肥溜めの妖怪
この公園に最初のトイレが設置されたのは、僕が幼少の頃である。それまで公園はあったが、そこにトイレと言う概念がこの辺りにはなかった。なにぶんその頃はここも田舎で、糞便なんてその辺でしちまえ精神に満ち満ちていた。落ちる危険を顧みないで肥溜めにする猛者もいたほどだ(やった奴は大体落ちた)。そんな田舎も、再開発で年々と人が増え、それにつれて肥溜めや不潔な部分は消えていき、その一環で公園にもトイレも出来たのだ。
それから更に月日が経ち、再開発も一段落して、綺麗だったトイレも流石に汚くなった。それでも使える物は使う、という精神があるのかなんなのか、とにかく未だにトイレは汚いままで、新しくするという話は聞こえてこない。いい加減、綺麗なのに変えた方がいいよな、と、危機的な状況から救われる為にそこを使った私は思う。何せ水洗ではあるが汲み取り式なのだ。今日みたく暑い日だと、その部分から臭いがよく立ち上ってきて、臭い。ここは速攻で出るべきだろう。と思い、流して出ようとした、その時。
雷。
と、共に、ポツポツと。と思ったらすぐにザンザンと雨が降りだした。ゲリラ豪雨ってやつか。
私は困る。目的地が近いからって移動手段を自転車にしたのが裏目に出たか。運動不足だから、ここぞ、だったんだが。でも、ゲリラ豪雨ならそんなに長時間降らないだろう。なら、臭いが、ここでしばらく雨宿りして時間が過ぎるのを待てば良いだろう。臭いけど。
と。
「雨宿りですかい」
どこかから声が聞こえた。いや、方向は分かっている。下だ。下から聞こえる。だからこそ、私はどこからか分からないふりをしたかった。この状況で下、と言う事は汲み取り式のタンクの方角な訳で、そんな所から声が聞こえたと言う事実を認識したくないのだ。だが、声は続く。
「雨宿り、ですかい」
どこからかそう言う声が聞こえるような気がするが、雨の音が大きいので気付かないふりをする。
「あ、ま、や、ど、り、で、す、か、い!」
どこからか聞こえる声のトーンがとても強くなる。でも、無視する。これは絶対関わったらいけない案件だ。気にしたら負けだ。相手が根負けするのを待つ。
「食うぞ」
「あ、はいすいません聞こえています雨宿りです」
私の方が根負け、というか恐怖で負けた。食う、のイントネーションがナチュラルに過ぎる。この声の主は、間違いなく食うタイプだ、と心で理解出来るものだったのだ。
「聞こえているならすぐ答えを返すのが筋でしょう」
声の主はそう言う。未だ姿を現さないその声の主は、「まあ、それはいいでしょう」と言って続ける。
「雨宿りなら、どうです、あっしと一服しませんか」
「一服、ですか」
「さっきの無視のお礼は受け付けますよ?」
煙草を無心されている。怖かったとはいえ確かにあれは悪かったと思ったので、僕は懐の煙草箱を取り出し、二本抜きとる。一本を自分で咥え、もう一本を、ってどこに出せばいいんだ? と迷っていると。
するり。
手が伸びてきて、私の手の煙草を取った。体は見えない。ただ、手だけが伸びてきている。
「……」
正直恐怖心が湧いたが、すぐに「火をお願い出来ますかね」というので、すぐに気持ちをしきり直して、手が持つ煙草にライターで火をつけようとする。だが恐怖はまだ伝播しており、震える。なので、手の方に火が行ってしまう。そして、その手に火が付く。
「あち、あちちちち!」
「ああ、すいません、すいません!」
謝りながら火を消そうとその手をパンパンするが、火は消えないどころか余計に広がり、そしてあっという間に手の出ている方向へと向かっていく。
「やばい! あんた、逃げろ!」
「え?」
「ええい!」
手が、私に伸びる。そして、ふん捕まえられ、とんでもない力で投げ飛ばされた。遠く飛ぶ。
「ぐえっ」
大雨で濡れてぐちゃぐちゃの地面に叩きつけられる。そして、同時に爆発音が響く。
トイレが、吹っ飛んだ。
あまりの意味不明の展開に、私は茫然と雨に濡れるままであった。
後で聞いた話だが、あのトイレが出来る前の頃、この辺りには肥溜めに妖怪が住んでいるという話があったそうだ。だが、肥溜めはなくなってその居場所が無くなり、どこかに消えてしまった。だが、そこにあのトイレが出来た時に、そこのタンクに移り住んだのだ、とか。普段聞くなら突拍子もない話だが、あの謎の邂逅の後では、あれが肥溜めの妖怪だったのではないか、というのに、妙に得心がいく。だが、トイレは吹っ飛んだので、新しくなってしまった。下水道と繋がる最新式だ。タンクみたいな居場所がない。そもそも、あの爆発で大丈夫だったかも分からない。だが、私はなんとなく贖罪の気持ちを持ってしまい、家に汲み取り式の簡易トイレを設置してしまった。ここに、彼が来る気配は、今のところ、無い。
三題噺メーカーのお題に応えよう回第4回。お題は「雷」「時間」「最初のトイレ」でジャンルは「邪道ファンタジー」。邪道ファンタジーの引きが強いのか俺は。