10話 探偵、吹っ飛ばされる
恭介は『俺、ここで死ぬのか……?』と覚悟して目を瞑りかけたが、ふと気付くと大吾の後ろに猫さんが立っていた。
猫さんは日夜迷子の猫を探して捕まえていたため、気配を消す事に関しては右に出る者は少ない。 背後から忍び寄り、ガッと大吾を羽交締めにして取り押さえた。
……と思いきや抵抗する大吾にあっさり振り払われる。
猫さんは気配を消して忍び寄るのが上手いだけで、他の点では一般の男性よりも弱く荒事には全く向かないのだ。
「ふぎゃっ……!」
尻餅をついた猫さんの間の抜けた声が再び部屋に響く。
大吾は咄嗟に猫さんに向けてナイフを振りかぶった。 猫さんは尻餅をついた体制からバッとその場に縮こまる
「や、やめてー!!」
「ヒッ……! お、叔父さん早く!!」
宝華と猫さんの悲鳴を聞いて、親戚のふりをして部屋に潜んでいた銀次が前に躍り出る。 大吾がナイフを握る手を膝と手刀で挟みナイフを叩き落とす。 床に落ちたナイフを人気の無い方へ蹴り飛ばしながら、前につんのめる大吾を背負い投げした。
「⚪︎⚪︎時⚪︎⚪︎分殺人未遂で現行犯逮捕だ!」
銀次は時計を確認しながらそう言うと、大吾に手錠をかけた。
ふと猫さんを見るとまだ蹲っている。
「もう被疑者は捕まえたから、そんなにビクビクして丸まらなくていいんだぞ」
銀次にそう言われ猫さんはパッと振り返る。
「違います! 大吾さんに振り払われた拍子にコンタクトがひとつ落ちちゃってそれを探してるんです……。 皆さん動かないで……あっ、あったー!」
嬉しそうにコンタクトを掲げる猫さんの間の抜けた声が三度部屋に響く。
恐らくその場にいた全員が『何があっ、あったー!だよ』と思っただろう。
完全に猫さんの仕事が出来そうな人という雰囲気は崩れ去っていたが、この殺伐とした状況では猫さんの間抜けな雰囲気が救いかもしれない。
猫さんは周りをキョロキョロと見回し気まずそうに咳払いをした。 そして弁護士バッチを外しポケットに入れると大吾に尋ねる。
「僕はこれから探偵として質問します。 花奈ちゃんを襲ったストーカーは大吾さん、あなたですね?」
「はい」
あっさりと認めた大吾に猫さんが内心驚いた。
「おい、猫よ──」
嗜めるようにそう言った銀次に猫さんは頷いてみせる。
本来は公衆の面前で明かすべき事では無いだろう。 だがこの事だけは皆の前で明らかにしておいた方がいいと思った。
次期並木商事の社長となる花奈に万が一でも男女間のいざこざがあったと思われたら大変だ。 まあ先程のやり取りを見ていれば明らかに大吾に非があると分かるだろうが念の為だ。
それで弁護士事務所から何か言われたら辞めれば良いだけの話だ。
『あれっ? 僕が困る事は特に無いな!』
その事に気付いた猫さんは心置き無く質問を始めた。
「2ヶ月ほど前、並木家のポストにラブレターを投函しストーキングを始めた。 その事に間違いはありませんか?」
「……はい」
「その目的はストーカーを怖がった花奈ちゃんに頼ってもらうためですね?」
大吾は花奈をじっと見つめながら頷く。
「……そうです」
「思惑どおり花奈ちゃんに相談された後は大吾さん、あなたはどうしましたか?」
「……」
口を閉ざした大吾を見て猫さんは続けた。
「自分が横にいてはストーカーから花奈ちゃんを守るふりをする事が出来ない。 そう考えたあなたは身代わりのストーカーを仕立て上げたのではありませんか?」
「……そうですよ」
「その身代わりはあなたの大学時代の同級生の大畑祐介さんですね?」
大吾は頷く。
「どのようにしてストーカーの身代わりなどを引き受けさせたのですか?」
「ドッキリを仕掛けると言って金を握らせました。 だいたいの人が金をちらつかれせれば言う事を聞くでしょ? まぁ後々邪魔になったから消したんですけどね」
「……なるほど。 それでは1週間ほど前、再び花奈ちゃんに悪質な嫌がらせをしたのは何故ですか?」
「それは……その男、片瀬恭介と一緒にいたからですよ! ねぇ花奈ちゃん、困ったときに頼るのはいつも俺だったでしょ? なんで? 花奈ちゃんは俺の事が好きだったんじゃないの?」
大吾はそう言いながら花奈がいる方へ手錠をガチャガチャ鳴らしながら身を乗り出す。 銀次がそれを抑えると猫さんは再び質問を始めた。
「最後の質問です。 植木鉢や足場板は当たりどころが悪ければ最悪2人は死んでいました。 その事は考えていたのですか?」
大吾は花奈と恭介を見ながら答える。
「ええ、その男には当たれば良いと思ってやりました。 もちろん花奈ちゃんには当たって欲しく無かったですよ? でも運悪く当たって障害の残るような怪我を負っても俺が責任を取って、一生面倒を見るつもりでした。 それに万一死なせてしまったら俺もすぐに後を追ってあの世で結ばれるのも悪くないと思っていましたよ。 だってあの世だったら誰も俺達の仲を邪魔する奴はいませんから、ずーっとずーっといつまでも一緒にいられるでしょ?」
大吾は手錠を掛けられた両手を口の前に持って行き、頬を赤らめうっとりとした笑みを浮かべる。
恭介は予め猫さんに事件の犯人を聞いて辛い思いをする事も覚悟していたが、やはり精神的に堪える。 蒼白な顔をしている花奈は尚更だろう。 恭介はそっと花奈の肩に手を回した。
猫さんは寄り添う花奈と恭介を見て、最後の質問をしてしまった事を後悔していた。
なにも2人がいる場所で聞かなくて良かったのだ。 今までの様子を見ていれば大吾がこの質問にどんな答えをするかは予想できたはずだ。
だが一度スイッチが入ってしまうと止まらないのが猫さんの悪い癖だった。
それから大吾は銀次に連行され車に乗せられると、並木家の親族達も蜘蛛の子を散らすように帰って行った。 皆その目で見た悪夢のような光景を忘れようと必死なようだ。
人はよく『今思えば私も悪かったんだけどさー』といった言葉を使う事がある。
今までも自分達が信じてきた女尊男卑という文化に違和感を感じた者は少なくなかっただろう。 普段はその様な事を全く感じていない心臓に毛が生えたような人達でも、ふとした瞬間に必ず心の片隅で思うときがある。 だが自己保身を考える者や無気力な者がほとんどで見て見ぬふりをしてきた結果が今日の悪夢を生んだのだ。
大吾という1人の青年を歪ませ、人生を狂わせたという事を忘れたくても忘れられない。 いや、忘れてはならない、そのように思う日はいつ頃訪れるのだろうか──。
【次回、恭介の父、涼矢の死の真相が明らかに!】