巡り巡るものたち
真紀と千春は隣り合って並んだ。ダンジョンに背を向け、手前の森林地帯のほうを見る。と、千春の額から、そして真紀の額からも美しい乳白色の輝きがきらりと落ちた。その額にはすでに次の魔石が生成されようとしている。
「おお」
「聖女の魔石」
「美しい……」
レイアは荒れていた獣人たちの心が静かに凪いで行くのを感じた。そうして周りの空気に集中すると、確かに先ほどまでのひどい瘴気は既にだいぶ薄くなっていた。
「これが聖女の力……」
つぶやくレイアの前で、千春は既にダンジョンの外に出た魔物に呼びかけていた。
心のスイッチを切り替えるようにして、ゲイザーに焦点を合わせる。広がる森の中に、ぽつ、ぽつと、人里を目指すかのように向こうのほうへと移動している。ダンジョンの魔物よりはよほど遠くへ行っているから、その気持ちを読み取るのも容易ではない。
千春は目をぎゅっとつぶって眉をひそめている。つながれ、つながれ、疲れて漂っているゲイザーにつながれ。
そんな祈りを隣で感じながら、真紀は周囲をしっかりと警戒していた。いくらザイナスやレイアがいい人でも、いやいい人だからこそ、悪意にはまったく敏感ではないということが真紀は最近わかってきた。
ミッドランドの城の騒動しかり、人魚の長救出作戦しかり。自分たちが聖女が大切だから、みんなだって聖女が大切に違いないと無意識に思っているのだ。
真紀も今まで会ってきた人たちは大半はいい人たちだったと思う。だが、一番厄介なのは、人魚のサイアのように、
「聖女とはそういう存在である」
と思っている人たちだ。つまり、大切にすべきものどころか、人とすら思っていない人たちだ。一見大切なように振舞うが、なにかあれば切り捨てて構わないと思っている。
しかし、ここ獣人領にそんな危険があっただろうか。
「鳥人か」
真紀は直接視線をやらないようにしながら、茶色の羽の鳥人たちのほうに意識を向けた。
「あの好奇心や無邪気さが、聖女という人そのものに向いたらちょっと迷惑だけれど、サウロやサイカニアのようなよい友人になる。でも」
真紀は考える。
「それが聖女という、瘴気を集め、魔石を作るというモノにむいてしまったら?」
もちろん、それは考えすぎかもしれない。しかしお風呂を見に来た鳥人には悪意はなく、無邪気な好奇心しかなかった。それが怖いのだと真紀は思う。
「ん」
千春が何かに気が付いたようだ。
「つながった。やっぱり疲れてるみたい。そして喜んでるよ。このままどこまで行かなくちゃいけないのかと思っていたって」
「そうか。かわいそうにね」
千春がつながったのなら、真紀ともつながりやすいだろう。真紀はしっかり目を開けたまま森のほうを探る。
「ザイナス。聖女方は何を言っているのだ」
「レイア。話は行っているだろう。聖女は魔物の声を聴くことができる。今、恐らく森に散ったゲイザーの声を聞き取ったのだろうよ」
「むう。それはなんとも」
レイアが真紀と千春を見ながらうなる。レイアはかわいいもの、小さいものが好きだ。オーサから聖女の話を聞いていて、かわいいうえに面白いという聖女に会うのをずっと楽しみにして来た。
いきなり緊急状態での出会いだったのが悔やまれる。
胸で手をぎゅっと握りこんで眉をひそめている千春。その横で凛と森のほうを見ながら、千春を守るように立つ真紀。
「かわいい……」
気を付けていないと思わずふにゃりと崩れてしまいそうなレイアの腰に、ザイナスがそっと手を回し、
「そんな場合ではないでしょ」
とレイアに手を叩かれていた。オーサが何とも言えない表情でそれを見ている。そんな風に少しだけ緊張が解けてきた頃、
「来た」
と真紀の視線が少し上に上がった。ゲイザーだ。
「見ろ、ゲイザーだ!」
上空を飛んでいた鳥人から警告の声が上がる。そのゲイザーは心なしかふらふらしながら、聖女の元をまっすぐ目指している。
「鳥人よ、手を出してはならぬ」
「しかし」
警戒態勢に入っているまじめな鳥人がザイナスに反論しようとする。
「大丈夫だ。マキとチハールに任せてよい」
そのサウロの声に渋々と引いた。しかし警戒態勢は解いていない。その一つに注目している間に、空にはさらに一つ、二つ、三つと、そしていつの間にか森が厚みを増しているように見えるほどゲイザーが集まってきていた。
「これほどの数が外に出ていたとは……」
レイアは呆気にとられた。
「もしかして、ここ数日気が付きにくい夜などに外に出ていたのか」
真紀と千春が見るそのゲイザーたちは、一つ一つが大きく、そして疲れ果てていた。
「混んでいた? 魔物が多すぎたって、君たちも魔物なのに」
獣人たちが今にも飛びかかりそうな中、その中でも大きいものが千春の前にやってきた。千春は両耳に手を当て、必死でゲイザーの心を読み取ろうとする。声は耳に届くわけではないけれど、そうすると魔物に集中できる気がしたからだ。
「巡り巡る命の中でも、これほど仲間が増えたことはない」
その千春の声に、そばで聞いていた獣人たちがどよめく。
「しっ、静かに」
レイアは鋭い声を出してそれを押さえた。
「そなたが教えたとおり、ダンジョンの中で一つにまとまってはみても、それでも込み合ってダンジョンが息苦しい。本来、少しずつ大きくなりながらダンジョンの外を目指す我らが、大急ぎで外に出なければならなくなった」
なぜそもそも数が増えている。なぜ今このような状況なのか。ザイナスはその千春の翻訳に納得できない思いを抱いたが、そんなことを言っても仕方がないのも確かなのだ。
「内陸で起こったこと、ここのゲイザーにもちゃんと伝わっているんだね」
我らは巡り巡るものだから。千春にそう答えが返ってきた。
「もういいの?」
ゲイザーが優しくゆらりと揺れた。千春と同じほどに大きいゲイザーは、千春の伸ばした手にそっと甘えるように、額を押し当てた。と、しゅるんと内側に巻き込まれるように形を失い、からんと音を立てて地面に魔石となって落ちた。
「おお」
「これが聖女の力」
「すばらしい」
どよめく獣人たちの中で、レイアとザイナスとオーサ、そしてサウロとサイカニアだけが千春がいつもと少し違うことに気づいていた。珍しく、額の汗をぬぐっている。心なしか息も荒い。
しかし真紀が隣に立ち、千春と目を合わせ頷き、千春の左手を握った。はっと千春のほうを見たが、千春がかすかに首を横に振るとしぶしぶと前を向いた。
そして千春は右手を、真紀は左手を前に出す。
「「さあ、おいで」」
君たちを、魔石に還すから。
軽い熱中症で一週間お休みしていました。またできるだけ週刊を続けたいと思っています。ほかの曜日は「転生幼女」を更新する予定です。




