋭い眼で露店をいくつか眺めると、
「おじさん、それください」
とビンをひとつ指差した。それは薄い赤色のハマナス酒だ。海には酒を造るほど甘い食べ物はない。だから人魚族は、海辺に咲くハマナスの実を集めて酒を造る。美しい色をしていて体が温まると女性に評判のお酒だと、港の雑貨屋のお姉さんが言っていた。人魚島の名物なんだって。
「おや、坊主、いくつだい? まだ酒は飲める年じゃないだろ」
「小さいけど、俺もう14だよ。でも俺が飲むんじゃない、ほら、兄さんたちに頼まれたんだよ」
真紀はカイダルとナイランを指差した。
「妹を見てもらって、俺が代わりに買いに来たんだよ」
「そのなりで14かい」
「俺の父さんも後伸びだったよ。これからでかくなるんだ」
「そうかい、じゃあこれ。一本でいいのかい」
「二本くれ」
「あいよ」
真紀は二本受け取るとすぐにカバンにしまった。さあ、次は人魚のお店だ。あれ、カイダルとナイランがいない。
「何だあの数は」
店のおじさんが言った。おじさんの見ているのは人魚の店だ。真紀も同じほうを見ると、千春のいる人魚の店の後ろには、海から上がってくる大量の人魚がいた。何があった?
「千春!」
真紀は急いで走った。
真紀がひそかに酒担当。