第3話「黄金の輝き、最初の一歩」
季節は巡り、堆肥作りを始めてから三ヶ月が経った。
俺とリナが毎日欠かさず世話をした堆肥の山は、すっかり姿を変えていた。あの鼻を突くような臭いは消え、代わりに森の土のような豊かで香ばしい匂いが漂っている。
「すごい……カイ様、本当に土みたいになりましたね」
リナが黒々と熟成した堆肥を手に取って感心したように言う。その手触りはふかふかでさらさらだ。
「ああ、大成功だ。これぞ『完熟堆肥』。土壌改良材としては最高級品だぞ」
俺たちは完成した堆肥を父から許可された屋敷裏の小さな試験農園に運び込み、カチカチだった土に丁寧にすき込んでいった。石ころだらけでクワの刃も立たなかった土が、堆肥を混ぜ込むことで嘘のように柔らかく、生命力に満ちた土壌へと生まれ変わっていく。
『この感触……! 間違いない、最高の土だ!』
前世の記憶が蘇る。これだけの土なら、どんな作物だって元気に育つはずだ。
俺はこの世界で一般的に栽培されている麦の一種、「コルン麦」の種をまいた。他の畑と同じ種、同じ作物。違いは俺が作り上げたこの土だけだ。
「カイ様、本当にこれで育つんでしょうか……」
リナが不安そうに尋ねる。領内の他の畑では、今年も作物の育ちが悪いと聞く。
「大丈夫。あとはこいつらの生命力を信じるだけさ」
俺は自信満々に頷いた。
それからの日々は驚きの連続だった。
俺の畑のコルン麦は他の畑とは比較にならないほどのスピードで芽を出し、ぐんぐんと成長していく。茎は太く、葉は生き生きとした緑色に輝いている。
その異常な成長ぶりに、最初は俺を馬鹿にしていた使用人たちも、次第に遠巻きながら興味深そうに畑を眺めるようになった。
そして、収穫の秋。
俺の小さな試験農園は信じられない光景に包まれていた。
「こ、これは……!」
そこに広がっていたのは、見渡す限りの黄金の海だった。
一本一本の穂がずっしりと重く、頭を垂れている。その大きさは領内の他の畑で収穫されたものの二倍はあろうかというほどだ。
噂を聞きつけた父と兄たちが、慌てて畑にやってきた。
「ば、馬鹿な……。同じ種をまいたはずだ。なぜ、この畑だけが……」
父ルドルフは目の前の光景が信じられないというように目を見開いている。
「カイのやつ、何か妖術でも使ったんじゃないのか?」
「ありえん……。たかが糞やゴミを混ぜただけで、これほどの差が出るとは……」
兄たちも愕然として言葉を失っていた。
してやったり、という思いがこみ上げてくる。俺は胸を張って言った。
「父上、これが俺の言っていた『堆肥』の力です。土を育てることで、作物はこれだけ応えてくれるんです」
俺はカマを手に取り、見事なコルン麦を一本刈り取って父に差し出した。
父は震える手でそれを受け取り、ずっしりとした重みを確かめるように何度も何度も見つめていた。
その日の夕食。
食卓には俺の畑で採れたコルンの実を挽いて焼いたパンが並んだ。
いつも食べているパサパサの黒パンとは違う。ふっくらと膨らみ、香ばしい匂いを漂わせる黄金色のパンだ。
家族全員が恐る恐るそのパンを口に運ぶ。
「……美味い」
最初に呟いたのは父だった。
「なんだこれは……! こんなに風味豊かなパンは、王都で食べたもの以来だ!」
兄たちも次々と驚きの声を上げる。
リナは大きな瞳を潤ませながら、幸せそうにパンを頬張っていた。
「カイ様……美味しいです。本当に、美味しいです……!」
その笑顔が見たかった。
俺がこの世界に来て、最初に成し遂げたかったことだ。
たった一つの小さな畑。でも、これは間違いなくこの領地の、いや、この世界の農業を変える大きな一歩だ。
父はパンを咀嚼しながら、じっと俺の顔を見ていた。その目にはもはや侮蔑の色はなかった。代わりに宿っていたのは驚きと、そして微かな期待の色だった。
食事が終わると、俺は再び父の書斎に呼ばれた。だが、以前とは空気が全く違う。
「カイ。……見事だ」
父は静かにそう言った。
「お前の言う『堆肥』とやら、詳しく話を聞かせろ。そしてその知識を、この領地全体のために役立ててはくれぬか」
ついに来た。
俺が待ち望んでいた言葉だ。
「はい、父上! このカイ・アースガルド、必ずやこの領地を王国一の穀倉地帯にしてみせます!」
俺は力強く宣言した。
貧乏貴族の三男が見せた、ささやかな奇跡。
それはやがて国を揺るがすほどの大きなうねりとなっていく。
俺の異世界農業成り上がりストーリーは、まだ始まったばかりだ。




