~半年後その5~
次の日、早めの朝ご飯を食べると、いよいよ観光だ。
「昨日伝令を頼んでおいたから、そろそろ来てくれるはずだが」
どん、どん、とほんの少しだけ体に響くような音がだんだんと近づいてくる。少しずつ象が近くなってきた。何頭かの群れである。
「思ったより足音が大きくないんだね」
「気にしたこともなかったが、その通りだな」
既に空には白と茶のまだらの鳥人が飛び交っており、若干の不安を感じさせなくもなかった。やがてわくわくして待つ真紀と千春の前に、大きな象が五頭、子どもの象が二頭、止まった。昨日飛行船から見た象の群れだろうか。
「本当に大きい……」
「小さくても大きい……」
近くで見ると大きすぎて全体がわからないほどだ。そして真紀と千春の知っている象と姿かたちは同じだった。
「よく来てくれた。しばし観光に付き合ってはくれないか」
もちろんよ、と言うように喉の奥でくぐもった音がし、静かに鼻が上がった。
「よし、かごを乗せてくれ!」
ディオスの掛け声とともに、簡易に組み立てられた台から、象の体に沿うように形作られたかごが固定されていく。それはまさに平たい鳥かごのようであった。
「一つのかごに、二人ずつだ」
「じゃあ、千春、え?」
真紀は千春と乗ろうとして、エドウィに目で合図された。千春と乗りたいの? という真紀のアイコンタクトに、エドウィはかすかに首を振って、ちらりと横を見た。
「エアリス……」
そこには、エアリスがそわそわして咳き込んだりしている。
微妙な沈黙の後、遂にエアリスが動いた。
「その、チハール、私と一緒に乗らないか」
「え、いいけど」
千春は真紀のほうをちらりと見た。真紀は右手の親指をグイと上げた。千春は片方の眉を上げると、そのままエアリスと一番に乗り込んだ。なんだかグループデートで、観覧車に乗る時みたいと真紀はちょっとおかしくなった。
「エドウィ、いいの?」
「よくはないです。でもマキ、そんな場合ではないですよ」
「え?」
苦笑するエドウィの視線を追いかけ横を向くと、カイダルが立っていた。
「うわっ、びっくりした」
「あー、マキ。マキは私とどうだ」
「う、うん。一緒に乗ろうか」
「ああ!」
そうして次の象に二人で乗り込んでいく。
「で」
「はい」
「俺とエドウィか」
「私、ミッドランドでは結構人気があるんですけどね」
エドウィがため息をついた。ナイランは肩をすくめた。
「じゃあ、行くか王子様。あまり者同士で」
「そうしますか、王子様」
最後は王子様同士のある意味贅沢な組み合わせだった。
「ザイナス、いいのか」
「俺は別に乗りたいとは思わぬ。この草原ならむしろ自分で走りたいではないか」
ザイナスは今回は案内役に徹している。自分だって王やエアリスと同じように忙しいのだが、若者たちの交流に水を入れまいと一歩引いているのだ。エアリスは若くはないけれども。
そんなザイナスたちに優しく象の鼻が触れる。乗らないのか、いいのかと言っているようだ。
「ありがとう。我らは大丈夫だ。聖女たちに付いて行ってはもらえまいか」
わかったわ、と残りの象もゆっくりと歩き出した。
「不思議な感じ」
「何がだ、チハール」
千春がかごの中から一生懸命見ているのは、象の頭と耳と鼻である。鳥人と飛んでいる千春には、象の高さから見る景色は特別なものではない。ただ、象から伝わってくるゆったりとした揺れと、象そのものを愛でるのを楽しんでいる。
「お城の中も楽しいけれど、こうやって外に出ると、やっぱり何もかもから自由になった気がして、それが不思議な感じ」
「まだ窮屈なのか」
「少しね」
かしずかれる生活はやはり慣れないものだ。
「チハールよ」
「なあに、エアリス」
今回の旅は、エアリスはちょっとおかしい。いつもよりそわそわしているし、いつもならすかさず抱き込もうとするのに、微妙に距離を置かれている。千春は少し寂しい気がしていた。
「その」
「うん」
「手を」
「うん?」
手がどうしたというのだろう。エアリスはためらうように手を伸ばすと、千春の右手をそっと持ち上げると、自分の左手の上に乗せた。握りこむでもなく、ただそっと。
それはどうしてなのか、ぎゅっと抱き込まれるよりドキドキして、まるで指先に心臓があるみたいな気持ちになる。
「いつかすべてが落ち着いたら、私がチハールを誰もいないところに連れて行きたい」
「もう連れてきてもらってるよ。こうして飛行船で。お城から出たの久しぶりだもの」
「そうではない」
千春は首を傾げてエアリスを見上げた。いつだって心配して、あれこれ気にかけてくれているのに、これ以上何を?
「二人だけで」
「二人だけ」
千春はエアリスの言葉を何気なく繰り返した。二人だけ。そして重ねられた手。
何かが千春のお腹から湧き上がって、髪の毛をふわっと巻き上げて、頭のてっぺんから抜けていった。
「エアリス、その」
「どうやら私はチハールのことが好きらしい」
そんな気はしていたけれど、そんなはずはないと思いたかった。今のままの優しいかかわりがなくなってしまうのが怖かった。
ゆっくり待ってほしくても、千春の気持ちが追い付くのを待てずに、結局心変わりをされてしまうくらいなら、友だちのままでいたほうがいい。
うつむく千春の目に、エアリスの大きな手のひらと、その上にちょんと乗せられた自分の手のひらが見えた。エアリスの手がたたまれて、千春の手をそっと包み込んだ。
「300年待ったのだから、あと数年待ったとてたいしたことではない。ただほんの少しでも希望があるのなら、教えてほしい」
友だちで。そう言おうとしたのに、なぜ口が動かないのだろう。どうして胸がドキドキするのだろう。エアリスがふと微笑んだ気配がし、手を引き寄せられると同時に、エアリスの長い髪がさらりと千春の視界に入ってきた。
「きゃ」
「うわっ」
プフォっと、大きな鼻息がかごの中に吹き込まれた。
「象さん……」
もう一度プフォっと鼻息を吹き込むと、象の鼻は戻って行った。せっかくかごに乗せているのだから、景色を楽しみなさいと、そう言われている気がした。
「ふふっ」
「はははっ」
緊張が解けて自然に笑いがこみ上げてくる。ひとしきり笑うと、エアリスはいつものように千春をしっかりと腕に抱き込んだ。千春はもう、緊張したりはしなかった。
「ゆっくり考えてくれ」
「うん」
せっかちで心配性のエルフだけど、千春をゆっくり待ってくれる。千春の中で凍っていた何かが、やっとその日動き出したのだった。
「ああ、もどかしい。きゃっ」
「マキ、うわっ」
そしてその頃、マキとカイダルも、プフォっと象から注意を受けていた。まったく、景色を見に来たんじゃなかったの、というわけである。
反省した四人とやさぐれた王子組は、そんなふうに象の背に乗って短いバカンスを楽しみ、数日でミッドランドに戻って行った。
「何かが変わった二人と、変わらぬ四人というところか」
「父上、言わないでください」
「すまん」
ミッドランドでは、にこやかにアーサーが迎えてくれたが、一目で何があったか察したようだ。
「どうだろう。ずっと休んでいてくれてもいいのだが、チハールもそろそろ何か始めないか」
「もう体調も良くなったし、真紀ちゃんと一緒に、あちこちに顔を出したいと思います」
「まだ瘴気が強く残っているところもある。そうしてくれると助かる」
千春は真紀と目を合わせると、ニコッと笑った。
「また旅に出かけよう。みんなと約束したところにも」
「今度はお忍びじゃなくね」
次はローランドか、エルフ領か。それともまた、ドワーフ領か。今度こそ、ぶらり旅が始まる予定である。
真紀と千春の半年後の変化を少しだけ書いてみました。お付き合いありがとうございました。




