1 学び舎
教会の窓から見る空はいつも同じ色をしている。明るい青と濃い紫を木ベラでひと混ぜしたような、昼と夜が同時に存在しているような空だ。
角が丸くなって毛羽立った窓の木枠にそっとはめられたガラスはゆらゆらと波打って、不思議な空の色を複雑に混ぜていた。風が吹こうものならガタガタと小刻みにガラスが動くものだから、外の景色は歪み放題で、さらに言えば木枠にぶつかる音がけたたましい。
この教会へ真面目に通っている同世代の子供たちはそれを嫌い、窓からできるだけ離れた場所に座る。
だが、ユリウスだけはいつも窓際の席にいた。雨で木枠から雨水が滲む時も、冷たい風が吹き込む時も、ユリウスは余り布や湯たんぽを身体にあてて座った。
そして今日も窓際に座っていたユリウスに、優しい女性の声がかかった。
「また貴方は講義中に外ばかり眺めていましたね」
ユリウスは何も言わずに前を向いた。
だが、思いのほか席の近くまで来ていた女性に、ユリウスは分かりやすく顔をしかめてみせた。
「シスターせんせーだって知ってるだろ。あの講義、俺には退屈だって」
「ええ、分かっています。貴方がここに来るようになって五年が経ちました。他の子に合わせるように講義をすれば、貴方が退屈するのも当然です」
修道服姿のシスターは茶色い紙の束を抱え、眉を下げて微笑んだ。柔らかく弧を描いた目元には青い隈があり、紙に添えられた指先は細かく皮がめくれて白い。
それさ、とユリウスが紙の束を指した。
「新しいの、いつ来るんだよ」
「もうじき来ますよ。そうしたら貴方もはじめて聞くようなことをたくさん教えてあげられますよ」
「もうじき来るって、それ、半年前にも言ってたぞ」
ユリウスは自分の教本を取り出した。
赤茶け、毛羽立ち、角は丸みを帯び、題名は掠れ、背表紙は上の部分だけ欠けている。開けた表紙の裏に僅かにはみ出した装丁から、元は深緑色の表紙だったことが分かる。
「俺の使いなよ。ボロボロだけど、表紙まで全部剥がれて紐でくくってるのよりはマシだろ」
「ありがとう。ですが受け取れません、それは貴方のための教本ですから。そしてこれは私のための教本、今まで培った学びがここに詰まっているのですよ」
「街に出回ってる教本より何年も遅れた教本に、何の意味があるんだよ。街の奴らから見たら、俺たちの全講義が古典だ」
ユリウスは目の前の机に教本を投げ置いた。
教本だけではない。机も椅子も年輪が浮かび上がるほど使い込まれて、気をつけないと肌に食いこんで痛い思いをする。教会自体も木材が軋んでおり、あらゆる所から隙間風が入り込み、歩けば軋む音が鳴り、板が歪曲する。ついこの間は裏にある階段の板が割れてしまい、子供が落ちる事故があった。一段目だったこと、かすり傷だったこと、劣化が激しかったために立ち入り禁止にしていたことで、子供の家とも世間とも戦わなくて良かったのは、不幸中の幸いだ。
とにかく、この教会は遅れていた。
「新しいものが正しいとは限りません」
「街のやつらと知識が違って、俺たち教会出がどんな差別を受けると思ってんだよ」
「守護者は差別を許しません。相応の報いを受けることでしょう」
「その報いっていつ受けんの。俺たちはいつ来るか分かんない報いを待ってなきゃいけないわけ。それは許されるのかよ」
机の上の教本もそのままに、ユリウスは踵を返して部屋から飛び出した。蝶番が外れそうだからといつもはそっと動かす扉も力いっぱいに開け閉めした。
教会へ礼拝に来ていた人たちは、教会の小部屋から飛び出してきたユリウスにぎょっとしたような目を向けたものの、それが教会に学びに来ている子供だと分かると何も言わずに再び目を伏せた。
建物から飛び出す寸前、教会を振り返ったユリウスは中央に立つ石像を見やった。すべてが木造のなかで、それだけは白く艶やかに在る。いつも静かに見守るだけの相手に、思い切り舌を出して顔をしかめてやったのだった。