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乙女ゲームとその原作者が書いたラノベと同人誌っぽいコミックと原作アンチ監督のアニメで全部展開が違う乙女ゲームの世界に転生してしまったらしい

作者: 入蔵蔵人
掲載日:2026/05/31

いきおいがすべて。



 わたくしの瞳から、ぽろりと真珠のような“ウロコ”が落ちてゆきました——。



 みたいな?


 知らない世界の、他人の記憶が流れ込んできた瞬間はそんな感覚だった。目からウロコってやつである。

 今までだってじゅうぶん鮮やかだったはずの世界の彩度が、もう一段、鮮烈に、刺激的に、華々しくなる。輝いて見える。


 天井ではキラキラと(きら)めくクリスタルに魔法で光が灯され、LED(・・・)の如き驚異的な明るさを放っている。

 壁は蔓薔薇のダマスク柄だけれど、落ち着いた配色だからか派手さよりも厳かな雰囲気のほうを醸し出している。

 等間隔に配置された立派な白い柱はくすみひとつなく、磨き抜かれた大理石か何かだろう床に反射していた。

 先ほどまではこれまた上品な弦楽器とピアノの演奏が流れていたはずだが——何故か今は聞こえてこない。


 ああ——ここは大広間だ。学園の。


 白い石を削り出した、あまりにも精巧な薔薇の彫り物がされたテーブルの上には、純白のテーブルクロス。そして踊り疲れたり気疲れしたり手持ち無沙汰になったりしたときに小腹を満たすため、数々の一口サイズの料理やスイーツ、そして果実水が整然と並んでいる。

 壁際には、ちょっと類を見ない感じの大きな薔薇。この国の国花である大輪の赤い薔薇が——この時期にはまだ(つぼみ)すらついてないはずなのに——たっぷりと花瓶に盛られて、料理やスイーツを邪魔しない程度の淡い甘やかな香りを漂わせている。

 飾り付けられた広間、そして礼装に身を包んだ学生たちとその保護者たち。


 今は、そう、この学園の、——卒業パーティーだ。私は、卒業生、で。


「サンドラ……。」


 目の前には、忌々しい小娘を——いや、違う。あれは聖女で、この世界の“ヒロイン”だ。

 原作通りの(・・・・・)可愛らしいヒロインを斜め後ろにかばいながら、こちらを(うかが)う婚約者——“メインヒーロー(攻略対象)”がサンドラと……、名前——私の……“わたくし”の名前を、おずおずと、呼んだ。


 私は、“わたくし”として、かなりゴテゴテした宝石まで付いているふっさふさの扇子で口元を隠し、婚約者を見ていた。見ていたというか、見ているというか、すごく不機嫌そうに睥睨(へいげい)している。睨んでまではいないとは思うけれど、すごく冷たい目をしていることだろう。

 “わたくし”は、この国にひとつしかない公爵家の長女で、この学園の生徒の中では婚約者である王太子の次に偉いのだ。不躾(ぶしつけ)な視線や態度に対して多少喧嘩腰で返しても、大体は許されるくらいには、ね。


 いえでもまさか——これは、“わたくし”に対しての婚約破棄のシーン(・・・)なのでは?


 そう思い立って、私と“わたくし”の心は強張(こわば)った。

 しかし顔にはおくびにも出てないはずなので、そういった心の変化は誰にも気付かれていないだろう。私が標準装備しているらしい強固な表情筋は、“わたくし”が頑張ってきた王妃教育の賜物(たまもの)である。そんなこともできないようでは、だめなのだ。“わたくし”は将来王妃になる、現在この国の令嬢の頂点なので。


 そんな感じでぶわわと流れ込んできた膨大(ぼうだい)な情報とそれに付随(ふずい)した庶民(しょみん)の感覚は、なんでかふわっと“わたくし”の精神に馴染んだ。むしろなんか待ち構えてたくらい自然に同化した。同化して結果的に“わたくし”の記憶や知識は増えたはずなのに、語彙(ごい)は減った気がした。気のせいかしら?


 そして記憶がうまい具合に混ざり合った結果、“わたくし”は完全に(さと)った。

 今から“わたくし”は、婚約者でありメインヒーロー(攻略対象)であるこの王太子フリードリヒに、なんやかんや言われて婚約破棄を突きつけられるのだ、と。


 “わたくし”はこれっぽっちも納得がいかないし、この世界の貴族的に考えてもそこまで納得できる理由ではないけれど、王太子はどうやら“わたくし”が聖女に対してやった諸々(もろもろ)のことが気に入らないのと、聖女のことが好きになってしまったのとで、公爵令嬢である“わたくし”との婚約を破棄するらしい。到底信じられないが、今から。そう、今からだ。卒業パーティーの真っ只中(まっただなか)である、今!……正気かしら?


 婚約破棄の最大の理由となる聖女に対しての嫌がらせについては、9割以上は取り巻きが勝手にやったことだが、管理下にあるはずの取り巻き令嬢らを(とが)めなかったことは、まとめ役である“わたくし”の罪だということらしい。


 まあ、実際“わたくし”は聖女に対して「いいざまですわねもっとやれ」とか思っていたので弁明は全くない。

 当然だ。相手は聖女とはいえ実体は男爵令嬢であり、“わたくし”にとってはそのへんの平民と何ら変わりなかったし。

 その平民レベルのマナーもくそもない聖魔法を使えるだけの小娘が、公爵令嬢である“わたくし”の婚約者である王太子と仲睦(なかむつ)まじく話をしているのだから、気に入らないのは当然であった。婚約者もまんざらではなかったようだし。誰だって道の真ん中に邪魔な石が転がっていたら蹴り飛ばしたいと思うだろう。

 まあ、本気でそう思えば命すらひと息で吹き消すことも公爵家なら可能ではあったけれど、相手は一応聖女なので。つまり“わたくし”は低俗ないじめ程度で許し、大目に見てやっていたのだ。


 だというのに、ちょっと服やノートを破かれたからといって、婚約破棄ですって?

 そのへんの有象無象(うぞうむぞう)貴族ならともかく、王家と公爵家の契約なのに?


 あの厳格で気難しくて唐変木(とうへんぼく)な公爵であるお父様がそんなことを許すとは思えないし、そもそもこういう場でそんな宣言をするのだから王も許すはずがなく、今回のこれは王太子である婚約者の独断である可能性が高いけれども、フリードリヒは昨日までだってそんなアホの子ではなかったはずだ。


 ともかく、婚約破棄をした物語の結末は分かっているので、私はサンドラとして——“わたくし”として、責任を持って事の成り行きを見守るべく、婚約者の言葉の続きを待った。待っていた。婚約者を偉そうに睥睨(へいげい)しながら、4~5分は待っていた。……え、長すぎん?

 “わたくし”が待ってあげているというのに、なぜかフリードリヒは、そのあとの言葉をまるで続けたくないかのように口を閉ざし、こちらをじっと見つめているばかりだ。沈黙ばかりが続いて、シーンが進まない。セリフを送るための“▶”も当然存在しない。


 そこでふと思い立った。これはもしや原作の乙女ゲームではないのでは?、と。

 だってなんか、フリードリヒの挙動が不自然すぎる。


 私の記憶が確かならば、メインヒーロー(攻略対象)が王太子フリードリヒで悪役が公爵令嬢サンドラの学園モノ乙女ゲームといえば、まあ【聖女と魔法の鈴】しかない。通称は、【聖鈴(せいリン)】。この学園も聖鈴(せいれい)学園なので、そこは間違いないだろう。


 ストーリー的には王道厨が書いた王道で、聖女である男爵令嬢がなんやかんやいろいろを諸々(もろもろ)頑張って、婚約者がいるヒーロー(攻略対象)といい感じになって結ばれるというやつである。ヒロインに選ばれたヒーロー(攻略対象)の婚約者がなる悪役令嬢については、基本的には穏便(?)に修道院に送られることがほとんどだ。

 “わたくし”からすれば、堂々と浮気をして堂々とそれを棚に上げて卒業パーティーで公開婚約破棄をかますなんて、ヒロインとヒーロー(攻略対象)はよっぽど平民落ちしたいのかしら、という感じだけれども。フィクションだから、当然のように許されてハッピーエンドだ。不満しかない。


 しかし考えてみれば、この王太子フリードリヒの後ろに隠れている聖女でありヒロインでもある彼女の名前はクリリスチーヌで、乙女ゲームの初期ネーム(マリリン)ではない。

 クリリスチーヌという名前は、マリリンという初期ネームが「なんか時代を感じる」とネットでさんざん言われた原作者が、パラレルラノベで全くおんなじ見た目のヒロインに新たに付けた名前だ。以降、【聖鈴(せいリン)】関連のヒロインの名前はどの派生作品でもクリリスチーヌで統一されている。


 フリードリヒが何も言わないのを良いことに、私は色々と頑張って派生作品のストーリーを思い浮かべてみた。


 原作ではヒロインはマリリン(名前は変更可能)で、6人いるヒーロー(攻略対象)のうち1人を選んで攻略して結ばれる。全員もれなく婚約者がいて、それが悪役令嬢として立ちはだかる。ちなみにマリリンは聖女で回復魔法に長けているらしいが、戦闘とかは特に無い。聖女は平和の象徴として扱われている。


 次に、原作者が書いたパラレル世界のラノベでは、ヒロインはクリリスチーヌだが中身は転生者でありハーレムを目論んで、しかし失敗する。王太子の婚約者である公爵令嬢サンドラも転生者だったからだ。いわゆる悪役令嬢が主人公の王道ラノベだった。

 ——しかし目の前の聖女サマは、“わたくし”の記憶を探ってもハーレムなんてものは全く作ろうとしていない。王太子や攻略対象の近くには居たが、勉強も頑張っている普通に真面目ないい子だ。


 では……コミック版?

 コミックはいわゆる二次創作みたいな感じだった。同人誌ではないけれど、描いたのは私も大変お世話になっていたかなり実力派BL同人作家のS氏だったし、実際活躍するのはヒーロー(攻略対象)だし描写されるのはヒーロー(攻略対象)同士の絡みばかりで、ヒロインと悪役令嬢は2人とも腐女子で仲良くきゃあきゃあ……というかこっちはこっちで百合百合(ユリユリ)していた。これが原作者公認で【聖鈴(せいリン)】シリーズの公式コミックとして出版されているのだから驚きである。

 視線を上げると、王太子の後ろには各属性(いわゆる脳筋炎タイプとか冷静氷タイプとかそういうの)を担当しているヒーロー(攻略対象)たちも居て、フリードリヒと同じようにこちらを(うかが)っていた。睨んでいるわけでもなく、眉尻をやや下げて、こちらの出方を見ているような変な状態だ。

 まあ、“わたくし”の記憶の中でも、別に彼らはイチャコラしてなかった。節度ある、きちんとした王太子の側近候補たちだ。


 と、は、い、え、アニメ版ではないこともたしかだろう。

 アレはなんかスピンオフとか二次創作とかもうそういうレベルではなく、原作アンチの監督が好き勝手やった自己満作品で、主人公は完全なるチートを持って転生したアニメオリジナルのTSヒロイン(通称モブリスチーヌ)で、ヒーロー(攻略対象)たちを次々にメロメロにして結果的にハーレムを作り上げて国を飛び出し、荒野にチート魔法で新しく国を作りスローライフをするとかいう、ヒロインも悪役令嬢もモブ未満の扱いのようなやつだったのだ。

 婚約破棄はあったが、目の前にいるのはどう見ても正当なヒロイン、クリリスチーヌである。誰だお前本当に前世男だったの?みたいなブリブリしたモブではない。北の荒野に新しい国が出来たという話も聞かない。


 では、これは……ええと、どういう?


 扇子の奥で目を光らせ周りを威嚇しながら、“わたくし”は考えを巡らせた。


 舞台は確実に私の記憶の中にある【聖女と魔法の鈴】である。登場人物も全員同姓同名で、爵位も正しい。

 あと、もうひとつ確かなのは、“わたくし”はこれから、この輝かしき国の未来を担う貴族の子息令嬢たちやその親たちの面前で、聖女であり男爵令嬢であるクリリスチーヌを背に庇った婚約者で王太子のフリードリヒに、婚約破棄という恥ずべき汚点を付けられかけているということ、か。


 それはもちろん——許容などできるはずがない。


「……なんですの?フリードリヒ様。」


 “わたくし”は、私の記憶のせいでどんどこ太鼓を打ち鳴らすような自分の心臓の音が周りに聞こえていないかどんどこドキドキしながら、平静を装ってなるべく冷たく見えるようにフリードリヒに聞いた。


「君は……、」


 そう言いかけて、フリードリヒはまた口を閉じてしまう。

 なんなんだ。なんなのかしら。なにごと?なにがしたい?

 私と“わたくし”の頭の中は疑問符でいっぱいである。なぜそこで言い淀む?


「あ、あ、のっ、……サ、サンドラ様っ……!」


 不敬にも“わたくし”に声をかけてきたのでじろりと()めつけてやると、クリリスチーヌはぐっと言葉に詰まってしまい、それを見ていたフリードリヒもさらに困った顔をしてしまった。

 後ろに居並ぶ各種ヒーロー(攻略対象)たちも、なぜか戸惑いを隠せないような顔でこちらを見ている。何?バグ?いや、まさか。


 公爵令嬢としてあり得ないことだが、もしやドレスにほつれでもあったのだろうか。そんな恥ずかしいことなど100割(1000%)起こるはずはないのだが……。

 そう思って、私はちらりと自分のドレスに視線を落として確認したが、別におかしいところはない。今日も“わたくし”はドレスの縫い目まで完璧である。


 卒業パーティー会場には料理やスイーツが置いてあるが、“わたくし”は基本飲み物以外には口を付けないので、食べかすが口に付いているわけもないし。


 突然始まった8対1の構図に何事かとひたりと静かになっていたパーティー会場も、王太子が何も言わないせいで変なざわめきが起こりはじめていた。


 会場と私と“わたくし”の気持ちはきっと同じだろう。

 こいつらは何がやりたいんだ???である。

 私は目を(すが)めて、小さく咳払いをした。フリードリヒに続きを(うなが)したのだ。


「……サンドラ、あの、その、瞳が……」


 あのハキハキ喋るはずの正統派ヒーロー(攻略対象)の王太子が、言い(よど)みながらも、なんとかひねり出すような弱々しい声で言う。


「瞳が、なんですの?」


 睨むなとでも言いたいのだろうか。誰が“わたくし”に睨ませるようなことをしでかしていると思っているのだろうか。“わたくし”は段々と腹が立ってきて、眉をひそめた。


「どうなさったのです?はっきりおっしゃってくださいませ。」


 本来の令嬢ならばもっとおしとやかに、婚約者の少し後ろくらいで(つつ)ましく微笑んでいるくらいがいいのだろうが、“わたくし”は未来の王妃なのだ。現王妃様もかなりお強い(・・・)し、王になるフリードリヒを尻に敷くつもりで王妃教育を頑張りなさいというお言葉まで(たまわ)ったことがあるので、“わたくし”は強気がだいじ!と思いながら腹から声を出すべく力を入れた、が。


「目の色が、その、いつもと、違う、ような……それで、なにか変わったことが、なかったかな、と……。」

「……わたくしの目の色が違う、ですって?」


 私はすぐさま記憶の中のあらゆる【聖鈴(せいリン)】の設定を洗い出した。

 そうして、わりと浅い段階で早めに導き出されたのは。


 “わたくし”は、まさかと思ってフリードリヒの顔をじっと見た。


 見つめすぎるのは不躾(ぶしつけ)であるし、……その……なんというか、婚約者の顔をじっと見つめるなんて、ちょっと、そこそこ、結構恥ずかしいので普段は絶対にしないのだが、頑張って見つめてみる。

 フリードリヒの頬が(かす)かに染まったが、そんなことよりも何よりも、設定では銀色のはずのフリードリヒの瞳に金が混ざっている。


 続いて視線を向けたクリリスチーヌの瞳の色はもっと顕著(けんちょ)だった。原作からアニメまで全ての設定では鮮やかなオレンジのはずなのに、今のクリリスチーヌの瞳はどう見てもピンクだ。どピンク。なんで今まで気付かなかったのだろうレベルのショッキングピンク。


 各ヒーロー(攻略対象)の担当色については髪の色が氷とか風とかになぞらえて水色とか黄緑で、それぞれの瞳はわかりやすく全部髪色と同じ色だったはずなのに、こちらに——やや期待しているような視線を向けている側近候補(攻略対象)たちもみんな、髪と瞳の色が違う。


 これは——


「……え、アニメ?まじで?」


 ぽろりと、うっかり“私”が言葉をこぼしてしまった。その瞬間、フリードリヒが動いた。


「サンドラ!君に伝えたいことがあるんだ!ぜひ一緒にあちらで話をしよう!」


 生き生きと瞳を輝かせ、エスコートするべく(うやうや)しく手を差し出すフリードリヒ。

 その後ろでは、クリリスチーヌが明らかに安心したような顔で力を抜いて微笑(ほほえ)み、その周りでも各種ヒーロー(攻略対象)たちが肩の荷が下りたかのように互いの健闘を称え合っている。お前らは何もしてないだろ。


「サンドラ、2人きりで話そう、ぜひ、今すぐにだ。私たち2人の輝かしい未来のために。」


 フリードリヒは先ほどのおどおどした顔や態度を一転させ、満面の笑みである。


「え、ええ……。」


 “わたくし”は困惑しながらも、その手を取った。


 どうやら婚約破棄は……しないようだ。よかった。


 いやそれにしても。マジで?本当に?本気で?と、私は思う。

 “わたくし”も、婚約者の変化に少しも違和感を感じていなかったことに少なからず衝撃を受けていた。


 “前世を思い出したら瞳の色が変わる”


 それはアニメのオリジナル設定だ。

 瞳の色が変わったら別人って疑われるだろ!というツッコミの嵐だったその設定が、まさかこの世界に反映されているなんて。え、つまりこの世界には、アニメには存在したアホみたいなチートを持ったハーレムを目論む名も知らぬモブ女がいるかもしれない、ってコト?えっ、怖っ……。


 いやでも、そんなバケモノがいたらさすがに“わたくし”の耳にも届いているはず。しかしそういった話は今まで一度も聞いたことがない。


 そんなことを考えていたからか、“わたくし”は無意識のままに手を引かれあれよあれよという間にパーティー会場からテラスへと連れ出され、庭に降り、パーティー会場の庭にいくつかあるガゼボに案内されて、いつの間にか座っていた。そして気づけばフリードリヒにテーブルの上で手を握られている。


「……フリードリヒ様?」


 いやさすがに恥ずかしい。すごく恥ずかしい。大好きな婚約者がにっこにこでこちらを見つめて“わたくし”の手を握っているとかいう恐ろしい状態に今さらながら気づいて、“わたくし”はなるべく平静を装ったものの、明らかに声が震えていた。耳が熱い。王妃教育をもっと頑張るべきだった。


「サンドラ、ああサンドラ、間に合って(・・・・・)よかった……!」

「……。」


 ——間に合う。


 その言葉に、私は、いやまあ彼らにしたら(・・・・・・)そうかもな、と思った。


 想像するに、おそらく私はこの世界に悪役令嬢という役割を与えられていたのではないだろうか。

 “わたくし”の今までの行動を(かえり)みたら、もうまさに乙女ゲームに出てくるようなTHE()悪役令嬢だったので。偉そうだったし——いやまあ“わたくし”は公爵令嬢で未来の王妃で今でもわりと偉いけれど。


 でも、あのままなら“わたくし”こと悪役令嬢サンドラは、婚約破棄されて北の修道院に行くことになっていただろう。物語の、なんだろう、強制力?みたいなそんなやつによって、おそらく。


 あの、主要人物全(・・・・・)員が転生者(・・・・・)という、あるあるな異世界転生にしたってちょっと転生者多すぎでは?みたいな状態の中、一人だけ世界の強制力のままに動いていた悪役令嬢である“わたくし”。

 “わたくし”以外がこの世界の物語の全てを知ったうえで動いていたとしたら、世界が求めるままに踊っていた“わたくし”の姿はさぞ滑稽(こっけい)に映っていただろう。

 そして、“わたくし”が何をしても、内心では「うん知ってた。」と頷いていたに違いない。恥ずかしぃ~……いや、今も恥ずかしいんだった。


「あの、フリードリヒ様、手、手が……。」

「大丈夫だ、問題ない。」


 いや問題しかないが。

 まあ、“わたくし”的にも恥ずかしいけれどまんざらではなかったので、それは良しとしとこう、かしら……。ふふ。


 じゃあ、次。


「アニメの設定が反映されているようですけれど、アニメ版の主人公(モブリスチーヌ)はどうなっていますの?」

「それがね、この世界、全部の作品がごちゃまぜになっているみたいなんだ。だから、どの作品からどのキャラクターが来ているのかもよく分からなくて。でも、アニメ版の主人公ちゃんは今のところ観測されてないかな。さすがに世界にとって異分子すぎたんじゃないかって。クリリスチーヌの予想だけど。」

「……そ、れは、その、そうでしたのね……。」


 全部の作品がごちゃまぜ。……全部の設定がごちゃまぜ???

 いやまあ、アニメ版の空前絶後の戦闘力を持った主人公が今のところ存在してないのは、“わたくし”にとってほんっとうに朗報(ろうほう)だけれども。


「ではその、コミック(BL)版も……?」

「そこはほら、みんな転生者だから——ああでも、クリリスチーヌは、まごうことなき腐女子だねえ。」

嗚呼(あぁ)……。」


 この世界で普通に生きていれば絶対に王太子の口からまろびでることのない“腐女子”という単語に、“わたくし”は彼が本当に転生者なのだと視線を伏せた、が、握られている自分の手が視界に入ってしまったのでスンとした顔でそっと視線を戻す。


「大変でしたのね。」

「そうだね。でも、アニメ設定で助かった面もあるんだ。転生っていうか憑依(ひょうい)?前世を思い出した?まあ、めんどくさいから全員“転生者”ってくくりにしてるけど、そういう人たち以外、誰も瞳の色の変化に気付かないようなんだ。私の父上や母上も、私の瞳の色が突然変わっても気付かなかった。だから、転生者を割り出すのはすごく簡単だったよ。」

「……わたくしのように、ですわね。」

「そう、君のように。とうとうゲームの最終局面になってしまって、君との婚約を破棄しなければならなくなったときにはどうしようかと思ったよ。転生者は自分の運命を自分で変えられるようだけど、NPC(中身がいない人)の運命については転生者は手出しできないようになってるみたいでね。どんなに手を尽くしても、君との婚約は破棄されかけていたんだ。だから——」


 そう言って、フリードリヒは手に力を込めた。


「君の瞳の色が、赤からみるみるうちに紫に染まっていったとき、あまりの喜びに身体が打ち震えて、言葉に詰まってしまったよ。」


 フリードリヒは、はにかんでそう続けた。


「喜びに?」

「そう、私はね、君のことが好きなんだ。転生者になって色々思い出す前から好きだった。だからおそらく、原作ゲームの中の私も、君のことが好きだったと思うんだ。」


 メインヒーロー(攻略対象)らしく正統派爽やかイケメンのフリードリヒが美しく微笑(ほほえ)みを浮かべながら恥ずかしげもなく恥ずかしいことをのたまったので、わたくしは思わず目を丸くしてしまった。


「ふふっ、そんなに驚くことかい?私は転生者になる前から、週に1度は厳しい王妃教育の合間に食べてほしいとメッセージカードを付けたスイーツを差し入れていたし、月に1度の君とのお茶会では君の好きな花を種から咲かせて(・・・・・・・)プレゼントしていたし、パーティーがあれば必ず私の色を入れたドレスを贈っていたし、誕生日は誰よりも一番立派な贈り物をしていたはずだ。」


 そう言われて思い返すと、確かにそうだった。


 この国の王族の魔法の属性は土なので、それに漏れずフリードリヒの属性も土で、なおかつ防御特化だった。土魔法は応用すると花を咲かせたりもできるらしく、おそらく今日のパーティーの薔薇も、自分を含めた卒業生たちのためにフリードリヒが土魔法で咲かせたものだろう。

 とはいえフリードリヒは王族であり魔法はいざというときに自分の身を護るためにとっておくべきで、婚約者に花を送るために使うのはやりすぎかもしれない。


 贈られたドレスも、フリードリヒの瞳の色である金糸や銀糸がふんだんに使われた上品なレースや刺繍と小物で揃えられたものが多かったし、誕生日プレゼントに至っては王族専用の避暑地の城に部屋の内装まるごとフリードリヒ・チョイスの特別室をもらったこともあった。6頭立ての目が潰れるレベルで豪華で乗り心地の良い馬車を、すごくガタイの良い強そうな馬付きでもらったこともあった。それ以外にも、宝石だけで編まれた天蓋とか、遠い国で栽培されているクリスタルでできた花とか、ちょっと怖くて値段が聞けないものばかりをもらっていた気がする。


 今思えば、愛が重い。とてもとても重い。むしろなんか怖い。今日着ているドレスも、当然フリードリヒ・チョイスで、彼の瞳の色がしっかり縫い込んである。あれ?これなんか刺繍に紛れてフリードリヒの名前が……いや、これ以上考えるのは止めておこう。


 でもそうなってくると、なんでゲーム内のフリードリヒはヒロインに心移りしたあげく、サンドラと婚約破棄したのだろうか。ヒロインによる魅了魔法を疑うレベルである。もしくはなんか惚れ薬を飲まされたとか?

 いやまあ、原作者の思いのままに動くのが、キャラクターの役割ではあるけれど。


「そうでしたの……。」

「そうなんだよ!君だって、転生者になったわけだけども、今までの公爵令嬢としての本質は変わらないだろう?私も、本質は変わってないんだ。クリリスチーヌは生まれたときからだから本当の本当に転生者で、ちょっと違うかもしれないけれど。」

「人によって、転生者になる時期が異なっていると……?」

「うん。私はクリリスチーヌを初めて目撃したときに、転生者になった。クリリスチーヌとはその時に目の色を指摘されて、転生者同士だと分かったあとは話すことが多くなった。私はこの世界について何も知らなかったから、色々と助けてもらっていたんだ。」

「——そういうこと、でしたのね。」


 私は深く頷いた。【聖鈴(せいリン)】はR18展開などはない乙女ゲームであるので、まあ、普通の成人男性とかはやらないだろうから、フリードリヒを転生者にした(なにがし)が何も知らなかったというのは頷ける話だ。

 腐女子であるというクリリスチーヌがどこまで【聖鈴(せいリン)】のことを知っているかは分からないが、何も知らないよりよっぽど助かる情報をもたらしたことだろう。


「そのうちに、私の側近候補……というかまあ、攻略対象たちもどんどん転生者になっていって……。」

「それで、クリリスチーヌを中心としたグループが出来上がっていった、と。」

「そう。でもそのときにクリリスチーヌから、“婚約者は絶対に大切にすること”と強く念押しされていてね、だから攻略対象たちとその婚約者の交流はきちんと時間を取って大事にしていたし、誰一人仲違(なかたが)いしていないんだ。私と君、以外はね……。」


 悲しそうに目を伏せるフリードリヒに、わたくしは苦笑いをこぼす。


「仕方ありませんわ、だって、“私”の知識の中にありますもの。強制力、というのでしょう?きっと、この世界のために、誰かが悪役にならなくてはならなかったのですわ。そしてフリードリヒ様、あなたはメインヒーロー(攻略対象)。ならばわたくしは、メイン悪役令嬢として立つべきと、世界に定められたのでしょう。」

「そう言ってくれると助かるよ、サンドラ。さすが私の婚約者、未来の王妃だ。」

「ええ。そして、わたくし——この世界の魔王、でもあるのですわ。」

「……えっ?」


 きょとん顔で言葉を失ったフリードリヒに、わたくしは、ふふふと笑って見せる。


 そう。そうなのだ。

 “全て”の作品の設定がごちゃまぜである、というのならば。


 わたくしは目を閉じて、自分の体の中心を意識した。鳩尾(みぞおち)のあたりだ。

 (わだかま)るように(うごめ)く闇が、たしかにそこにはあった。存在している。婚約を破棄され修道院に入れられ絶望してから目覚めるはずの、わたくしの力。

 遠い昔に土魔法の王家から“抑止力”として分かたれた公爵家で密かに受け継いできた、護りに特化した王族の魔法を穿(うが)つことのできる、闇属性の魔法の力だ。


 言葉を失ったまま固まっているフリードリヒを見つめて、わたくしは笑みを深めて口を開いた。


「クリリスチーヌさんは知らなかった、というよりも、知ることができなかったのでしょう。転生されたのがずいぶんと前だったから……そう、彼女が転生(・・)したあと(・・・・)に出た、10年ぶりの【聖鈴(せいリン)】シリーズの最新作(・・・)のことを。」


 【聖鈴(せいリン)】最新作。


 それは、誰もが出るなんてこれっぽっちも思っていなかった、まさに青天の霹靂(へきれき)のような発表だった。

 修道院に入れられたサンドラが闇の魔法に目覚めて魔王となり、それを聖女クリリスチーヌが王太子フリードリヒ+攻略対象を2人選んで4人で旅をして倒しに行くという無料RPG。これまたまあ王道の中の王道だ。


 未来の王となるはずの王太子が、未来の王妃である婚約者の聖女と魔王退治に行くとか、王道ではあるけれど現実的に考えたらあり得ない話ではあるが。


 そんなゲームを作ったのは【聖鈴(せいリン)】原作者で、そのゲームはRPGツクレール2099という多少値の張るソフトによって作られた、古き良き8方向移動しかできないチープなRPGだった。


 しかし、ドットで描かれたかなり古めかしいゲーム画面に対して豊富すぎる場面ごとの(RPGなのになぜかある)スチルは、全てコミックを担当した実力派同人BL作家S氏の書き下ろしで、キャラクターの会話はフルボイスでなおかつアニメと同じ声優がやるという、あまりの無駄な豪華さで、あとラストがラストだったので話題性だけはすごかった。

 もちろん、“私”はやっていた。無料だったし。……なぜ無料なのかって?スチルもボイスも完全ご厚意(こうい)によるボランティア収録だったかららしいよ!意味不明すぎるね!


 ——まあ、でも。


 コホンと小さく咳払いをして、わたくしは内に秘めている闇の魔法から意識を離した。


 わたくしが魔王となってしまったら、きっと婚約者様はわざわざ長い旅をして退治しにきてくれるのだろう。王太子なのに。攻撃魔法なんて、使えないのに。

 闇落ちしたわたくしを、おそらく、愛ゆえに(ほふ)るために。

 このヒトは北まで、わたくしを目指してはるばる旅をしてきてくれるのだ。

 この婚約者様は、なんて(いと)おしいのだろうか。——まあ、その隣には聖女様がいるんだろうけど。腐女子の。


「最新作?……魔王?サンドラ、何を言って……?」


 婚約者がおろおろと狼狽(うろた)えている姿すら、“みっともない”ではなく“可愛い”と思えるようになったのだから、本当に転生者になってよかったとわたくしは思った。

 “私”には感謝すべきだ、本当にありがとう。どういたしまして。よかったね、闇落ちしなくて。ええ、本当に!


「ふふ、大丈夫ですわ。わたくしは魔王などにはなりませんから。」


 わたくしは握られた手をそっと引き抜き、フリードリヒの手の上に重ねて置き、微笑(ほほえ)んで見せた。


「本当に、わたくしも、間に合ってよかったと思いますわ、フリードリヒ様。危うくわたくし、貴方に振られて悲しくて、この国を滅ぼすところでしたもの。最新作は、トゥルーエンドが王国滅亡のルートでしたのよ。」




おしまい

__________

ゆるふわ登場人物紹介


原作者

“王道”ならなんでも好き。

真実の愛ならば公衆の面前で婚約破棄をしても許されるのが王道ならば、正しい相手を追放したらざまぁ展開で国が滅びてしまうのもまた、王道。


サンドラ公爵令嬢(RPG版)

婚約者で王太子なフリードリヒの一番好きなところは、美しい自分に相応しい顔とのこと。

RPG版では聖女をひっさげてやってきたフリードリヒにブチギレて王国が滅亡したが、それがまさかのトゥルーエンドだった。


王太子フリードリヒ(原作者が世に出してない溺愛ラノベの下書き版)

婚約者として初対面した御年5歳の頃からサンドラ大好きで、愛がわりと重め。

どう考えてもサンドラと婚約破棄しそうにないため、なぜ乙女ゲームでは聖女にかまけて婚約破棄などしたのだろうと転生組は首を傾げるばかりだ。


クリリスチーヌ(コミック版)

コミック版のクリリスチーヌだからではないが相当な腐女子。

サンドラのことも好きで百合展開もアリだと思っている。


攻略対象の6人

いろんな作品から連れてこられたが概ね原作ゲームと変わらないステータスのみなさん。


アニメ版の主人公

辺境の商家に生まれ、自分にチートがあるなんてこれっぽっちも知らないまま幼馴染の男性と結婚して、子どもは出来なかったものの孤児院から優秀な養子を迎えて大きな犬とともに家族4人で幸せに生きて死んだ。



チアーズプログラムに参加してみた……ぞ!うおお!

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