そしてやっと
最後の晩餐会の少し前、セーラはマキとチハールの準備のため部屋を訪れていた。二人は準備に手間がほとんどかからないため、着るものを相談して軽く髪型を整え、心構えを話すだけで済む。もっともセーラはもっとお世話をしたかったのだが、本人たちに遠慮されてはどうしようもない。
しかし、ノックをしても返事がない。昨日の出来事に城の者はみんな心を痛めていたが、お二人は気丈に振る舞われていた。お疲れなのでしょうとセーラは思った。
そうはいっても、準備はしなければならない。そっと扉を開け、中に入るが、バルコニーのカーテンが風にそよいでいるだけで、人の気配はない。ベッドも使われたようすがない。
「お二人は外に?」
「扉からは出ておられませんが」
護衛の答えに、セーラが改めて部屋を見ると、テーブルに紙が一枚置いてあった。クローゼットを見るとカバンがない。セーラはいやな予感がした。執務室に急いだ。
「陛下、マキ様とチハール様がどこにもいらっしゃいません! それに、部屋にこのようなものが!」
それは書き置きだと思われた。アーサーとエアリスは頭を寄せ合ってそれを見た。
「なんと書いてある。これは!」
「見せてみろ! なんだ、かの国の言葉で書いてあって読めぬ」
「学者を呼べ! おそらく簡単な言葉で書いてある。対応表を持ってこさせるのだ。それからマキとチハールが行きそうなところを探せ!」
すぐに指示を出すが、セーラがおろおろと言った。
「扉からは出ておられないご様子。しかし、いつもお使いのカバンがなく、バルコニーが開け放してあり……」
「鳥人も呼べ! もしかすると街に出たのかもしれぬ」
場内は急にあわただしくなった。まずサウロとサイカニアがやってきた。
「アーサー、お呼びとか」
「サウロ、サイカニア、今日、少年の格好をしたマキとチハールを運ばなかったか」
「いや、運んでいない」
サウロが応え、サイカニアがうなずいた。
「変装をしていないのか? それとも、街人にまぎれて城門から出たか……」
すでに晩さん会の時間が迫っていた。
「連れて来たぞ!」
聖女のお披露目でお祭り気分の学者が陽気にやってきた。
「これは、すべてひらがなでございますな。ひらがなというのはかの国の子どもが最初に習う言葉でして」
「講釈はよい! 今は早く翻訳を」
「はいはい、えー、署名は『まき、ちはる』ご本人でお間違いないようですな」
「それで中身は!」
「はいはい、えー、『ちょっと』これは少し、わずかと言う意味でございます、えー、『たびに』、に、は接尾語ですから、たび、すなわち、靴下」
「くつした?」
「それか旅行と言うことですな」
「「「旅行……」」」
「『でます』おお、『たびにでます』で旅行に行きますと言うことです」
「なんと……」
「『しんぱい、しないで、ください』心配しないでとお願いしておりますぞ」
「心配しないわけがあるか! 行き先などは!」
「これのみですな」
アーサーは机をダン、と叩いた。
「内陸の奴らめ、もっとしっかり守っておくべきだった!」
「マキとチハールがあまりに冷静だから、あまり気にしていないのかと……すみません」
エドウィが暗い顔をしてそう言った。
「わかっておったのに、我らは、マキとチハールの様子がおかしいことを!」
「セーラは、なにか聞いてはおらぬか」
「内陸の方々にはうんざりしたご様子でしたが、『大人だからいちいち気にしない。税金みたいなもの』といって笑い飛ばしておりました。昨日までは。出て行かれるほど悩んでいるようにはとても見えませんでした」
「アーサー、晩さん会はどうする」
「疲れて休んでおられると言うしかあるまい。そのあと代表のみを呼んで協議だ」
「しかし旅にと言ってもどこに……。マキとチハールなら約束をたがえるようなことはしない……」
エドウィははっと顔を上げた。
「列車だ。父上、列車です。マキとチハールなら、すぐにこの国を出ようとするはずです。貴族の少年二人、護衛なしならまして目立っていたはずです。すぐに人を向かわせましょう」
「よし、宰相、聞きこみと捜索を早く!」
「承知いたしました!」
聖女はお疲れのご様子ということで、集まった面々は残念に思いながらも晩さん会はすすみ、聖女の披露はすべての行事を終了した。あとは外交や観光をして帰るだけ。
しかし晩さん会の後、各国の代表が緊急招集された。
そこには夕食時と違って、硬い表情のアーサーがいた。
「こんな時間に申し訳ない。単刀直入に言う。聖女が消えた」
沈黙が広がった。
「旅に出ますと言う書き置きを残して。どうやら列車に乗ったらしいということは分かった。ドワーフの国に向かったようだ。しかし、現在地はつかめていない」
「この式典が終わったら公式な訪問が予定されていたはずだが、なぜそんな……」
エルフの代表がつぶやいた。
「これ以上人間領にいたくなかったのではないのか」
「鳥人の長殿」
「我らの次代にもだが、聖女にもかねてよりずいぶんな態度であったと聞いている。現に昨日」
ミラガイアは意味ありげに内陸の面々を見た。
「騒ぎを起こした者もいることであるしな」
ここに千春がいたら、「鳥人が頭を使っている」と驚いたことだろう。
「ふん、アーサーよ、そもそもこの国が聖女に対して十分な対応をしなかったのであろうよ」
「なんだと!」
椅子から立ち上がったのは獣人とエルフの面々だ。
「そもそもいなくなったとて、神がまた連れてくるであろうに。何を心配しているのだ」
「そなたは。昨日の真紀の叫びを聞いていなかったのか。聖女といえど、家族もあれば、自分の生活もある。そこから無理に引きはなされてここに来るのだ。神のなさることとはいえ、罪深いこと。それを昨日まざまざと知ったであろうに」
「しかし」
「今代が来られるまでに半年を要した。しかもなぜか二人。神は戯れにこの世界を作ったと言う。戯れに放りだすかもしれぬと、なぜわからぬのか」
「……」
アーサーは集まった人々にこう言った。
「もちろん、これからすぐ捜索し、できれば穏便に帰ってもらい、改めて旅に出てもらうつもりではある。しかし、今後このようなことがまたないとも限らぬ。今代は活発であると、いつどの国に行くかもわからぬと、そうお伝えしておきたかった。それに」
内陸に厳しい顔をした。
「神と聖女について改めて考えなおさねばならぬ国もある。我が国は内陸から正式に謝罪があるまで、出入国を禁ずる。王に伝えよ」
「民が黙ってはいまい」
「ドワーフ領」
「獣人領」
「エルフ領、我ら三領も内陸とは交流を取りやめる。アーサーが謝罪を認めた時点で解除する」
「む、そもそも交流などほとんどなかろう。では我らは失礼する」
そう言って内陸の者は去って行った。
「内陸の王が、魔石の輸入が滞った場合のマイナスをきちんと把握していればよいが。鳥人を派遣するのか」
「そんな親切はしない。内陸へ戻るまで10日間、それから内容が正しく伝わったとして解決に何日かかるか。その間民には苦労をかけるが、このままでは同じことを繰り返す。一度痛い目を見せたほうがよい。それにしてもサウロ、サイカニア」
アーサーはため息をついた。
「聖女を運ばなかったと言ったではないか」
「少年の姿をした聖女は運ばなかった。少女の格好をしていた聖女なら運んだ」
「詭弁を。それがわかればもう少し早く動けたものを」
「マキとチハールには、自由が必要だと、そう思ったのだ」
「そなたたちのほうが本質をつかんでいたということか」
そのころ真紀と千春は、すでにドワーフの国の内陸部に入りこんでいた。
「真紀ちゃん、私気づいちゃったよ」
冒険者の親戚を頼って旅をする兄妹という設定の、妹のほうが情けなさそうにそう言った。
「何に?」
「この変装じゃ、お酒が飲めないことに」
「あ」
旅は始まったばかりだ。
ぶらり旅