蜂蜜工房に行こう
次の日、去りがたいようすでぐずぐずするエアリスをあきれたエドウィが引っ張っていき、城には真紀と千春とアーロンが残された。
「昨日は午前中は島にいて、人魚たちと遊んでいたなんて、信じられる?」
千春がアーロンに言うと、アーロンは肩をすくめた。
「俺はマンドラゴラと綿毛に驚いた。マンドラゴラはローランドにもいないからな。最初エルフ領に来たときは面白くて、根別れの時期にいたずらしたりしたもんだが、あいつらただただ前に進むだけだからな。人に集まってくるなんて初めて見た」
ああ、はためから見たらそうなのかもしれない。千春にとってはゲイザーに好かれた時のほうがよほど衝撃が大きかったので、マンドラゴラなどかわいいものだ。むしろ自分が海で激しい運動をしたことのほうが印象に残った。
「そうだよね、真紀ちゃん」
「ん、何が?」
真紀にはゲイザーと違って気持ちは黙っていては伝わらないのだった。伝えたつもりになっていた自分に、だいぶこの世界に慣らされているな、と千春はおかしくなった。
「それより、今日は蜂蜜工房だよ!」
真紀が目を輝かせて叫ぶ。
「おお、マキよ、王家の蜂蜜工房はそのすぐ先の森になるとはいえ、距離はけっこうあるでな、すぐに出発じゃ!」
「おお!」
一の姫のかけ声に返事をする真紀だったが、なんだかんだ言ってこの二人は気が合いそうだ。千春は五の姫と顔を見合わせて苦笑した。
王家の森はつまり、城の周りの広大な森のことだが、工房はその入り口からしばらく中に入ったところにある。工房まではきちんと石畳が敷かれており、ゆったりと馬車で向かう。馬車の周りには四人ほどの護衛がついている。
「二人は我ら、その後ろの二人はマキとチハール用じゃな」
「あ、昨日の警備の人だ」
「ハウか。顔を覚えたか」
昨日の夜、ゲイザーが出ても千春や真紀がゲイザーを魔石に戻しても平然と油断せずに構えていた人だ。指揮官だろうが、何となく真紀の印象に残った。直接話しかけてきた人でもあるし。
「ハウは王宮の警備主任にあたる。ほかの国でいうと、近衛部隊隊長と言ったところか?」
「それとても偉いってことじゃない?」
真紀は驚いて馬車の窓からハウを眺めた。いかめしい顔をして、周りに注意を払っている。
「マキよ……」
アイラは残念そうに真紀を見た。
「な、なに?」
「おぬしらは、世界に代わりのいない聖女なのじゃ。つまり、最高レベルの警護を受ける権利があるのじゃぞ」
「なんと!」
真紀も千春も驚いた。
「いや、確かに大切にしてもらってきたけどね、そんな風に考えたことなかったな」
「なかったねえ。それなのに城出しちゃって、そりゃ大騒ぎだよね」
いまさら反省する二人だった。
「城出?」
リーアが聞き返す。
「い、いや、まあそれはそれとして」
千春は慌ててごまかし、ふと気が付いたように言った。
「あれ? それなら気軽に内陸までの調査を人魚に頼まれたのって、ちょっとおかしくない?」
「千春、今頃気が付いたんだ」
真紀は肩を落とした。
「内陸? マキとチハールはいつ内陸に行ったのですか?」
リーアが鋭すぎて対応がつらい。
「え? ついこの間?」
「それでエルフ領への到着が遅くなったんですね。内陸が今瘴気で困っているとは聞きませんが。マキ、チハール、優先順位はどうなっているのです」
「うう、リーア、厳しいな。一応事情があってね」
真紀があたふた説明しようとしているのに、アーロンは知らん顔だ。その時、とんとんと馬車の屋根が叩かれる音がした。
「おお、ついたようじゃぞ」
アイラの声に救われた真紀だった。公式の場ではないので馬車からは自分でさっさと降りた真紀と千春は、工房の名から想像していたより大規模な施設に目を疑った。だって深い森を通ってきたはずなのに、そこは大きな赤茶色いレンガ積みの建物がいくつも連なっているのだ。
その建物には荷物を運び出される大きな扉と、人の出入りする小さな扉がついているが、窓の配置はそれぞれの建物で違うので、何か違う役割の建物なのだとわかる。
「こちらから順に、事務所、それから蜂蜜を詰める工場、そして向こう側の大きな建物が蜂蜜酒の工場ですわ」
リーアが順番に説明してくれる。
「「蜂蜜酒!」」
これですよこれ。そもそもエルフ領に来たいと思ったきっかけが蜂蜜酒である。そろそろこの世界に来てから四か月たとうとしている今、やっとこの手に蜂蜜酒が! あまりに二人が喜んでいるのでリーアがあきれている。
「まあ、すぐにでも蜂蜜酒に行きたそうですが、蜂蜜酒は最後ですわ」
最初に蜂蜜酒なんて飲ませたら、他のところに行かなくなってしまいそうだ。
「ではまず、生産者に会いましょう」
「「はーい」」
真紀と千春は元気に手を上げた。産直みたいに、やっぱり顔の見えるつながりは大切だと思う二人だった。
「お花摘みで働いたときみたいに、何か仕事があるかもしれないよ?」
「お昼には蜂蜜酒が出たりして」
「おやつは蜂蜜のケーキだよ」
アーロンはそんな二人を後ろから気の毒そうに見つめていた。
リーアが事務所と言った建物には入らずに、建物の横をそのまま抜けていく。建物を抜けるとそこには広い空間が広がっており、その奥の森から、ゆっくりと荷馬車が荷物を運んでくる。
「あの人たちかな」
「あの荷台に蜂蜜が積んであるのかな」
真紀と千春が話していると、リーアが二人に振り向いた。
「ここから巣までは少し距離があるので、あの馬車が戻ってきたら乗せてもらいましょう」
「す?」
「ええ」
「なんの?」
「ですから生産者の」
その時、森のほうからぶーんぶーんと音がした。それはなんとなく古い冷蔵庫のうなっているような、エアコンの室外機のような。
「あら、珍しい。生産者がやって来ましたわ。それにしても数が多い」
ぶーんと森から近づいてきたのは、黄色と黒のしましまが美しい、ミツバチの群れだった。
「だよね」
「ぶーんて音がした時から、そんな気はしてた」
真紀と千春に他に言える言葉があっただろうか。
「姫様方、聖女方、数が多い。少し下がってください」
その時、ハウが前に出て、一行を通路のほうに押しやった。その間にもブーンといううなりは近づいてくる。
「しましまがきれい。すごくきれいに見えるね。あれ、なんでこんなにくっきり見えるのかな。なんか空が見えないくらい黄色と黒のしましまなんですけど」
真紀が実況してくれているが、千春は目をつぶることもできずに目の前の景色を見つめるしかなかった。しましまがくっきりしているだって? それはそうだ、だってエアリスが言っていたではないか。
「両手で丸を作ったくらいの大きさだって」
「しかもエアリスのね」
羽を入れればもっと大きいだろう。そんな蜂蜜の生産者たちは、興味深そうに真紀と千春を見に来ているのだった。
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