15 召喚
クロイネの森。ベルシュカ市の外境方面に広がる広大な樹林で、内部には多くの獰猛な野生生物が生息しており人々を脅かしているものの、同時に豊かに育った木々から切り出される木材や森の恵みなどの恩恵も与えている。
森の奥地には過去に〈光の王〉の一人が統治した都市が存在しており、王が争いに敗れさって以降その都市は朽ち果てているが、隠された財宝を夢見て探索するものもたまに現れる。
そんな森の奥深く、廃墟となった都市の中心部に位置する広場にて、ユーリは猿轡を噛まされイスに縛り付けられた体勢で、モゴモゴと何とか抜け出せないか試していた。そしてその足元には何故か一揃えの赤いハイヒールが置かれている。
「君は何というか、意外と物怖じしない子だねぇ」
ユーリから数メートル離れた場所に立つ電子の仮面が呆れたように言う。
「〈光の王〉としてここに来たんだからそれも当然なのかも知れないが……」
ユーリがここに連れ去られて既に一日以上経過している。たまに水を飲まされるくらいで何も食べていないし、気丈なユーリであっても体力も気力も尽きてきている。
しかし、だからといってこのまま待つわけにはいかない。悪魔をどうこう言っていたが、ユーリも黙って受け入れることはできない。
何より何かしていないと落ち着かない性格でもあった。
「悪魔を召喚する方法をユーリちゃんは知っているかい?」
電子の仮面が端末を操作しながらユーリに尋ねる。端末からは何本ものケーブルが伸びて仮面に繋がっていた。
「?」
唐突な質問に首を傾げるユーリに電子の仮面が続ける。
「人の死や絶望が重なっていくと土地に負の力が溜まっていく、すると悪魔が向こう側から這い出て来るわけだ。特に上位悪魔の召喚ともなれば大きな負の力を集める為に何百人という贄を捧げることもあったらしい」
(っていうことは、ここは)
電子の仮面の言葉にゾッとするユーリがだったがその様子を見て電子の仮面が笑う。
「ハハ、別に生贄なんて捧げちゃいないさ。〈黒の経典〉と〈光の王〉である僕の力であればそのような手間は必要ない。光を操ると言うことは光を失わせることもできる。つまり、負の力を創出することも可能だからね」
「あなたも……なの?」
自身も〈光の王〉だという仮面の言葉に驚くユーリ。
「ああ、僕も王だ。と言っても国もなければ配下の騎士もいないけど。いざとなれば依代には僕を使うつもりだったからね。君が来てくれて本当に助かってるよ」
そう言われてもユーリとしては嬉しくない。
「さて、始めようか。――Activation。〈黒の教典〉召喚陣 術式展開」
電子の仮面の言葉に反応してその字名の通りのツルリとした仮面に大量の文字が流れ、その表示も目ぐるましく変化していく。
電子の仮面の足元から真っ黒な闇が這い出しユーリの周囲を複雑な模様を描きながら覆っていく。
(……魔法陣みたい)
自身の周囲に展開されていく文字や図形にそう思っていたユーリは、異臭が漂って来ていることに気付く。
(……これは血の匂い?)
周囲を見渡せばユーリの周辺の石畳の隙間からどんどんと血が湧き出てくる。そして当たり一帯が血の海と化した時それが血溜まりから這い出てきた。
――ズルリ
ユーリの目の前、ユラユラと左右に揺れながら出てきたのは二本の真っ赤な手だった。
二メートルほどの長さだろうか。地面から植物のように伸びた肩から先だけの赤い手は、しばらく辺りを探るような動きをした後、ユーリの足元に置かれた赤いハイヒールを摘んでゆっくりと持ち上げる。
強い血の匂いで頭がクラクラする。
ヒュー、ヒューと音が聞こえる。よく聞くとそれはユーリ自身の荒い呼吸の音だった。
不安と緊張が体を縛りつけ、拘束がなくてもユーリは動けなかった。
そのままブラブラとハイヒールを揺らす手に釘づけになっていると、また別の血の塊がモゾモゾと這い出てくる。
その塊はゴムのように伸び縮みしながら徐々に人の姿になってゆく。――真紅のドレスを纏い、キャプリーヌを被った紅の貴婦人。その顔には目も鼻もなくただ血よりも赤く形の良い唇だけがあった。
軽く辺りを見渡すように首を振った紅の貴婦人は、どうやってかユーリの姿を捉えたのか裸足でチャプチャプと血の海と化した広場をユーリに向けて歩み始めた。
ユーリの目の前まで来た貴婦人にブラブラと揺れていた赤い手が持っていたハイヒールを恭しく差し出す。
貴婦人はゆっくりと足を伸ばしてハイヒールを履いた。そして満足したように頷き、そこでグリンとユーリの方に頭を向ける。
「――っひ!」
ユーリから悲鳴が溢れる。
グイッと二本の赤い手が貴婦人を回り込んでユーリの縛られている椅子を掴み、そのまま持ち上げて貴婦人の目の前まで移動させていく。
吐息のかかろうかという距離。真っ赤な顔に大きく裂けた口が近づいてくる。ユーリはあまりの恐怖に目を閉じた。
「重複起動。〈黒の教典〉拘束 術式展開」
震えるユーリだったが、電子の仮面の詠唱と共に、赤い手と貴婦人がビクリと震えて不可視の鎖に縛られたかのように動かなくなる。
「久しぶりだね。血の暴動。旧交を温めたいところだけど、今は貴女に用はないんでね。彼女の中で眠っていてもらおうか」
電子の仮面の仮面に再び文字列が踊る。
同時にギチギチと貴婦人の口が開いていく。それは顎の限界を超えて広がり続け、そしてユーリに覆い被さるようにして呑み込もうとする。
(……お父さん、お母さん……九郎君)
恐怖に震えるユーリが最後に思い浮かべたのは丸渕眼鏡を掛けて不敵な笑みを浮かべる黒髪の青年の顔だった。
そこでユーリの意識は限界を迎えて途切れた。
* * *
時を同じくしてクロイネの森。日も殆ど落ち切った夕暮れにエウレカと別れたクロウはダリスの運転するトラックの荷台に紛れ込んで森の手前までやってきていた。
「臭いが濃くなってやがる。前に来た時はここまでじゃなかったが」
ここはユーリと初めて出会った森であるが、近くまで来ると以前に感じたものより強い悪魔の臭いがすることが良く分かった。
「ありがとよ、おっさん。こっから先は一人でいい」
礼を述べるクロウにダリスがその強面を歪ませながら頑張れとでも言うように親指を立てる。
「わ、笑ってんのかよ……それ」
再度ダリスに礼を言ってからクロウは森へと向かう。
街道から森へと逸れる道は途中で途切れていたが、猟師や森に入る探索者の拓いた微かな道が森の奥へと続いている。
クロウはその道を草木を踏み締め足早に進み出した。




