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『絵を描く女』  作者: 水泡歌


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5/5

姫華〜後編〜

 3年生になって、にこちゃんと別のゼミになった。

 4年生になって、にこちゃんの教育実習が始まった。

 段々と行く道が別になって、いっしょに過ごす時間は減っていった。

 だからこそ、見つけたら全力で駆け寄った。

 目印は子犬のしっぽのような後ろ髪だった。

 4年生になると卒業制作が始まった。

 卒業制作。

 それは4年間の集大成であると共にそれまでの人生でもあるように思う。

 今まで生きてきた自分が一番作りたいもの。

 それを全力で探る。

 私は何を描きたいんだろう。

「まっしろ」と向き合う。

 探って探って見つけたのは「四季」だった。

 あなたがくれた「四季」だった。

 春、夏、秋、冬。F100号を各1枚。

 自分の身体よりも大きなキャンバスと向き合う。

 あの匂い、あの温度、あの感情をどうやって表せばいい。

 たったひとつの私の居場所。

 教室の机。

 ただ巡っていた私の四季。

 あなたに出会って知った。

 この国の四季がこんなにも美しいことを。

 にこちゃん。

 教えてくれたのはあなただよ。

 気付くと口元には笑みが浮かんでいた。

 私は夢中で描いた。

 ここに留めておきたい。

 どんなに覚えておきたくてもきっと記憶は永遠ではない。

 少しづつ少しづつ必要なものだけを残して消えていく。

 これから先、幾度となく季節は巡るだろう。

 でも、きっと今の私が描く四季が一番美しい。


 私の卒業制作は幸いなことに学長賞をもらうことが出来た。

 卒業制作展の初日。

 表彰を受けてから作品を見て回る。

 絵の搬入の時はバタバタしていてきちんと見られなかった。

 にこちゃんの作品は私の隣。

 向き合った瞬間、心奪われた。

『絵を描く女』

 それは自画像だった。

 キャンバス視点。

 絵筆を持った彼女が向き合うのはきっと「まっしろ」なキャンバスだ。

 その表情は綺麗事ではない。

 苦しくて、辛くて、描けない自分に傷付いて、それでも求めて、それでも描くことが好きで好きでたまらない。

 こんな表情、見たことがない。

 でも、これはにこちゃんだ。

 キャンバスだけが知っている彼女の姿だ。

「すごい……」

 思わず呟いていた。

 私はこの絵が好きだ。

 たまらなく好きだ。

 初めて思った。

 この絵が欲しい──と。


 卒業制作展は終了し、絵の搬出も終わった。

 私の作品は優秀作品としてこの後、別の場所にも展示されることになっていた。

 にこちゃんの姿を見つけて私は駆け寄って行く。

「にこちゃん!」

 にこちゃんが振り返る。

 あれ? いつもと表情が違う気がする。

 気になったけど、伝えたい衝動を抑えることはできなかった。

「卒業制作、見たよ! すごい、すごいよ、にこちゃん!」

 にこちゃんはじっと私を見ている。

 あれ? やっぱり様子がおかしい気が……。

 私はにこちゃんの手元を見る。

「あ、その子、『絵を描く女』だよね? 私、もう一度見たい」

 にこちゃんはにっこり笑った。

「いいよ、捨てる前に見て?」

「え……」

 私は固まった。

 捨てる?

「捨てるって、にこちゃん、何言ってるの?」

「そのままの意味だよ。こんなに大きなもの、あっても邪魔だろ?」

 にこちゃんは相変わらずにこにこしている。

 なんで? なんでそんなことを言うの?

「どうして? すごい絵だよ。見た人の心を揺さぶるすごい絵だよ」

「でも、誰も揺さぶられてなかったよ」

 にこちゃんの貼り付けたような笑顔がくずれる。

「にこちゃん?」

「みんな、姫華の絵ばっかりで、私のなんて誰も見てなかった」

「そんなこと……」

「そんなことあるんだよ! 私の全力なんて何の意味もなかったの!」

「……!」

 ああ、まただ。また傷付けた。どうして? どうしてこんなことになるの。

 だって、私は──。

「ごめん、こんなのただの私の実力でしかない……」

 にこちゃんがうなだれて謝る。

 違う。そんなこと言って欲しい訳じゃない。

 だって、私は──。

「……私はその絵が欲しいよ」

「え?」

「私はその絵が欲しいよ」

 にこちゃんは苦笑する。

「いいよ、ごめん、気を遣わせて」

 違う!

「気を遣うとかじゃないの、本当に欲しいの! 私はその絵が欲しい! 捨てるなんて許さない。私はその子を自分のものにしたい。私にその絵を買わせて!」

「買うって……お金なんてもらえないよ……」

 戸惑うにこちゃんに私はつなぎのポケットを探る。

 無料で譲って欲しい。

 描き手にも絵にもそんなに失礼なことはない。

 分かって欲しい。その絵には価値がある。

 私はその絵を買いたい。

 あ……。

 指先にあたったもの。

 ためらった後、取り出す。

「これで売ってください」

「それ……」

 差し出したのはにこちゃん貯金。

「その絵の価値には足らないかもしれない。だから、今の私の一番大切なもので許して欲しい」

 にこちゃんは手を伸ばす。

 受け取った後、絵を差し出す。

 私は大切に大切に受け取る。

「ご購入ありがとうございました」

 にこちゃんが深々と頭を下げる。

 私は頭を下げ返すとにこちゃんから離れて行った。

 室内の綺麗な場所で絵を下ろす。

 携帯電話を取り出して電話する。

「もしもし、お姉ちゃん? ごめんね、お願いがあって──」


 少し経ってお姉ちゃんが大きな車で迎えに来てくれた。

「突然どうしたの?」

「ごめんね、どうしても運んで欲しい絵があって」

 トランクを開けてくれたので手伝ってもらって積み込む。

「別にいいけど。この車、姫華のために買ったようなものだし。でも、この絵、姫華の絵じゃないよね」

「うん、私、初めて絵を買ったの」

 下からちょんちょんと服を引っ張られる。

 見ると姪っ子の日向ちゃんがいた。

 確か今年で3歳。お気に入りの白いダッフルコートを着て、こちらをじっと見上げていた。

「日向ちゃん、どうしたの?」

 日向ちゃんはにっこり笑って言った。

「ひなた、このえ、すき」

「……!」

 ああ、そうか、ここにも……。

 私は笑う。

「私も大好き」

 こらえていたものが瞳からポロポロとこぼれだす。

 お姉ちゃんと日向ちゃんがびっくりしたように私を見る。

 誰も見てなかった。そんなことは絶対にない。

 少なくともここに2人、あなたの絵を好きな人がいる。

 伝わることはなかったけれど。

 にこちゃん、私はあなたの絵が好きだよ。



 それから、にこちゃんと会うことはなかった。

 卒業式に私は参加しなかった。

 卒業してからは個展を開いたり、色んな企業とコラボしたり、画集を出してもらったり。

 私は絵を描いて暮らしている。

 お金にも余裕が出来て、画材でお金を使い切ると言うことは無くなった。

 でも、昔のようにただ楽しいだけではなくて、まっしろなキャンバスを前に何を描くべきか分からなくなる時がある。

 そんな時はにこちゃんの絵を見る。

 アトリエを作る時に一番に決めたのは『絵を描く女』の場所だった。

 夜のアトリエ。

 今日も私はあなたの絵と向き合う。

 じっと見ているとつなぎのポケットに入れていた携帯電話が鳴った。

 誰だろう?

 見ると知らない番号だった。

 何だろう、怖いし出ないでおこう。

 無視してまたポケットにしまう。

 留守番電話に切り替わったのだろうか。携帯電話は鳴らなくなった。

 気になってそっと見るとメッセージが残されていた。

 不審に思いながら再生する。

『あ~、悠木です。覚えていますでしょうか。……また電話します』

 聞いた途端、心臓が大きく鳴った。

 にこちゃん?

 慌てて折り返す。

 呼び出し音が鳴って、すぐに出てくれた。

『も、もしもし!』

 慌てた声。

 私は呼ぶ。

「……にこちゃん?」

 息を呑む音がする。

 声がした。

『……久しぶり、姫華』

 大好きな大好きなあなたの私を呼ぶ声。

 ああ……。

 様々な感情があふれだす。

 うれしい、うれしい、ありがとう、

 言葉の代わりに私はしゃくりあげながら泣いてしまった。

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