楽しい日々
瓶詰工場と言っても、蜜を濾して瓶に詰め替えるだけのものだ。普通のミツバチから蜜を取るように、巣ごと遠心分離器にかけたりはしない。そもそもエルフ領のミツバチはその体の大きさに合わせ、巣の一部屋一部屋が大きく、そこから直接作業の人がバケツに蜜を分けてもらうのだ。
ハチの巣も、古くなったりいらなくなったりしたものについてはミツバチから使ってよいという許可が出るので、それを削って持ってきて加工する。そもそも蜜と蜜蝋が別々なので、細かい網で蜜を濾せばそのまま瓶詰めできるという、それだけの作業だった。
「このおかげで蜂蜜が安価に使えるようになったのですわ。とはいえ、各地域でそれぞれ蜜を採取するのでここの蜂蜜は主に輸出用ですの」
「じゃあドワーフのお城で食べた蜂蜜の料理って」
「それなら間違いなくここの蜂蜜ですわ」
五の姫の言葉に千春は感心して瓶詰のようすを眺めた。バケツから濾過器に移された蜂蜜が、糸のように流れゆっくりと瓶に溜まっていく。しかし隣で真紀がそわそわしている。
「真紀ちゃん……」
「いや、でもさ、蜂蜜を瓶に詰めてるところは見たからさ」
「でも私、蜜蝋からろうそくやハンドクリームを作っているところも見たいんだよ」
「千春、それは後でも見られるから。ね?」
千春は肩をすくめると、真紀と一緒に五の姫のほうを見た。
「仕方ありませんわね。では蜂蜜酒の醸造所に参りましょうか」
五の姫もさすがに真紀が限界に来ていることが分かったのだろう、やっと許可が下りた。
瓶詰工場から少し離れたところにある建物が蜂蜜酒の醸造所だった。建物の奥のほうが蜂蜜酒を仕込むところ、そこから手前に向けて樽が整然と並んでいる。中はかすかにパンのようなにおいとアルコールのにおいがする。
「ワインの樽みたい」
千春の感想に五の姫は、
「ワインとは違って長持ちしないのですよ」
と答えた。
「向こうで蜂蜜と水と酵母でお酒を仕込みます。出荷されるのは二週間くらいから。飲み頃は一か月までかしら」
「蜂蜜酒ってそんなに新鮮でなければならないの?」
「どんどんアルコール分が強くなっていくのですよ。ですから蜂蜜酒は近場でしか売りません。蜂蜜を手に入れて自分で作ったり、町単位で作ったりすることのほうが多いのです」
「ドワーフ領のリンゴ酒のように、町ごとに特徴があるというわけだ」
真紀はその説明にポン、と手を打った。だから蜂蜜が比較的高価な他の領では、蜂蜜酒を見かけたことがなかったのだ。その時、先をゆっくり歩いていた五の姫が、くるりと振り向いた。
「さ、ではお楽しみの試飲の時間ですわ」
「やった!」
真紀がぐっと胸の前で手を握った。たまに見学に来る人がいるそうで、試飲の手順は決まっていた。
「まずは2週間目から」
小さなグラスに、ほんの一口分の蜂蜜酒が樽から注がれる。少し赤みを帯びた蜂蜜酒はとろりとしている。真紀と千春は、恐る恐る口に含んでみた。
「甘い! 思ったより甘いよ!」
「でもしっかりアルコールになってる。舌の上でかすかに泡立つような気配」
そうしてすぐにグイッと飲み干した。
「お酒の成分が強いですからね、気を付けて飲みましょうね」
五の姫が引率の先生のようだ。そこから3週間、4週間と飲み比べていくと、
「あれ、もう甘くない」
「むしろ渋みの少ないワインのような味わい」
五の姫はそれでよしというように頷いた。
「ここから先は酸味が増していくので、その味が好きな者が飲むか、あるいはブレンドして飲むかということになるのですよ」
「なるほどね」
「最も好まれるのは二週間物で、しかもそれに蜂蜜と果汁を足したのがこれになります。飲みやすいですよ」
今度は少しだけ大きくなったコップに、薄いミカンジュースのような色合いをした蜂蜜酒が出された。
「うわ、さらりとしてさわやかなのに蜂蜜の風味が濃厚で、後からアルコールがふんわりと鼻に抜ける」
「これはソルナみかんだね! 果物を変えたら何杯でも行けそう」
二人は幸せだと絵にかいたように満面の笑顔でそう言った。
「さ、試飲はこのくらいにして、もっと飲みたければ夜にもお出ししますからね。この後は外の庭でピクニックでもと思い用意させていたのですけれど」
「なんじゃ、それでよいではないか」
ほほに手を当てて悩む五の姫に、真紀と同じくご機嫌の一の姫がそう言った。
「いえ、生産者の皆さんがきっといらっしゃるなあと思いまして」
確かに、数は多くないものの工場の窓の外には明らかに真紀と千春を見に来たミツバチがぶんぶんしていた。
「まあ、さっきほど来なければ大丈夫じゃない? 外で食べられるならそのほうがいいよ、いい天気だし」
聖女がよいならピクニックでもよいとなり、一行は外の芝生に昼を広げた。城からは工房で働く人の分も大量に昼が届いており、休める人はすべて休み、皆で楽しく外で食事をしたのだった。
もちろん、ミツバチも楽しげに見に来ていたが。
それから、織物工房で大きな蚕に懐かれて倒れそうになったり、親であるカイコガが飛び交って「こっちのカイコガは飛べるんだね」とぼうぜんとしたり、織物体験をしたりして、気が付けば1週間近くたっていた。
「あれ? そう言えばサウロとサイカニア、私たちと一緒にいるって言ったのに一度も見かけてないや」
「ほんとだ。そう言えば一回二日間、4日で戻ると言っていたエアリスとエドウィも帰ってきていないけど……」
毎日が楽しすぎて、大切な、しかも仕事に励んでいる人たちのことをすっかり忘れていたのだ。さすがに焦った真紀と千春は、アーロンに聞いてみることにした。
「兵をダンジョンに運ぶのは順調だったらしいぞ。しかしいざ現地に運んでみたら、運んで放置というわけにもいかなくてな。何か起きた時にすぐ動けるようにと、ダンジョンのそばで待機しているらしい」
「言ってくれればよかったのに」
「まったく気にせず遊んでいただろうが」
アーロンにじろりとにらまれた。
「だが、あいつらも、お前ら二人が気にせずに観光とやらをしていることを願ってたはずだぞ。それに」
アーロンは少し上のほうを見た。真紀と千春もつられて空を見た。
「瘴気がもうほとんどない。お前たちの使命はちゃんと果たされているんだ」
「そうじゃぞ。もっと大手を振って遊んでいていいのじゃ」
「姉上は少しは公務もしっかりなさらないと!」
「ぐぬぬ」
真紀と千春はアーロンと二人の姫の温かい言葉にうるっと来た。いるだけで仕事をしているからいいと頭ではわかっていても、こうして言葉にされると嬉しいものだ。
しかし、何か忘れているような気がする。
「あ、サウロ」
千春がようやっと思い出した時、
「あれはなんじゃ!」
一の姫が空を指さした。一斉に皆が空を振り仰ぐと、そこには。
「サウロ? サイカニア?」
「ほかにも鳥人がたくさん」
「あいつらの抱えているものは一体なんだ?」
鳥人の群れと、あやしいものが一つ。千春はとても嫌な予感がした。
「聖女二人の異世界ぶらり旅」10日に無事発売されていました!嬉しかったです。
さて、今週からまた週1か2の更新に戻ります。少しストックを貯めるようがんばります!