情けない王子様
この場で一番冷静だったからと言って、その冷静さが自分の好ましい結果であるかどうかは別である。
千春は何も自分が特別な人間だとは思っていない。聖女と呼ばれて、聖女にしかできない仕事をしてはいるが、それは単に自分の業務である。
だが、自分たちの城の地下に、うら若い乙女が一人、鉄格子の向こうに閉じ込められているのに、その本人に聞くのが、
「どういう事情でつかまっているのか」
ではなく、
「なぜ内陸に魔物がいるのか、魔物自身に聞いてくれ」
ということではがっかりしたとしても仕方がないのではないか。千春は思わず腕を組んでため息をついた。
「あのね、そうすることで私に何のメリットがあるの?」
「メリットだと?」
アランは魔物から目を離さず、千春の言葉を繰り返した。千春は懇切丁寧に説明した。
「私は今、あなたが大切だと思っている故郷の内陸にさらわれて閉じ込められているの。困っているの。自分が一番つらい状況にいるの。それなのに、そのことを何も考えてくれない人たちのために、指一本動かしたくないと思ってもおかしくはないでしょ」
「そ、それは」
「魔物に聞いてもいい。でもそれは私を牢から出してからにして」
八つ当たりだろうか。千春はちょっとは考えた。魔物に近しささえ感じている自分にとって、魔物は全く怖いものではない。むしろここまで、人族よりよほど助けられてきた。千春はちらりと目の端で小さいゲイザーを確認した。鉄格子の上の端の方で見つからないようにふよりと揺れている。
そして、長年魔物は倒すべきものと考えてきたこの世界の人々が、そう簡単に考えを変えないだろうというのもわかってはいる。
だから千春は、この二人に何かの期待をするのはもうやめようと思った。こうして静かに待っていれば、必ず真紀やほかの仲間たちが助けに来てくれるのだから。しかし、意外にも、
「そうだな、アラン。娘の言っていることが正しい」
と、魔物に背を向けて、牢のカギを調べ始めたのはノーフェだった。
「これは合鍵か職人を連れてきて壊すかしかないな。単純だがずいぶん丈夫に作られている」
「合鍵のありそうなところはわかるか」
「叔父上本人が宰相だからな。城の管理は今叔父が一手に引き受けているから」
ノーフェはアランに首を振った。たぶん手に入れるのは難しいのだろう。そのままノーフェは、ソファに座ったままの千春をじっと見つめた。千春はちょっと居心地が悪かったが、正面から見返した。
ミッドランドの城にいた時のあの上から見下すような視線はもう湖の時からなくなっていた。今もさげすんでいるようには見えない。ただ純粋に千春を心配し、そして何か苦悩を抱えているように見えた。その時間がそれほど長くはなかったとは思う。
「みかんの娘、いや、聖女チハールよ。手を。ミッドランドであれほど皮肉を言った私が言えることではないとわかってはいるが、手を取らせてはくれないか」
「ノーフェ、お前」
少し唖然とした従者も、その一瞬後には同じようにノーフェの隣に並んだ。
手を取らせる? 何のことだろう。ノーフェとアランは鉄格子の前に片膝をついてひざまずき、鉄格子から千春に手を伸ばした。これはアレか。騎士の誓いとかなんとか? 千春はそう思いついて、やや残念な気持ちになった。きっと乙女のあこがれのシチュエーションなのに、そこはかとなく漂うこの残念臭はなんだろう。ま、相手がノーフェだからだよね。
それでも千春はソファから立ち上がると、鉄格子に近付き、ほんの少しためらいながらノーフェに右手を差し出した。ノーフェはその手を両手で受け取ると、それを押し頂くように自分の額に当てた。
うわあ。真紀ちゃんが見てたら絶対に指をさして大爆笑だな、これ。そんな心の声がしたが、千春は黙ってそれを受け入れた。
だいたい、この状況できゅんとしない自分も自分だし。それに、かすかだがノーフェから瘴気の気配がした。それはこの部屋にいたからついたものかもしれないし、元からついていたのかもしれないが、そこまではわからなかった。その瘴気は千春が触れた途端霧散した。
「聖女チハールよ、今までの無礼を謝罪する。ただの、ただの少女ではないか。みかんを売っているような、そしてただそこらへんにいるような普通の」
謝罪していても失礼だな、この人は。千春は正直なところ口の端が思わずピクリとするほどいらっとしたが、まあ謝っているのだから仕方がないか。そしてノーフェは顔を上げて、何かを期待するような目をした。何を? 千春はちょっと首を傾げて、慌ててこう返した。
「許します」
許したくないけれども! 大人だからね! ノーフェはほっとしたような顔をして手をそっと離した。正解だったらしい。残念ながら騎士の誓いとかではなかったようだ。次は従者の人だ。
「俺は、いえ、私はノーフェ様の従者でありながら、その行いをいさめもせず、役割を放棄していたことを謝罪いたします。これからは主と共に償いを」
「許します」
アランという人にも、やはり瘴気はたまっていた。二人ともすっきりした顔で立ち上がった。ノーフェが鉄格子を握りながら、
「すぐ鍵を開けて逃がしてやりたいが、今は難しい。必ず何とかするから、少しの間だけ我慢していてくれないか」
と言った。
これですよ、これ。最初からこうだったら千春だって何も文句はなかった。まあ、少し後回しになりはしたが、合格でしょう。千春は、ちゃんと話をしてやることにした。
「どうやらここにはもともと洞窟があったようなの。その洞窟を奥に掘り進めたら、ダンジョンに行き当たったらしくて。ダンジョンの中で、静かにしていた魔物を起こしてしまったようなの」
「もともとあった? それも知らぬが、さらに掘り進めていただと? そんなこと聞いたこともなかったぞ」
ノーフェはかなり驚いたようだった。
「魔物に細かい時間の観念はないから、それがいつからかはわからない。でも、おそらくそのことを知っている人が身近にいるはずだよ」
「叔父上か……ありがとう、チハール」
「うん」
「その、我らは一旦戻るが、無理をせずにな」
「ありがと」
結局二人は何もできずに、また隠し扉からどこかに消えてしまった。
「ま、たぶん期待できないよね。間抜けな主人に間抜けな従者。私は仕方ないから、魔物に癒されつつ、真紀ちゃんを待つ。絶対来てくれるもの」
千春はそうつぶやくと、鉄格子の外からは見えないところにある寝室に入り、そこにあったベッドにもぐりこんでさっさと寝てしまった。身動きできずに運ばれるのがどんなにつらいことか。次に起きたのは、廊下側の窓が開いて、朝食が差し入れられた時だ。
「多分三食出してくれるはずだから、それで日にちを数えよう。その間、しっかり食べて休むこと」
そう自分に言い聞かせて、朝ご飯を食べ、魔物を少し魔石に還し、お昼ご飯を食べて寝て、夕ご飯を食べ終わった時。丸一日たって、廊下側の扉がぎぎーっと開いた。
千春は警戒した。何もないと思うが、アドル侯と話すのはすごく嫌だ。しかし入ってきたのは、アドル侯ではなく、手を後ろで縛られ、さるぐつわをされたノーフェだった。
「殿下、申しわけありません。聖女様もです」
昨日千春を運んできた人が、そう言いつつも鍵を空けてノーフェを牢の中に押し込んだ。と同時にかがむふりをして何かを落としていった。鍵はまた閉められてしまった。
千春は男が落とした何かを拾った。小さいナイフだ。これで縄を切れということか。
それにしても、一日で戻ってくるとは、何とも情けなく頼りにならない王子様なのだった。
来週から少し事態が動き始める予定です。
みかんの娘のエピソードは、「ぶらり旅」3巻で一気読みはいかがですか!