朝日が照らすものは
千春は朝起きるのが少し苦手で、ずっと鳥の声のする目覚まし時計を使っていた。
「それでね」
「うん、わかる、前にも言った気がするけど、本当にわかるよ」
真紀は千春の隣で体を起こすとそう答えた。
昨日は焚火を囲んでおしゃべりに興じた後、飛行船の中で寝た。飛行船のソファは背もたれを倒すとそのままベッドになり、ソファの下の引き出しから魔法のようにシーツと毛布が登場した。
「飛行船で泊まることなどめったにないのだが、作っている途中にはよくこうして船内で休んだものだ」
エアリスが懐かしそうにそう言っていた。エドウィとアーロンが最初外で休むと言ってきかなかったが、外敵がいるわけでもなし、着替えの時だけ外に出てもらうことで解決した。何よりエアリスも当然のような顔をして船内で休むのに、エドウィとアーロンが外で休む必要はなかった。アーロンはエドウィにこうささやいた。
「エドウィ、むしろいろいろな意味でお前が船内にいないと後悔することに」
「わかりました! わかりましたよ」
エドウィは顔を赤くして、結局みんなで船内で休むことになったのだが。
白い砂浜が朝日を跳ね返してきっと「まぶしい」って言って目が覚めるよねとか、夜もずっと聞こえていた波の音で目が覚めるかもねと千春はうきうきしていたのだ。
でも今、外が見えないほどに窓は何かで埋め尽くされているし、波の音など聞こえないほどにざわざわしているし、ばっさばっさと言う音と共にばっしゃーんと何かのはねる音もする。そもそも開けっ放しだった窓は閉められ、カーテンもひかれている。そしてエドウィとアーロンは疲れたような顔で飛行船の入り口に待機している。おそらく、おそらくだが何かが勝手に入ってこないようにだろう。
「おはようございます。マキ、チハール」
「おはよう」
エドウィとアーロンがそう声をかける。
「おはよう!」
「もしかして」
挨拶を返す真紀と千春に、エドウィが苦笑しながら頷いた。
「今朝早々に鳥人が訪れて。幸いお二人を起こす羽目にならずに済みましたが。いったん外に出てみればなぜか海岸には人魚が」
そうだろうな、と二人は遠い目をした。
「しかも理由は『観光』だそうだ」
そうアーロンが付け加えた。
「観光? それって鏡の湖でサウロが言っていた?」
「まさか」
正直に言おう。サウロとサイカニアと別れてから二日しかたっていない。二日だ。
「来ているぞ。あの白いやつらがな」
アーロンも心なしかうつろな目をしている。
真紀は千春と目を見合わせた。ローランドからミッドランドへ。そこからおそらく獣人領へ。獣人領で、エルフ領の沿岸に怪しい光あり、どうやら飛行船が近くにあるようだとの報告を聞く。獣人領からやってくる。
「どれだけ体力があるの……」
「なんで日界は鳥族に支配されていないんだろう」
二人のつぶやきにアーロンが答えた。
「そりゃお前ら、遊んでばかりで統治しなけりゃ、支配も何もないだろう」
「確かに」
ぶつぶつ言っていても仕方ないので、二人は着替えて外に出ることにした。
「マキ!」
「チハール!」
すぐにサウロとサイカニアがやってきた。船内にはいなかったエアリスは海辺で人魚と何か話をしている。
「何か用事があったと思ってたよ。獣人領に帰ったんじゃなかったの?」
真紀は一応念のためにサウロに聞いてみた。
「帰ったぞ」
「帰ったぞって、じゃあなんで今ここに」
「飛んで」
「知ってるわ! どうして来れたのかって聞いてるんでしょ!」
「すべきことが片付いたからだ」
「はあ」
真紀はぐったりとうなだれた。
「兄さん、ちゃんと説明しないとわからないわ」
「そう、サイカニア、そうだよね」
まともなことを言うサイカニアの声に真紀は顔をあげた。
「そうか」
サウロは少し考えるとこう話し始めた。
「あれから、まずミッドランドに行ってアーサーに報告しただろう。それからすぐ獣人領に行ってミラと話して、鳥人集会を開いてもらった。俺たちの提案した、内陸にたくさんの鳥人を派遣する案はすぐに通り、その日のうちに希望者が集められた。その日はゆっくり休んで、次の日希望者を見送って暇だなあと思っていたら、夕方にマキとチハールが無事ローランドを発ったと連絡が入った。ならエルフ領に行こうかと思ったらこの島に焚火が見えると報告が入ったものでな。ちょっと観光に」
「なんでもかんでも観光って言えば許されるとか思ってないよね?」
サウロはすっと目をそらした。
「真紀ちゃん、そこじゃないよ」
そんな真紀を千春が落ち着かせるように言った。本当は鳥人集会ってなんだとか、その日のうちに希望者が集まって次の日行くとかありえないとかいろいろ言いたいことはある。しかし、大事なのはそこではない。
「内陸に希望者って、どういうこと?」
サウロはちらりと千春に目をやると、空を見上げながら、
「今まで内陸に興味がなく交流がなかったからもめごとが起きた。この際強制的にでも鳥人の存在を知らしめ、あわよくば定期的に遊びに行けるとよいなと」
「兄さん、途中から本音が出ているわよ」
「そうか」
サイカニアがやれやれとサウロをたしなめた。
「まあ、大量に鳥人を派遣してあわよくば偵察もしちゃおうって言うわけなのよ」
なるほど、わかりやすい。
「さっきエアリスに聞いたが、昼過ぎまで島にいるんだろう。島の上を飛びたくはないか? 海にも連れて行ってやるぞ」
サウロはそう言ったが、真紀には考えがあった。
「せっかく海辺に来たんだから、海で遊びたいの。ね、千春」
「うん? うん」
千春はまあ、どうでもよかった。泳ぐより海辺で貝殻などを拾いたかったのだ。それだって海の遊びである。
それから急いで朝ご飯を食べると、皆を飛行船から追い出して、真紀は荷物から小さい布を取り出した。
「じゃん」
「何それ」
「ん、短パン」
「短パンって……」
真紀が得意そうに広げて見せてくれたのは、鳥人の女性がはいているショートパンツだ。自分たちは足を少しでも出すと怒られるのに、鳥人はなぜ足をあんなに出しても何も言われないのかと千春がつねづね不思議に思っていた物だ。
「鳥人は背が高いから、たぶん私たちでも入ると思う」
「それって」
「ローランドのお城でうろこと取り換えてきた」
「あの時かー」
千春は城を出るときの真紀を思い出した。なにか鳥人と交渉してたもんな。
「これで海で泳げるよ」
「うーん、私は海辺で遊んでるよ」
意気込む真紀に千春が答える。
「なんで?」
「むしろなんで泳ぎたいの? 足元で波が揺れるくらいで十分楽しいよ」
「残念だなあ」
「でもこれのおかげで気にせずに遊べるから」
二人はいそいそと着替えて飛行船の外に出た。
「チハール、危ないのであまり遠くに、ええっ?」
話しかけながら近寄ってきたエドウィが息をのんだ。
「マキ、まずはどこから、うおっ?」
アーロンものけぞっている。
しかし真紀と千春にしたら、周りには鳥人がたくさんいて、皆すらりとした足をさらしているのに二人の若干太いかもしれない平凡な足など驚くほどのものではないと思う。
「おお、涼しそうだな、さあ、浜辺に行こうか」
エアリスは平然とした顔で二人の背を押し、海辺へと向かう。
「ちょっ、ちょっと」
「エアリス、待て、何か巻くものを!」
エアリスは騒いでいる二人など気にも留めない。歩いた先には、やっぱりアミアがいた。一歩下がってサイアが控えている。
「マキ、チハール」
当然のように抱き込もうとするアミアだったが、エアリスが真紀と千春をその場にとどめた。アミアが目をすっと細くする。
「白の賢者よ。話は終わったはずだ。私はマキとチハールに用があるのだ。老いた身に日差しはきつかろう。木陰ででも休んでいるがいい」
「あいにく朝から休むほど老いぼれてはいない。そちらこそ、用があるなら今済ませるがいい」
アミアの乳白色の髪の毛が朝日を浴びてかすかに炎と水の色の光を跳ね返す。エアリスの複雑に編み込まれて白銀の長い髪も潮風に毛先を揺らす。アミアの太い髪の毛はいら立ちを示してうねり、エアリスの海より深い緑の瞳が剣呑な光を宿す。
「り、竜虎相うつ……」
それより海で遊びたいのだ、真紀と千春は。それなのに、バカンスはなかなか始まらないのだった。
バカンス編、中編。
『聖女二人の異世界ぶらり旅』コミカライズ順調に進行中です。