焚火が照らすものは
真紀と千春はエアリスに連れられて、飛行船へと向かう。途中、城の庭では確かにたくさんの鳥人が子どもを連れて空を舞い、心配そうな大人がそれを見守っている。遠くにキリアンも見える。
「あ、ちょっと待ってて!」
真紀は突然そう言うと、近くにいた鳥人に駆け寄った。
「あーあ、これでは鳥人に取り巻かれて出発が遅れてしまうが」
エアリスがちょっと苦々しげにそうつぶやいた。
案の定、わらわらと鳥人に取り囲まれてしまった真紀だが、やがて何人かの鳥人が空を飛ぶと、小さくたたんだ何かを持って戻ってきた。真紀はポーチからとっておいた人魚のうろこを出し、それと交換にしているようだ。
「あ、鳥人がちょっと遠慮してる。遠慮する鳥人って初めて見たよ。でも真紀ちゃんが日にかざして見せたら受け取った。人魚のうろこってきれいなんだよねえ。きらきらしたものが好きとか、さすが鳥人!」
千春が感心しながら解説している。もっともきらきらしたものが好きなのはカラスであり、鳥一般ではない。その解説をエドウィが苦笑しながら聞いていた。千春は気が付いていないようだが結構失礼なことを言っていたので。もっともサウロもサイカニアもそんなことを言われてもまったく気にしないだろう。
「あ、戻ってきた」
真紀は軽やかに駆け戻ってきた。
「さあ、行こうか」
昼過ぎと言うこともあるし、少人数でもあるし、飛行船の発着所までは特に目立ちもせずやってこられた。
千春は四角い飛行船をしみじみと眺めた。この飛行船の変な形に驚きながらも乗り込んだのがたった数日前だったとは思えない。
しかし、もうすべては終わった。ここからは自分たちのエルフ領へのぶらり旅は始まるのだ。
「さあ、先行する皆に早く追いついて、ダンジョンへとたどり着かねばなりませんね。どうせカイダルは剣を振っているだけでしょうし、グルドはのんきなだけですし、ナイランがどんなに苦労していることか」
同じように飛行船を眺めていたエドウィがそうつぶやいた。
「そ、そうだね、カイダルとね、ナイランか、うん」
千春が慌てて真紀を見ると、真紀も少しうなだれている。すっかり忘れていたに違いない。ふと顔を上げると、あきれたようなアーロンの目と合った。だって仕方ないじゃない。本当に大変だったんだよ、この何日間かさ。
「まあ、もう済んだことだろ。気持ちを切り替えて先に進むしかない」
こう言ったのは真紀だ。え、かっこよくない?
「って、カイダルなら言うよきっと。さあ千春、休むって決めたんだから、きちんと明日一日は休もう。それからまた頑張ればいいよ」
「真紀ちゃん……」
なんだ、カイダルの真似か。そうだ、あの落ち込んだことのない人たちが、行動したことを責めるようなことを言うはずがない。ちょっと何か言われるとしたら、お酒をこっそり飲んだこと、こっそりと外に出たこと、うっかりみかんを落としたことくらいだ。そしてそれは黙っていれば問題ない。千春も顔を上げた。
「よし、行きますか!」
「その意気だよ!」
「何をしている、出発するぞ」
エアリスの掛け声に、四人は飛行船に乗り込んだのだった。
前回船で始めた旅路を、今回飛行船でたどる。千春はかなり遠くなったバッカの町を眺めながら、
「このあたりから前回は鳥人に運んでもらったような気がする」
と言った。
「どれどれ、確かにこのくらいかもなあ、あ」
アーロンが千春に並んで窓をのぞきこんだとたん、飛行船が少し左右に揺れたかと思うと、視界が白と茶色の羽で埋め尽くされた。
「まったく、前が見えぬ。本当に奴らは困りものだ」
城にいた鳥人が見送りに来たらしい。窓から視線が合うとお互いに手を振り合い、やがて飽きたのか陸地に戻っていった。
そこからたっぷり三時間、エアリスはエドウィと交代しながら飛行船を操縦し続けた。
「前を見てごらん。そろそろエルフの領地が見えてきた」
エアリスの声に操縦席に行ってみると、確かに行く先には陸地の影が見えてきている。
「そして下を見てごらん」
その声に下のほうを見ると、そこには真ん中にこんもりと森の生い茂る、小さな島があった。人間領側は切り立った崖になっているのだが、エルフ領側には白い砂浜が広がっていた。
「「島だ!」」
「ここが今日泊まる島だよ。エルフ領はすぐ近くだから、明日の午後に出ればよいだろう。それまで少し休もうか。もっとも」
エアリスは少し心配そうに真紀と千春を見た。
「ここは無人島だ。泊まるのは飛行船の中だし、こった料理もできぬが」
「無人島! 最高!」
真紀は大喜びだし、千春もにこにこしている。正直なところ、エアリスは無人島では嫌がられるかもと思っていたし、そうであればエルフ領の沿岸沿いのすぐそこも保養地だから、もう少し飛べばよいと思っていた。しかしこの喜びようなら連れて来たかいがあるというものだ。
エアリスは慎重に飛行船を無人島の砂浜側におろす。発着場がないので、平たいところを下調べしておいたのだ。飛び出そうとする真紀と千春をエドウィが押さえ、アーロンが一応外の確認をする。
「ん、大丈夫だ」
「なにか危険でもあるの?」
アーロンは頭に右手をやると、ちょっと困ったような顔をした。
「危険はない。が、あんたら一応聖女だろう。要人に付くっていうのはこういうことだからな」
「要人……」
それは王子のほうではないのだろうか。まあいい。許可が出て外に出てみると、目の前には白い砂浜が広がっていた。
「わあ……」
波打ち際に走っていくと、波が足もとまで寄せては返す。夕方の海は光を浅く跳ね返してきらきらと輝いている。後ろにはきっとエドウィとアーロンがいて、エアリスが飛行船をしっかりと停める作業をしているはずだ。しかし目の前には誰もいない。鳥人も人魚もいない。まるでこの世界に、真紀と千春の二人しかいないかのようだ。
遠くにエルフ領が影のように横たわる。波がざざん、と寄せる。夏の終わりの生ぬるい風が、真紀と千春の髪をなびかせる。
「さみしい」
「千春?」
並んで海を見ていた千春がそうつぶやいたので、真紀は思わず横を見た。ほんの少しだけ、千春の目元が赤くなっている。
「あんなに息苦しかったのに、あんなに暑苦しかったのに、誰もいないことを今とてもさみしいと思ったの」
「うん」
真紀は黙って手を上にして差し出した。
「ん?」
千春は首を傾げた。
「はい。手を出して」
千春の出した手を真紀はぎゅっと握った。
「一人じゃないから」
「うん」
手をつないだまま海を見つめる二人に、波が静かに打ち寄せては返す。
「ああ、なぜ我らを呼ばぬのです」
二人から少し離れてエドウィが苦悩していた。
「いくらでも手も握ってあげるし、むしろ抱きしめたっていいのに」
「お前本当にできるのか」
アーロンがあきれたようにエドウィを見た。
「それは、お二人が求めてくれれば、私だって」
エドウィはほんのり赤くなっている。この奥手な王子は自分から真紀や千春と手をつなぐなどできはしないのだった。そんなエドウィを気にも留めず、後ろからエアリスがすたすたと歩いてエドウィとアーロンを追い越した。
そうしてその大きな体で後ろから、真紀と千春のつないだ手ごと二人を抱きかかえる。
「ああ、なんてうらやましいことを!」
「エドウィ、白の賢者に対抗するならもっと積極的にならないと」
「積極的? なるほど、では私も」
エドウィも意を決して一歩真紀と千春のほうに踏み出そうとした時、二人は笑いながらエアリスの手から抜け出した。そうしてエドウィとアーロンのほうに走ってくると、真紀がエドウィの手をつかんだ。
「エドウィ、薪を拾いに行こう!」
「え? ええ。はい」
少し照れるエドウィを横目で見て、千春がアーロンに声をかける。
「アーロンは?」
「俺は賢者殿と一緒に待ってるよ」
「そう?」
千春はちょっと首を傾げると、エドウィの反対の手を握った。
「チハール?」
「さあ、薪拾いだ!」
エドウィは二人に引っ張られるように森のほうへと連れていかれた。
「あーあ、今頃真っ赤だな、あいつ」
「弟扱いだが、利はある」
「利ってあんた」
アーロンはあきれてエアリスを見やった。エアリスは片方の口の端を少しだけ上げた。
「使える物はなんでも使う。それが欲しいものを手に入れる秘訣だろう」
「エルフの城のみんなに今の賢者殿を見せてやりたいよ、まったく」
「明日以降嫌でも見ることになるだろうよ」
「自分で言うかよ」
少なくとも賢者は自覚はしているらしい。
「火は魔道具で起こすから薪などいらぬのだが、焚火もまた一興か」
「そうだな」
その日簡素な夕食を、焚火を囲んで皆で食べたことは、真紀でも千春でもなく、エドウィの心に一番残ったかもしれない。少し肌寒い夏の夜に、熱いほどの焚火。舞い散る炎の向こうの柔らかい千春の頬。明かりを跳ね返しきらめく黒曜の瞳。そしていつまでも続く友とのおしゃべり。
そしてその焚火の炎は、夜の闇の中、海にも空にもあかあかとその位置を知らしめていたことを、彼らは知らなかった。
何も事件の起こらない回があってもいい。