さあ、旅立とう
「ちょっと話してみるよ」
「話す? こいつらにか」
「うん」
そう言うとまず千春が、そして真紀が地面に思い切って座り込んだ。その様子にエルフからざわめきが出たが、そんなことは気にしていられない。座って広がったスカートの上に、わらわらとマンドラゴラが集まってくる。
「ちょっとゲイザーに似ているね」
「ほんと。かわいい」
しかし愛でている場合ではない。
「君たち、何となく寄ってきただけでしょ」
なぜかわからないけど、近くに来たかったのだという気配がした。ゲイザーほどはっきりわかる言葉で話すわけではない。何となく、気持ちが伝わってくるだけだ。
「でもね、根別れして、仲間を増やさなきゃならないいでしょ?」
千春が言い聞かせると、そうだった、そうだったという気づきが、真紀と千春を中心に波のように広がっていく。
「さあ、頑張って、できるだけ遠くに歩いて、仲間を増やそうね」
「近くに根を張ると、競争になってうまく育たないからね」
いやだ、ちゃんと育って、また来年根別れするんだ、そんな気配がした。
「それじゃあ、ここから旅立とうか」
その千春の声は波となってマンドラゴラに伝わり、その海のようなマンドラゴラの群れは、外側から少しずつ移動を始めた。そうして名残惜しげに最後のマンドラゴラが去る頃には、すっかり日も暮れていたのだった。
「よっと」
「ふう」
ずっと座っていてこわばった体を伸ばしながら二人は立ち上がった。
それをずっと見ていたサウロとサイカニアもほっとして力を抜いた。
「さて、綿毛も飛んでいったしな、我らも休みに行くか」
「あ、サウロ、サイカニア。エアリスたちとは別に、私たち、城を拠点にこちらに残ることになったの」
千春がそう言うと、真紀は手を後ろにやって、
「エルフの姫たちがいろいろ案内してくれるって」
と説明した。
「ふむ、では我らは、チハールたちと遊、いや、何かの時のためにここに残ろう」
「いつでも運んであげるからね、エルフの重たい姫様でもね」
サウロは思いっきり遊ぶ気満々だし、サイカニアに至っては姫様たちを挑発してるし。さっそく一の姫が怒ってるよ、もう。
千春はしかたがないと肩をすくめた。実際、心強いのだし。
「さあ、疲れただろう、戻ろう」
エアリスに声をかけられて、鳥人に今日の別れを告げる。鳥人用の宿泊場所がきちんと用意されているので大丈夫だそうだ。
そしてその日はエアリスとエドウィ、アーロンと五人だけの部屋での夕食を取り、早めに休むことになったのだった。ただし。
「明日からエドウィがいなくなっちゃうなら、今日やっておかなければ」
「アーロン一人だけの時に何か起こると嫌だからね」
エアリスの部屋に集まっていた真紀と千春は、エルフ領に来たばかりだからこそゲイザーの気配を探り、必要なら魔石に戻す必要があると主張した。
「だいたい、ゲイザーを魔石に戻すところを誰かに見られたらどうします」
エドウィは心配そうに言った。しかし、真紀は、
「今日、思いもかけずマンドラゴラの大移動を見て、エルフの人たちも、聖女の存在を強く印象付けられてしまったと思うんだ。ドワーフ領の時と違って、隠しても仕方がないと思う」
と言い、千春も、
「マンドラゴラについては、正直なところ、自分たちでもびっくりしたよ。ちょっとまたかとは思ったけどね。真紀ちゃんにくっついていた綿毛も、すぐにいなくなったけれど、たぶん私たちに寄ってきたんだと思うの。そしてそれは城の人たちにも伝わったでしょう」
と続けた。
そして窓の外をふと眺めた。つられてみな窓のほうを振り向くが、特になにもいなかった。
「脅かさないでください。チハール。ゲイザーが出たかと思ったではありませんか」
「ごめんね。でも」
千春はエドウィに答えると再び窓のほうを見た。
「気配がある。遠いけれど」
「真紀も感じるのか?」
アーロンの確認に、真紀も真顔で頷いた。千春は窓の外、遠くを見るような表情をしている。真紀と千春は普通の人間だから、お互いに心の声が聞こえるなどということはない。しかし、ゲイザーの声は聞こえる。まだ城にたどりついてはいないけれど、疲れたゲイザーの救いを求める声は真紀にも聞こえた。そしてゲイザーが聖女の気配に気づき歓喜するのを、そしてそれにいち早く気付いた千春がもう少し待ってと呼びかけるのを。
千春がゲイザーに集中する間に、真紀もすべきことをしよう。真紀は引き締まった顔でこう言った。
「数が少し多い。もしかしたらダンジョンからあふれた魔物がもうこちらに来ているのかもしれない。今、千春がゲイザーにゆっくり来るように呼び掛けているから、誰かに連絡して、念のためゲイザーを倒せる兵を用意してもらってください」
真紀の言葉の中にはいくつも問いただしたいことがあったが、それをやっている暇はない。エアリスが話したほうが城の人は動くだろう。
「庭だな?」
「はい、広い所のほうが」
そう短く確認するとエアリスはすぐに部屋を出て行った。千春はずっとゲイザーに呼びかけているのか少しぼんやりした顔をしている。
「千春、庭に出るよ。呼びかけるの交代しようか」
「ん、大丈夫。でも手を引いてくれると助かる」
「私が」
伸ばされた千春の手をエドウィが握った。
「では俺が先導する」
すぐにアーロンが部屋の戸を開ける。先導するアーロン、アーロンの後を千春の手を引いたエドウィ、その後ろをゲイザーの声に耳を傾けながら真紀が歩いていく。ゲイザーの反応で千春の話していることが間接的に伝わるからだ。時間も時間なので、ほとんど人もいない王宮の廊下を奇妙な行列が静かに進んでいく。
入口のところで、急いで戻ってきたエアリスと次期王のトールが合流した。
「とりあえず、城の兵を集め、目立たぬところに配置する。それでよいか」
「私たちは、魔物に触れても大丈夫な体なので、エドウィかアーロンがいいと言うまで決して手出しをしないでください。ただし、私たち以外に被害が及びそうならその限りではありません」
真紀はトールにきっぱりとそう言った。
「その、チハールは大丈夫なのか、ぼんやりとしているが」
「大丈夫です」
真紀は代わりに返事をすると、アーロンに頷いた。
「では、庭の正面に」
そうして一行は、城からも少し離れた庭の真ん中に出た。門から続く馬車用の石畳の上だ。
携帯できる魔石を使った明かりが、真紀と千春を中心にしてその周辺に配置されていく。夜の王宮の庭には、ぼんやりと薄明るい空間がぽっかりと浮かび上がった。その明かりが夜の闇の中に紛れるあたりに、弓を持った兵が幾人も配置されていく。その周りにもおそらく剣を持った兵が配置されているのだろうが、真紀にもさすがにそれはわからなかった。
千春はそっとエドウィに引かれていた手を抜いた。
「真紀ちゃん、手をつないで一緒に呼ぼう。少し数が多いから」
「そうだね。いい?」
「うん」
千春の左手と、真紀の右手がつながった。そして声を合わせた。
「「おいで」」
「最近、エドウィ頑張ってるよね」
「そうですか、そう言ってもらえると」
真紀の言葉にエドウィは照れた。
「でもね、忘れてない?」
「誰の事ですか?」
「カイダルとナイランだよ!」
「「あー」」
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