国譲りの問答
名乗りをあげたフツヌシは、まるで鋼鉄の壁のような大剣を地面に突き立て、柄に両手を添えながら屹立している。
黒鉄の全身鎧にフルフェイスの兜で、その表情を伺い知ることはできないが、おそらく憤怒の形相だろう。
そもそもフツヌシこと、経津主命は、国譲り神話の大将として出雲に天降る神だ。
剣神であり刀剣の神格化ともされ、フツというのは刃でモノが断ち切られる音だとも言う。
目の前のフツヌシは、たしかに巨大な剣を持つ剣の主という感じだ。
見上げる巨体、大剣、漆黒の全身鎧、ラスボス感がパネェんですけど・・・。
「フゥー」
俺は目を閉じてひとつ深呼吸をした。
戦場は静まり返っていて、俺とフツヌシを凝視する何千個もの目が囲んでいる。
少し焦げ臭い風が俺の頬を撫でて吹き抜けた。
咳き込みひとつ、物音ひとつ立てることすらはばかられるような緊迫感が、あたりを支配している。
歴史が今ここにあるって感じか。
俺の隣にいるホヒを横目で伺うと、不安そうな憔悴した顔をしている。
まあ今まで蹂躙されてたわけだし、相手が相手だもんな。
だけど俺の心は、不思議と落ち着いてきていた。
そうだ。
あの時より随分マシなんだ。
スサノオ大王とはじめて対峙したあの時、あの絶望感は今ここには無い。
あの時に比べれば、畏れるほどのことはないんだ。
この三年間、しっかりと鍛錬も積んだしな。
幼い頃からジジイに仕込まれた大波流免許皆伝の俺が、さらに死ぬほどの修行を積んだんだ。
2000年先の技をさらに磨き抜いた俺だ。
臆することなど何もない。
俺は一歩踏み出した。
「これはフツヌシの神、高天原の神と見受けたり。このイズモの地にはなんら用無き神と存ずるが、このたびは何ゆえ天降りたもうかな?」
国譲りの談判のために軍勢を連れて来ているのは知っているが、あえて尋ねてみる。
ホヒやまわりの兵に事の次第を聞かせるためでもあるし、ある意味、様式美ってやつかな。
しかし談判用の口調だるいわ。
まあ、対策を考えるための時間稼ぎの意味もあるな。
今まで神話どおりのことばかりではなかったし、情報収集は大切だ。
なんか忘れてる気がするんだよな。
話しているうちに和解できたりしないかな・・・。
まあ、さすがにそれは虫がよすぎる話か。
「このたび下界を指して天降りたるは我が儀にあらず。この国は御命が祭政司り治める地なれども、今回、天津神三代の皇孫、邇邇芸命が御成長の今日、いよいよ御参政と相成った」
出たよ、一方的な主張。
皇孫だかなんだか知らねーが、御参政ってなんだよ。
どっからなぜやってきたって話だよ。
ふざけんなマジで。
「天津日の神、詔して宣わく、『豊葦原の千五百の長い穂、秋の瑞穂の国は、これ我が子孫の世世にして治むるべき国なり、なんじ皇尊にて治めよ。天津日嗣の栄えまさんことは、まさに天地ともに極まりなかるべし』との神勅を宣うた」
日の神ってあれだよな。
天照大神だろ。
我が子孫の治める国なりって、なんでだよ。
スサノオ大王が建国して、俺が引きついで広げた国なんだよ。
わけのわからない結論だけ言うんじゃねーよ!
ああもうイライラする話だな。
「邇邇芸命、この御君を豊葦原中津国に降し、地神三代の君と立て置かんこと、日の神の深き御叡慮にまします。そのため御命は、この国を顕界と幽界のふたつに引き分け、顕界の政治を皇孫三代の君に捧げ奉らんことを御依頼申し上げるぞ」
フツヌシは一息で言い終えると、大剣に置いた手に力を込め、俺の返答を待つように押し黙った。
つーか、なんでだよ。
マジでどんな依頼なんだよ。
スサノオ大王、俺、その次がなんでニニギなんだよ。
日の神の深き御叡慮って、ただの一方的な乗っ取り宣言じゃねーかよ。
こんな理不尽な主張を、なぜこのでかいおっさんは堂々と話せるんだよ。
この内容で依頼って、どんな感性してんだ。
俺は天地理矛の石突で地面を突いて、フツヌシを睨みつけて問う。
「このたびどのような御用件かと問えば、日の神の神勅により、皇孫三代の君を葦原中津国の君とし、国家を今日を限り、顕事を全て渡し、我に隠れしめせとの御依頼にましますかな?」
「いかにも、その依頼にて天降るにてあり」
いかにもってなんだよ。
幽界に隠れよって、死ねってことだろ。
なんで国を譲って死ななきゃいけねーんだよ!
マジこいつ血圧上がるわ。
威厳のある言い方したところで、中身はただの横暴な主張じゃねーか。
強盗でももっとマシだろ。
ハーハー、マジ腹立つわ。
いや、ダメだ。落ち着け俺。
交渉はクレバーに、冷静に進めないと相手の思うツボだ。
「遠路はるばるおいでいただいたところ御苦労仕る。されども日の神の詔のままに賛成するとなれば、一朝一夕にはなり申さん。されば、後日、相当なる使者をもって日の神に直々に御回答仕るゆえに、日の神に御進言願いたもうやな」
後で使者を立てて返事するから帰れってことだが、聞いたフツヌシの怒気があきらかに上がった。
いいぞ、もっと怒れ!
なにせ俺はもっと怒ってるからな。
「これはしたり。御命が直々に日の神に回答するゆえ、我に高天原に帰天せよと申するか?」
俺は黙って頷いた。
フツヌシは少し下を向いて考え込むような素振りを見せたが、すぐに顔を上げて俺を睨みつけてきた。
ホヒや兵たちは、じっと成り行きを伺っている。
「この件については、二代の君、すなわち天押穂耳命の頃よりの依頼なり。一番の勅使として、そこな天穂日命を遣わしたが、御命の一言のもとに服従と相成り。二代の君は、国若きゆえに大国主命に治めさせれば後世は穏やかならんと思し召し、お引取りに相成った」
ぐっ、ついにそこを突いてきたか。
一番突かれたくないところだ。
隣のホヒが、ぐぅと言って顔を伏せている。
ホヒの兵たちもざわついている。
「三代の君は武鄙鳥命が天降るなれども、御命の甘言に迷いてこの地に滞在いたす神なり。この期におよび筋だった御回答なきにより、皇天においては、もはや猶予いたすべくなく、御命も今日が時期の至りであると思し召し、一言のもとに交渉奉戴くださるが御時限かと存じ奉るぞや」
やべえ。
なんか場の雰囲気が悪くなってきている。
俺がホヒやヒナをたらしこんで交渉に応じない、悪人みたいな流れじゃねーか!
無茶な恐喝も使者を変えて何年も続ければ正当性が出るというのか?
丁寧な言葉で依頼すれば、恐喝も許されるというのか?
そんなことはないはずだが、ここにいるのはホヒもホヒの兵も高天原出身、フツヌシと兵はもちろんだし、生粋の国津神は俺だけか?
すげーアウェー感になってきたんですけど・・・。
このフツヌシっておっさん、巨体に大剣で一見して脳筋なのに、実は超頭脳の超策士じゃね?
交渉術パネェんですけど。
「なるほど、たしかにこの件たるや二代の君より三代の御世に移り、再三の勅使を降しに成った点については間違いはなし。しかしながら大地の館長としてうかつに即時回答いたし、我が千早ぶる荒ぶる神々が不穏に騒ぎたるときは、この大国主の不徳とも致すことになる。それゆえ、この国の隅々(くまぐま)まで駆け巡って説明し、国土安穏の時期を伺って、この節によって分界奉ったとなれば、天上天下国家安穏となれり。フツヌシの神においては、今しばらくの間、この地に御滞在願わしゅうぞや」
さあ、どうだ!
屁理屈には屁理屈だ。
てか、神話の流れがこうなんだよね。
まあ、実際のところミナなんかは絶対に許さないだろうし暴れるだろう。
そういや三年前に武者修行に出て行ったミナは、今ごろどこでどうしてるんだろうな?
強くなって帰ってくるから勝負しろって言ってたけど、マジでやりたくないんだよな。
フツヌシはさらに怒った感じだ。
「これは一応ごもっとも千万なれども、さようなことにてこの地に滞在することはなり申さん。高天原より大将の任を戴き、御命にこんこんとお諭し申しあげるといえども、なお聞きいれられぬその時においては、猛き勢いをもって奮闘は激戦いたしても国を乞い請け帰れとの日の神の厳命にござる。御命におかれましても時期の至れりと御覚悟あって、国は譲るとか譲らんとか、ふたつにひとつの速やかなる御回答があってしかるべきと存ずるぞや」
くそう、まあ無茶なのは日の神とやらか。
高天原って民主主義じゃなさそうだもんな。
独裁者には逆らえないって感じなんだろうか?
もういっちょ煽ってやるぜ!
「これはこれは、この大国主の承諾、不承諾を問わず、この件を成立させよと宣りたまうか? しかしながら皇天の日の神に限り、某に対してさような辛辣極まる極言勅使を天降しになろうはずがなし。すなわちフツヌシの神とやら姦冥邪知なるところの神と見受けたり。我、日の神に代わり成敗いたしもって、この国顕幽分界の成立を図るほどに、確固たる信念を持ちご了解あってしかるべきと存ずるぞな」
日の神の勅使ともあろうものが、こんな無理やりなことをするはずないから、あんたは邪神だろと言ってやったわけだ。
フツヌシの体が小刻みに震えてるから、これはかなり怒ってる感じだ。
「我が神聖なる神にあらず、姦冥邪知の神と仰せになるか?」
「いかにも」
「なんとも御命においては、幽明幽界というて、目に見えない手にも取れないところまで見抜き見通す国津神ではござらんか。その大国主命たるものが、我を姦冥邪知の神と仰せになるからには、御命が衰えた結果と想像仕る」
いや待て、俺っちまだ17歳だし、心は永遠の厨二だし。
リアル妖精だし、衰えるどころか伸び盛りですよ!
ほんと失礼なおっさんだな。
フツヌシは怒りの感情あらわに続けた。
「この地において一命が果てるといえども、これもって名誉の戦死と心得たるところの我なればじゃ。奮闘は激戦に及んでも国は乞い請けるによって、はやはや戦場に立って御相手を成したまえ。勝負仕らんぞや!」
おうおう、来たよ来たよ。
強盗の本領発揮かよ。
成敗してやんよ!
「よろしかろう。今日は好んでの神戦とあれば、この大国主も懸命に立会い申さんぞや!」
「しかれば一戦!」
フツヌシが大剣を地面から引き抜くとともに、俺とフツヌシの一騎打ちがはじまった。