鏡の湖
真紀は一晩しっかり休んだ。休まなければ動けないという危機感もあったし、何よりも、鳥人との強行軍に疲れ果てていた。はっと目を覚ました時にはずいぶん日は高く上がっていたものだ。
「しまった、休みすぎた!」
「大丈夫でございますよ。疲れの取れぬままに動かれても、十分に働けるとは思いませんし」
あわてて起き上がる真紀に声をかけたのはセーラだ。いつもは真紀か千春が声をかけてから部屋に入ってくるのだが、珍しく最初から部屋にいた。そして起き上がった真紀にお茶を手渡す。
「ふふっ、緑茶だね」
「ええ、かの国と違い四季の差があまりないミッドランドでは、次々と新芽が出るので、いつでも新茶が楽しめることがわかりました。これもマキ様のおかげです」
「いやいや、たまたまだよ、たまたま」
真紀の眠りが浅くなるタイミングを見計らい、セーラがいれてくれたお茶の香りで目が覚めたらしい。心配でついてくれていたのだろう。
「チハール様のこと、心配ですね」
「うん。でもね、私たちを取り換えのきくものとして馬鹿にしていた内陸だから、最初危険かと思ったけど」
真紀は昨日の千春からの情報を思い出しつつ言った。
「軟禁して、魔物から簡単に魔石を作らせようとしているみたいなの。それだって腹が立つんだけど、少なくとも利用価値のある間は、すぐに何かするわけでもなさそうなんだ」
そうしてお茶を飲み干し、思い切り伸びをするとベッドから降りた。
「だから大丈夫。いや、大丈夫じゃないけど」
真紀は苦笑すると、
「政治的なことはアーサー達に任せて、私はなるべく早く千春を解放することに専念するよ」
と宣言した。
「マキ様も大事なお体にございます。無理なさいませんよう」
「うん! セーラにおみやげ買ってあるんだけど、全部が終わるまで待ってね。獣人領に置いてきちゃった」
「まあ、お二人そろって渡してもらえるのを楽しみにしておりますね」
そんなセーラに見送られつつ、アーサー達と改めて今後を話し合い、昼前には真紀とエドウィは鳥人たちとと共に内陸に飛び立った。
目指すは鏡の湖である。人魚運搬要員の鳥人たちは、すでに早朝に鏡の湖に向かっている。どのように合流するのかは不明だったが、とにもかくにも行ってみなければ始まらない。行動力の塊、それが鳥人なのである。
「面白そうなことなら、という条件が付くけどね」
「その通りです。重い人魚を運ぶことの何を面白いと思ったのか見当もつきませんが」
真紀とエドウィはこそこそとそんな会話を交わすのだった。
途中で一回休憩を取った後は、まっすぐに鏡の湖を目指す。以前ローランドから内陸に向かった時は、何度も休憩したうえ、最後は一泊して馬車だった。その時とは鳥人のパワーもスピードも段違いだし、運ばれる自分たちの体力も上がっている。夕方には鏡の湖の手前の山の空き地に着いた真紀は、その成長ぶりに苦笑するしかなかった。
「こないだ来た時は、黙って宿を抜け出したらここに犬人もいて、怖がられたりしたんだったなあ」
そこから季節が一巡りもしていないのに。しかし思い出に浸っているわけにもいかない。と、湖のほうから鳥人がやってくるのが見えた。白い羽の鳥人は、朝にミッドランドから飛び立ったばかりのはずだ。
「サウロ!」
「ミックか。人魚と落ち合うことはできたか」
ことさら姿を隠していたわけではない。堂々と飛んできたのを、湖のほうから見張っていたのだろう。真紀たちが飛び降りてそう間をおかずミックと呼ばれた鳥人はやってきた。
「できたといえばできた」
「なんだ、あいまいだな。つまりどういうことだ」
「つまり、そう」
ミックは言いかけて詰まった。
「とにかく、湖の離宮に来てくれ。来てくれればわかる」
「待て。今俺たちの存在が王族側に知られてはまずい」
「もうそういう問題ではないんだ。離宮は制圧されている。聖女にも危険はない」
ミックの言葉に一瞬時が止まった。
「せ、せいあつ?」
「説明しづらい! いいから来てくれ!」
ミックという人は信頼できる人のようだ。サウロとサイカニアはとりあえずミックの言う通りにしようと提案してきた。
「よし、近くだから歩いても行けるね」
「そうしましょうか、お、おい!」
15分も歩けば離宮のところを、有無を言わせず鳥人に運ばれる真紀とエドウィなのだった。
「確か前回はここから逃げたんだったね」
「今度はここから入るということでしょうか」
短距離の移動とはいえげんなりした真紀とエドウィが連れてこられたのは、人魚の長が閉じ込められていた、いや、面倒くさがって逃げなかった客室の前だった。後ろを振り向けば、すぐそこに鏡の湖はあり、紅葉しかけた周りの木々が美しく湖面に移っていたはずだった。本来なら。
しかし、今ここはがやがやと人が行き交い、湖はと言えば、どこかで聞いたようなばっしゃーんと大きな魚の跳ねる音がし、泳いでいる何者かで湖面は落ち着かない。つまり。
「マキ、それにミッドランドの王子。遅かったな」
「アミア……」
遅かったなじゃないよ。鳥人に運ばれやすいように軽い人魚をそろえるからって言ってなかった? アミアってめちゃくちゃ重かったよね。
長椅子を部屋の外に持ち出し、優雅に座るアミアを見ながら、真紀はアミアを運ぼうとして重くて苦労した自分たちを思い出していた。
「アミア、どうしたというのです。内陸の城まで運んでもらいたいという要請は確かにサウロが聞き届けましたが、なぜあなたまでこちらに」
「なに、チハールがさらわれたとあっては人魚族も黙ってはおれまいよ」
当たり前のことを聞いてどうするというようにアミアはエドウィに平然とそう答えた。
「百歩譲って、人魚族の長であるアミアがここに来たのは良しとしましょう。しかし、この離宮のようすは一体どういうことです」
エドウィの声は少し震えていたかもしれない。離宮にはいわゆる人族の姿はなく、数多くの人魚が物珍しそうに行き来している。
「なに、緊急事態ということで、離宮を明け渡してもらった」
明け渡してもらった。
「では、元々いた侍女や警備の者は……」
「警備の者は言うことを聞かぬので地下牢に。侍女はそのまま働いてもらっている」
つまり、武力で制圧したと。そういうことである。
「たしかサイアが、どの領にも守られず、どの領にも属さないと。バランスを傾かせ、いさかいを産むようなことはしたくないと言ってたと思うんだけど」
真紀はむかむかしながら思い出していた。あいつめ!
「ふうむ。それもまた真だが、先に愛し子に手を出したのは内陸である。これは人魚に宣戦布告をしたも同じ。そこを丁寧に説明し、聞き届けぬものだけ地下牢に入れてある」
特に問題はないというアミアの口ぶりに、頭の痛い真紀であったが、ここはサウロとエドウィに頼ってしまおうと考えた。
「まあ、そう言うことならここを拠点にしようか」
「そうですね、牢にいる者たちの待遇をきちんとしておけば大丈夫でしょう」
適応が早すぎる! サウロもサイカニアもエドウィも、もう済んだこととして話を進めている。
「では私は人族の代表として侍女たちを安心させてきましょう。マキは少し休んでいてください」
「私たちも城までの編成を練ってくるので、マキはアミアを頼む」
そしてさっさとどこかに行ってしまった。
「ええ……」
「とりあえず、隣に休むがよい」
真紀は呆然としたまま、ふらふらとアミアの隣に座った。千春、いろいろな意味で早く会いたいよ……。
明後日金曜日から、「異世界癒し手」ゆっくり再開します。明日は転生幼女!
今年もよろしくお願いします(´ω`)