持たざる者
千春はノーフェとゆっくりと話をしていた。
「少しは休もうか」
「いや。こうしてゆっくり座りながら話をしているから大丈夫だ。それにしても、床に直に座って辛くはないか」
「まあ、ソファに寄りかかってるし、もともと私のいた日本という国はね、靴を脱いで床で生活する国だからね」
「そうなのか」
ノーフェと話す、と言うより、千春が面白い話を聞かせているといった方が正しいかもしれない。こうして人に話していると、こちらに来てから随分波乱万丈の生活をしてきたものだと思う。
ノーフェなんて、と思っていたが、嫌味を言わずに静かに話を聞くノーフェは、エドウィには及ばないもののなかなか整った面立ちの好青年なだけでなく、感じのいい聞き手でもあった。
「朝までだけだと、グロブルに行ったところまで話せないなあ」
熊に襲われたり、温泉に行ったり、もちろんそこでうっかり覗かれたことは内緒だが、やっと領都にたどり着いたり、そんなことを話しているだけで随分時間が経ってしまった。
「いつまでここにいるかわからないが、いつか旅の最後まで話で聞かせてくれないか」
「そうだね、まだまだあるからね」
何となく寂しそうに笑うノーフェは、その後の展開の予想がついていたのだと思う。しかしその予想については、千春のほうが上だったと言わざるを得ない。
「ねえ、ここにいる時って限定しなくてもいいんじゃない?」
「それは、どの面を下げて会いに行くというのか、いや、そもそも」
その先は続けることができなかった。ノーフェはうつむいて黙り込んでしまった。
ほんの少しでも眠ろうという千春の提案はしぶしぶと受け入れられ、結局はノーフェはベッドに追いやられることになった。疲れていたのか、素直に寝息を立てるノーフェを確認して、千春は牢の鉄格子と向き合うソファに移動してきた。
「案外、言うなりなのよね、ノーフェは。押せばたいてい言うことを聞くんだもの。その素直さを、つまりおじさんに利用されたか、そう育てられたのか」
しばらくすると、ぎぃっと、しかし静かに廊下側のドアが開いた。体感的にはもう夜は明けているような気はした。数人の人が入ってくる。千春はソファに寄り掛かって足を組んだ。
「ねえ、アドル侯だっけ。国を一つ、思い通りにするのは楽しかった?」
「楽しかったなどと。誰もするものがいないから、私が仕方なくやっただけのこと。苦労ばかりであったよ」
やれやれと言うように肩をすくめるのは、お披露目の時に会って以来のアドル侯だ。
「それならもう王子様と交代したらどうなの? 18歳は成人なんでしょ?」
「それがなあ。ノーフェは何を勘違いしたか、王を人質にとって、自分が王に成り代わるといいだしてな」
「へえ、おかしいね。何もしなくてももうすぐ王になれるはずなのにね。いつまでも叔父が代理にしがみついていなければだけど」
ベッドのある部屋の方でかすかな音がした気がするが、大丈夫。こちらには出てこないように言い聞かせてある。
「まだまだ王としては未熟。もう少し成長を見てから交代しようと思っていたのだが」
「王として成長させるためにあなたは何をしたの?」
千春は厳しく追及した。しかし、アドル侯は答えず、連れて来た数人の兵に合図をした。
兵が五人、鉄格子越しに槍を突き出し、千春の顔に向ける。
「さあ、ノーフェ、いるんだろう。お前が出てこないとご婦人が怪我をしてしまうよ」
「出てこないで! 傷つけるつもりがあるなら、最初から牢になど入れないでしょう」
「状況が変わったのだよ。それに多少傷ついたとしても、死にさえしなければ魔石は取れる。ノーフェ、それでいいのかい」
バタンと、寝室に続くドアが開いた。千春はあーあと目をつぶった。もっとよく言い聞かせておくんだった。
「叔父上! やめてください! 聖女には関係のないことでしょう!」
ノーフェは槍と千春との間に割り込み、後ろ手で千春に寝室に入れと合図する。しかし、千春の横には槍が差し出され、身動きできない状態になってしまった。
「そんなに王座が欲しければ、父上と私とに相談すればよかったではないですか! 叔父上に治世の能力がないわけではない。それに、もともと王族は民の管理者。必ず直系が継がねばならないということはないはずです」
「建前はそうでも、まったく瑕疵のない王子を廃嫡する理由などどこにもない。お前が生きている限り、私が王になることはできないのだよ」
「私にはわかりません! そうまでして王になりたいのですか!」
「それを持っていて当たり前の者には、一生わかるまい」
そう静かにつぶやいたアドル侯の目は静かだったが、今の千春にはわかる。アドル侯の体が瘴気に満ちていることを。
なんのきっかけだったかはわからない。しかし、この地下洞窟の存在を知ってから、少しずつ瘴気の影響を受けて来たのではないか。気持ちが荒れるもの、自分勝手になるものが多い中、自分の中で少しずつ王になりたいという欲望を育てていったのだろう。
千春はちらりと洞窟との境目のほうを見た。
「無駄だ、聖女よ。聖女が魔物に好かれるという報告は受けている。ドワーフ領では魔物を鎮めたというではないか。よもやそんなことはあるまいとは思ったが、魔物を呼び寄せるかもしれないと思って、魔物の洞窟は遮断しておいた」
そこが昨日閉められたのは千春も知っていた。
「王を解放しようとした戦闘においてノーフェ王子は死亡。そういうことになる」
「叔父上!」
「聖女は役に立つ。残しておけ」
「叔父上!」
ノーフェの叫びもむなしく、アドル侯はそのまま去っていった。
残った五人の兵の一人が、槍を下に置き、牢の鍵を取り出す。
「ちょっと! 自分の国の王子を本当に殺す気なの?」
千春の叫び声にも少し怯むが、害意は明らかだ。
「そう。それなら仕方ないね……」
千春はソファに座ったまま、ぽつりとそう言った。
「本当にこれだけはやりたくなかったんだけど、命には代えられないよね」
「チハール?」
ノーフェが声だけで千春のようすをうかがう。千春は静かにこう言った。
「さあ皆、槍を持った人に集まれ」
その瞬間、今まで明かりの陰でしかなかった闇が動き出した。その気配に兵ははっとし、上に目をやる。
「げ、ゲイザー?」
「さあ、遊んでいいのよ」
天井にずっと張り付いていたゲイザーが次々と動き出した。
「う、うわあ!」
ゲイザーにぶつかられた兵は次々に逃げ出した。もちろん鍵を持った兵士も、鍵を握りしめたまま逃げて行ってしまった。
「あ、しまった! もうちょっと待てば鍵が開いたのに!」
千春は偉そうにしていたけれど、やっぱり怖くてゲイザーへの指示が早めになってしまったのだ。
「肝心のところで役に立たないんだから! もう、私め!」
自分を責める千春の目の前に、ふよりと小さいゲイザーが降りてくる。
「え、そっちの扉が開く?」
ぎぃっと、今度は王の部屋につながるドアが開こうとしていた。
月木は「転生幼女」、金は「異世界癒し手」、水は「ぶらり旅」の予定です。
【宣伝】「転生幼女はあきらめない」は2月15日発売です!予約も開始されています!詳しくは活動報告を。
まずはなろうで読んでみてくださいませ!幼児が頑張るお話です(´ω`)