~半年後その4~
飛行船はゆっくりと丈の高い草原に下りていく。真紀と千春には草原はどこも同じように見えるのだが、エアリスが着地させたのは、草のない広場のようなところだった。
まずザイナスとエドウィが外に出て、真紀と千春を招いた。二人がおそるおそる外に出ると、案外からっとした空気と、乾いた干し草のようなにおいが鼻をくすぐった。
あんなに近く見えた象や生き物は見当たらず、その代わり、出迎えの人たちがいた。
「わ」
千春は思わず小さな声を上げた。真紀は目をキラキラさせている。それはそうだろう。迎えに来ていた人は猫人だったのだが、見上げるほど大きかったのだ。
ザイナスもおそらく2メートルほどあるが、今まであった森の猫人はどちらかと言うと小柄だった。それがここでは、ザイナスくらい大きいのだ。しかも、黄褐色の毛皮に目立たないがぶちが入っている。家猫というより、ヒョウやライオンのような大きい種類なのだろう。
そんな風に獣人に気を取られている真紀と千春の後ろを守るようにカイダルとナイランが立ち、最後に焦った様子でエアリスが出てきた。
「やれやれ、飛行船は便利だが、自分が操縦士というのは遊びたいときには不便だな」
「ザイナス、エアリス!」
ザイナスと同世代と思われる大きな人が二人に声をかけた。
「ディオス! 息災か!」
「急に連絡をもらって驚いたぞ! 瘴気が濃くても魔物の出ないこのあたりには、聖女は無縁だと思っていたからなあ」
ザイナスの挨拶に豪快な声で答えるディオスという人が、ここの代表なのだろう。
「今回は仕事ではなく、休暇なのでな。くれぐれもご無理は」
「わかっている」
ディオスはザイナスの注意を受けながら、真紀と千春に向き直った。
「聖女の苦難、こちらにも届いております。私はこのあたりの代表のディオスと申すもの。聖女方よ、素朴なもてなししかできませぬが、くつろいですごされますよう」
「ありがとうございます。私は真紀」
「私が千春です」
「おお」
ディオスは目を細めると背を丸めるようにして真紀と千春をしげしげと見つめた。長い尻尾が後ろでゆらりゆらりと揺れている。
「見たところ、こちらが戦う聖女様で、こちらが癒しの聖女様だな」
真紀と千春は呆気にとられ、ポカンと口を開けた。
「おいディオス! 本人たちは知らぬのに!」
ザイナスが慌てて止めるがもう遅い。
「戦う聖女に」
「癒しの聖女?」
どこからそんな名前が付いたのか。真紀も千春も、真紀がやや行動派で千春がやや静かさを好むというだけで、大して変わらぬ社会人だと思っている。ちょっと真紀が行動的なだけでなぜそんな名前が付いたのか。
「ほら、チハールがさらわれた夜、マキはカラテとかいう武道の模範演技をみせただろう。まず獣人領から広がってな……」
「それはまあ、わかるけど、千春の癒しの聖女はなんで?」
「さらわれても魔物を癒し魔石に戻した聖女ということでな、その」
結局さらわれた件がきっかけなのである。
「さらわれ聖女とかじゃなくてよかったと思うしかないよ」
「千春……」
千春のさらわれやすさはもはや伝説級であろう。それを証明するかのように、突然不吉な羽音がした。
「サウロ?」
「サイカニア?」
バッサーと枯草を巻き上げて着地したのは。
「あんな軟弱な奴らと一緒にするな」
「羽が白いだけの都会っ子よね」
茶色というより茶色と白のまだらの、大きな鳥人が何人も集まってきていた。
「軟弱だと? 自分の住んでいるところの外も知らぬ田舎者が」
「白いだけ? この羽がどれだけ遠くに行けると思ってるの?」
そこにサウロとサイカニアが飛び込んできててんやわんやである。
「この地域だけの少数民族なんだよ。独立心と好奇心が強くて、なかなか他の鳥人族とは交わらないのよな」
「じゃあこの鳥人たちがもしかして」
「かごに群れて人をさらおうとする奴らだな」
「ああー」
納得である。
「あああ、だからエルフ領の山奥に行った方が静かでよかったのだ」
「エアリス」
千春はエアリスに近寄ると腕をぽんぽんと叩いた。
「ずっと飛行船を操縦してくれてありがと。エルフ領の滝もいつか連れて行ってね」
「も、もちろんだとも」
今まで遠慮なしに千春を抱き込んでいた手は、千春の後ろでどうすべきかさまよい、なんなら顔もほんの少し赤い。
「中学生か」
真紀の小さな突っ込みは鳥人の騒がしさに紛れて消えた。
「なに、かごに入ってさえしまえばいくら鳥人が来ても心配ない。明日は朝から象に乗るぞ」
「やった!」
「酔うと象に乗るのが大変だから、今晩は酒はなしだがな」
「そんな……」
ザイナスと話していて天国から地獄へ落ちた真紀である。しかし、そもそも獣人領には名物の酒はないので、それも仕方がないのかもしれない。
サウロとサイカニアとは仲が悪そうな鳥人にも渋々と紹介され、落ち着いたところで少し離れた小高い丘にある村に向かうと、そこはコテージのような小屋が並んでいる美しい村だった。草原ではまばらだった木も生えているので、昼には日陰をつくるだろう。
「レンガ積みとかじゃないんだね!」
「木はどこから持ってきているんだろう」
真紀と千春が目を輝かせてきょろきょろ見渡した。歓迎の猫人たちがわらわらと集まってきてる。
「あの遠くの山からだし、重い物をもって来るのはそう苦ではないからな」
「そうだね。魔石があるんだった」
「さ、ゲストハウスに案内するぞ。まずは少し休むがいい」
そう言って案内されたゲストハウスに入ってみると、一部屋だけだがとても広い。ちょっとした集会も開けそうだ。
「ハンモックだ!」
「これに寝るの?」
ディオスは満足そうに頷いた。
「人族は床に寝るのは好まぬらしいからな。はじめは大変だが、慣れるといいものだぞ」
真紀も千春もさっそくハンモックに近寄ってみた。
「その網を開いて、まず尻から座る、そう、うまいぞ」
真紀ならすぐにでもできそうだが、なぜか千春からやってみることになった。
「それから足を乗せて、ああ、斜めでいい。そのまま好きな位置に動いてごらん」
「わあ」
「千春、どう?」
「快適としか。ああ」
真紀、エドウィと、背の小さい順から次々に乗っていく。
「俺の重さでもいけるか」
カイダルも慎重に尻を乗せて見ているが大丈夫そうだ。ナイランとエアリスは慣れているようですぐにハンモックに落ち着いた。
「ゲストハウスは一軒だけなので、ここでみんなで休んでくれ」
「「はーい」」
真紀と千春のいい返事と共に、どさっと重い物がハンモックから落ちる音がした。
「待て、いや、待ってくれ。年若いとはいえ女性と一緒の部屋では、その」
カイダルが真っ赤になっている。
「お風呂と着替えの時だけ外に出てもらえば別にかまわないけど」
真紀と千春、エドウィにアーロン、そしてエアリスは一緒に飛行船で一晩過ごしたことがある。今更だと思う。しかし、真紀がエアリスのほうを見やると、エアリスもハンモックにのびたまま不自然に硬直している。どうかしたのかな、エアリスはと真紀は不審に思った。
「まあ、何とかなるだろう。では少ししたら外で夕食だ」
ディオスは、はははと笑うと外に出てしまった。部屋にはなんとなく気まずい沈黙が落ちた。
「仕方ないですねえ。気になる方は外に出ていてもいいですよ。でも、私はここでマキやチハールと一緒に寝ます」
「エドウィ!」
真っ赤なカイダルに、エドウィは肩をすくめる。
「女性どうこう言う前に、我らは旅の仲間。カイダルが外で休むと知ったら、気にするのはマキとチハールですよ」
「た、確かに」
やっぱりエドウィが一番大人な気がする千春である。無人島の時は一人で赤くなっていたような気がするが、進歩したものである。すったもんだあっても、結局一緒に過ごすことになった一行は、その後焚火で焼いた何かの肉の丸焼きを村の皆と楽しんだのだった。
更新日が混乱するので、次のお話は来週の水曜日の予定です。