猫の人
その人は、この世界では見たこともないほど年を取った人だった。それでも少し曲がった腰を杖で支え、凛として立っている。ザイナスたちとは違って小ぶりの三角の耳がぴょんとついていた。
「「か」」
「か?」
サウロが真紀と千春の声にいぶかしげに振り向くと、
「「かわいい……」」
二人の声が合わさった。
「おばばがか。しわくちゃだぞ」
「ほんに鳥人の次代は、とことん失礼であるのう」
おばばと呼ばれた猫人はそうあきれた声を上げた。もっとも、年上の人にかわいいなどと言ってしまった真紀も千春もちょっと反省し、殊勝な顔をしていた。
「よいよい。先代におうたときもすでにわしは年寄りじゃったが、やはり最初は『かわいい』と言われたものよ」
その人はそう穏やかにしわの中で柔らかく微笑むと、
「もっとも先代は、ミラガイアも、犬人のことも怖がるから先代のそばには寄れなんだ。心を許したのはわしらとドワーフくらいじゃったものなあ、悔しい気持ちもわかるがの」
ほっほっほと上品に笑った。しかし言っていることは辛らつだ。
「確かにミラは歯がゆい思いをしたらしいが、我らは違う。マキとチハールの専任の鳥人として移動を一手に引き受けているからな。獣人領の誰よりも聖女を理解していると自負している」
しかしサウロはおばばの皮肉にもまったくへこたれない。
いつの間に専任になったのかとか、移動を一手に引き受けているとか、まして自分たちのことを誰より理解しているとか、突っ込みどころはたくさんあったが、真紀も千春も少し苦笑いするだけで何も言わなかった。こんなにいろいろなことを一緒に経験してきて、好きにならずにいられるだろうか。
その時、おばばが印象的すぎて気が付かなかったが、おばばの後ろにいたらしい人が声を上げた。
「おばばと鳥人の戯言に付き合っていたら本当に日が暮れる。ザイナスも、聖女方もお疲れでありましょう。狭いですが、休むところを用意してあります。もしお嫌でなければ温泉などもありますが」
「「お願いします!!」」
真紀と千春の大きな声が重なった。温泉などいつぶりだろう。真紀と千春だけでなく、サウロとサイカニアも喜んでいるようだ。
「温泉か。久しぶりだな。ノクテールの温泉は屋外でずいぶん広い。マキ、チハール。俺と一緒に」
スパーンと、珍しくサイカニアに頭を叩かれているサウロである。
「さすがに私たちの羽は邪魔よ。まったく、うちの次代ときたら。私たちは一番広い所を先に使わせてもらうわ。後で食事の時にまた会いましょう」
そう言うと案内も請わずに、鳥人たちはさっさと温泉に行ってしまった。さっきまで真紀と千春を守るようにそばにいたのに、やりたいことがあるといなくなる。しかもサイカニアの突っ込みもずれている。鳥人とはそういうものである。
残された猫人も苦笑いするしかないようだった。温泉はどうかと声をかけた猫人は、慣れているようすで真紀と千春に説明してくれた。
「もともと温泉は誰のモノでもないのですよ。鳥人たちは気が向いたらいつでも入りに来ていますし、礼などいらぬと言っても『持ってきたかっただけだ』などと言って時折珍しいものをおみやげに持ってきてくれるので、村の者も誰も何とも思いません」
その言葉にザイナスが思い出したように手を打った。
「そうそう、ちょうどエルフ領からきたので蜂蜜をもって来たのだがいかがか」
「それはありがたい。甘いものはみんな好きですからね」
そうしてかごの下の荷物入れに入れてあった蜂蜜と、蜂蜜酒の小さな樽をザイナスから受け取っていた。
「おばば様、蜂蜜酒ですよ」
「ほんに、ありがたいのう」
おばばは獣人には珍しく酒好きなのだとザイナスが耳打ちしてくれた。
「今日来るとわかっていたので、宴会の準備がしてあります。遅くまで引き止めはしませんが、お二人とも肉が好物とか。串焼きなどご用意していますよ」
串焼きの一言に真紀と千春の目が輝いた。
待って? よく見たら、この猫人すごくハンサムじゃない? 千春のイケメンセンサーがピンと立った。おばばも私たちと同じような背丈だが、この猫人も170cmくらいだろうか。日本によくいる男性の大きさで、今まで大きい人とばかり出会ってきた千春にはそれがなぜか新鮮に映った。また、ほっそりとしなやかでしかもしっぽが長い。
顔はと言うと、アーモンド形でほんの少し吊り上がっており、光の加減で緑とも黄色ともいえない瞳が不思議な魅力を醸し出している。そしてしっぽが長い。
「千春、しっぽ気にしすぎ」
真紀がくすくすと笑った。
「待って真紀ちゃん、私口に出してた?」
「出してないけど、目がそう言ってたもん」
そう言い合う二人をその人は優しく見ると、
「猫人は犬人や鳥人より一回り小さいので、特に先代はなじみやすかったようですよ。とはいえ、列車ができたとしても人間領は遠い。遠出を好むわけではない我らのほとんどは聖女を見たこともありません。ですからこうしてお会いできて光栄です」
と両手を差し出した。
「ケアルと申します。おばばの次の長です」
「真紀です」
「千春です」
「マキ、チハール」
ほとんど見降ろされずに話したのはカイダル以来だろうか。目の色はありえなかったけれど、やや黄色みがかった肌も、少し細めの目も、親しみが持てた。もちろん、おばばもだ。
「先代も懐かしい懐かしいと言うてのう。よくわしの手を取って、泣いていたものじゃったが」
おばばがそう言って真紀と千春を見た。
「おぬしたちは大丈夫そうじゃの」
「懐かしいですけど」
真紀が答えた。
「でも、先代の聖女よりも、あちこち行って、いろいろな人に会い、いろいろなことをしてきました。懐かしいけれど」
もう一度そう言うと、にっこりと笑った。その笑顔は曇りのないものだった。
「泣くほどじゃない。ただ嬉しいだけです」
そうか、この慕わしさは、イケメンだからじゃなくて、懐かしいから。遠くの親戚のような感じ。千春は納得した。
「残念。素敵と思ってくれていいのですよ」
ケアルはそう言うと片眼をつぶって見せた。しかし、その頭はまたスパーンと誰かに叩かれた。
「まったくあなたは!」
「いや、冗談で……」
そうして登場したのは、千春やおばばと同じくらいの身長の猫人だった。耳の内側にきれいに白い毛が生えている、美しい人だ。
「さあ、疲れたでしょ。温泉に案内するわ。私はケアルの妻の、アリッサよ」
その瞳は水色だ。真紀も千春も嬉しくなって素直にアリッサについていった。後ろで揺れる尻尾も白と灰色のしましまだ。アリッサはちらりとついてきている真紀と千春に振り向くと、
「少しでもうちの人に惑わされるようなら釘を刺さないとと思ったけれど、全然平気そうね」
と言った。千春はついこう口に出していた。
「もしかして、ちょっと気が多いタイプですか?」
「そう言うわけじゃないけど、誰にでも優しくって、まったく!」
「そりゃあ、ちょっとねえ」
「でしょ、ほんとに!」
意気投合している。
「実際どうこういうのはないんだけど、とにかく誰にでも優しいから勘違いされやすくて」
「そういうのって困りますよね」
「わかってくれる?」
「わかります!」
どうやら友情が成立したようだ。その後ろを真紀はのんびりついていく。ほんの少し歩いたところに、一面に湯けむりが上がり、その手前にそれを隠すように小さな小屋があった。
「ここで着替えるのよ。入り方はわかる?」
「服は全部脱いでいいんですよね」
「おかしなこと言うのね。もちろんよ」
そうして、小さな小屋で着替え、建物を出ると、自然な岩のくぼみにたまった、滝つぼのような温泉があった。湯は緩やかに上の方から注ぎ、静かに下のほうに流れていく。
「ドワーフ領と同じ。段々になっていて、いろいろなところに入れるようになっているんだね」
「ああ、何日かいて全部のお風呂に入りたいねえ、真紀ちゃん」
二人はゆっくりと顎までつかりながらそんな話をしていた。突然、ふわりと大きく風が吹いた。
「そうすればいいだろう」
「誰?」
真紀がお湯の中でとっさに千春の前に出た。真紀の背中越しに見えたのは。
「鳥人?」
おそらく、四人。少なくとも、サウロではない。いったい、何が起きている?
「転生幼女はあきらめない」新作もちょうど一区切りでおもしろいところです!