やっと海に
にらみ合う大きな男二人を真紀がハラハラして見ている隙に、千春はさっさと海辺へ移動していた。サウロをはじめとして、この世界の男たちにまともに向き合っても疲れるだけだ。対決したいならば、すればいい。
あ、と千春は思った。エドウィは別かな。しっかり者だもの。弟のような優しいエドウィの顔を思い出すとふふっと笑いがこみ上げてきて、口の端が思わず上がったまま千春は渚を歩く。波が寄せて、足をくすぐる。波が引いて、足の下を砂が動く。千春の緩やかにウェーブする髪を潮風が優しく揺らす。
静かだ。
うつむいて、一歩足を進める。波が寄せる。一歩進む。波が返す。
「千春」
後ろから声がする。
「千春」
真紀ちゃんがやっと来たのかな。
「千春」
「もう! ちょっとくらいバカンス気分を味わわせてくれてもいいじゃない!」
「だってさ」
振り向いてちょっとぷりぷりしている千春に、真紀は困ったように両手を広げた。
「現実を見ようよ」
そう真紀が言って指し示したすぐ先には、人魚が群れを成しかたずをのんで千春の一歩一歩を見守っていた。上空には鳥人が舞っている。
「知ってたよ。知ってたけどさ」
知らないふりをしていたんだもの。
「チハール、マキ、これを」
そこにサイアが近づいてくると、薄い布を手渡そうとした。やわらかいのにはりが合って、薄いのに透けて見えない不思議な布だ。
「これは?」
そう問いかける真紀に、サイアは布を両手に持ち広げると、すっとかがみこんで真紀の腰から下に布を器用に巻き付けてみせた。最後に余った布をさらりと流す。もちろん、直接体に触れたりはしていない。
「これ、人魚の皆さんが身に着けているやつだ!」
千春が真紀の周りをくるくると回って観察し、大きな声を上げた。
「ええ? きれいだけど、せっかく泳ごうと思っていたのに、邪魔になりそう」
「真紀ちゃん、そんなきれいなもの着せてもらって言うことがそれ? 女子力は?」
あきれて腕を組んだ千春にも、
「チハール、失礼します」
サイアはさっと布を腰に巻いて余った布をきれいに垂らしてくれた。これで足はだいぶ見えなくなった。
「軽ーい、動きやすい、さらさらする!」
「これは水蜘蛛の紡いだ糸を使って織りあげた品です。水にぬれても泳ぐのの邪魔にならぬ不思議な布なのですよ」
喜ぶ千春にサイアはそう説明してくれた。
「そうなの、ふーん、水蜘蛛、え、くも?」
「ええ、興味があるならご案内しますよ」
「え、いや、今はいいかな」
深く考えてはいけない話題だった。千春は材料については目をつぶった。
サイアはそのまますっと二人の前にひざまずくと、最初に真紀の、そして千春の手を両手でそっと掲げると、自分の額に押し当てた。
「マキ、チハール、あのような危険なことになるとは予想だにせず、長のことでは本当にご迷惑をおかけいたしました」
そうして心のこもった謝罪をしてくれた。思えば危険だとは思いながらも、恩人のアミアを放っておけなくて頷いたのは自分たちだ。仕方がないと思う千春をよそに、
「本当だよ。だいたい、よく考えたら大騒ぎになった割に実は私たちいなくても何にも変わりはなかったよね。むしろ私たちが助け出すって言わなければもう少し早く勝手に帰ってきてたよね」
「それは……」
サイアはちょっと目を泳がせた。しかし、
「なにぶん長が行方不明になるなど異例のことにて、少々焦ったのは確かです。しかし、マキとチハールがいたからこそ、大きな問題にならず、長も素直に帰ってきたのです」
そう言ってひざまずいたまま深々と頭を下げた。
「そんな、大丈夫だから。結局なんでもなかったんだし、ね?」
そう言って慌てる千春の横で、真紀は目をすがめた。こいつ、怪しい。
「チハール、ありがとうございます」
再び頭をあげたサイアは千春のほうを誠実そうな顔で見た。しかし、下げていた頭をあげるとき、口の端がほんの少し上がっているのを真紀は見逃さなかった。
「マキ」
サイアはマキに向き直った。ひざまずいたままのサイア。少し見下ろす真紀。周りから見たら、まるで見つめ合っているかのようだ。真紀ちゃんに忠誠をささげる騎士みたい、とわくわくしている千春に、
「チハール」
とエアリスが声をかけた。
「対決は終わったの?」
と千春が振り向き、千春の気がそれたところで真紀がサイアにこう言った。その視線は甘くない。
「千春は私にとってこの世界での唯一なの」
「奇遇です。私にとっての長もそうです」
そう答えるサイアの顔には笑みなどもう浮かんではいなかった。
「奇遇なんて」
真紀は言い捨てた。
「私と千春は、お互いが助かるために人を陥れたりなどしない。一緒にしないで」
「陥れずとも、たくさんの人を巻き込んでいるくせに?」
サイアの口角が皮肉そうに上がった。
「そう言う人もいる。自分でも悩んだよ。城の奥に引っ込んでいれば、騒ぎなどおこらないし、誰も傷つかないんじゃないかって」
真紀はサイアをまっすぐに見てそう言った。
「なぜそうしない?」
サイアはそうすればいいだろうと、当たり前のようにそう言った。しかし真紀はふんと鼻で笑った。そんなこと、すでに内陸の人たちに言われてさんざん悩んだんだから。いまさら傷ついたりしないんだから。
「なんであんたたちは、そんなに自信があるの?」
「自信?」
サイアはいぶかしげに聞き返した。
「聖女が自分たちのためのモノだという自信だよ」
「神は私たちのために聖女を連れてくる。当然のことだろう」
「はっ」
真紀はあざけるようにそう声を出した。今回の長の救出は、珍しく千春が積極的に言い出したことだ。だから結果的に真紀も従ったけれど、千春ほど一生懸命ではなかったし、体力的にも精神的にも千春より余裕があった。だから考えたのだ。
この任務はものすごく危険なものだった。それなのに平然と頼み込むサイアの身勝手さ。それは、鳥人や人魚の長の自由さとは違っていた。
内陸の人は目に見える悪意を向けてきた。しかしサイアのそれは違っていた。
「聖女など長に比べれば替えのきくもの。長さえ助かるきっかけになればいい」
真紀の口から出てきた言葉に、さすがのサイアもぐっと詰まった。
「そこまでは思っていなかった? 奇遇だね、サイア」
真紀も口の端をゆがめて言った。
「この世界など、千春に比べたらどうなってもいい。無条件で救われると思うなよ」
ただののんきな甘やかされた人間と思っていた。しかしその聖女らしからぬ低い声と表情に、サイアは一瞬言葉を失った。
「マキ、どうした」
「ふふ、サイアがお城の騎士みたいだよね」
エアリスが不穏な空気に気づいて声をかけたが、千春はちょっとのんきなままだった。真紀はフッと力を抜いた。
「なんかサイアと気が合ってね。大事なものってあるよねって話」
「そうかー、仲良しだねえ」
「まあね」
真紀はさらっと前髪をかきあげた。サイア、甘やかされてるのは、どっちだろうね?
「さ、千春、この布のまま泳げるらしいよ、海に入ろう!」
「ええ? まあいいか、バカンスだし」
「よし、人魚に沖まで連れて行ってもらおう!」
「え、それは、あ」
その言葉と共に真紀と千春は人魚に連れられて海に行ってしまった。
それをエアリスは少し心配そうに見送った。隣でアミアが、
「なに、聖女を傷つけたりはせぬよ」
と言う。
「人魚の理は人とは違う。人は水では息はできぬのだぞ」
「それはわかっていると、思う、が、あ」
やや自信なげに答えたアミアだったが、そう言っている間にも真紀が水に引き込まれた。焦るエアリスが何もできないでいる間に、真紀は勢いよく人魚に支えられて水面に飛び出した。そのまま着水し、また顔を出す。
「ははは、おもしろーい! 千春! やってみなよ!」
「え、私は別に、あ!」
千春も水に引き込まれ、水面から飛び出す。何やら怒っているがそれでも水にまったく抵抗はないようだ。
「なんと美しい。生き生きとして、生命そのもののようだな、サイア」
「……はい、アミア」
サイアはうつむいて、聖女を見ようとはしなかった。そんなサイアを横目でちらりと見ると、アミアは海に目をやり、海に話しかけるように声を出した。
「創世の神は、誰かを犠牲にして世界を救いたいとは思わなかっただろうよ」
サイアははっと顔をあげた。
「魔物も、我らも、聖女も、ひとしくこの世界の生き物である。誰かのために誰かが犠牲になっていいということはない。魔物は倒されるが、命の理に従っているにすぎず、犠牲になっているわけではない。その中で、聖女だけが一方的に搾取され続ける哀れな存在だ。それを忘れて、聖女をないがしろにしてはならぬ」
「しかし」
「サイアよ、こういえばわかるか」
アミアは並ぶサイアの目を見、一言一言区切るようにこう言った。
「今回の私の救出作戦をきっかけに、チハールが魔物を操る力に目覚めたぞ」
この世界など、千春に比べたらどうなってもいい。真紀の言葉がサイアの頭の中で再生された。
「ばかな」
「愚か者になるなよ。大切なものをはき違えるな」
アミアはそう言い残すと聖女を追って海に消えた。この世界など、どうなってもいい。その暗い決意を表に出させたのは、自分。
取り残されたサイアは、呆然と立ち尽くした。
コミカライズ情報です! 3月からでした! 有料のweb雑誌が月一回、それを分割して週刊で無料で読めますという形のようです。早く読みたいなら月間、ゆっくりでいいなら週刊でしょうか。
作画は文月路亜さま、原画は鏑家エンタ様、真紀や千春が表情豊かに、そしてイケメンがよりイケメンに! 漫画ならではの工夫や表現もあり、すごく面白いです。詳しくは活動報告をどうぞ。
◆3/5配信開始(web版雑誌売り:有料)
B's-LOG COMICS Vol.62
◆1話を4分割で毎週木曜日配信(作品毎:無料)
3/8第1回配信開始
コミックウォーカー内、異世界コミック「Flos」
ニコニコ静画 「Flos」
読者のみなさんのおかげです。ありがとう!