10 留置場
ベルシュカ市北部の一画には、市内の警備と外境から現れる悪魔からの国防を担う騎士達の本部が存在しており、敷地内には事務所や訓練場の他に留置所・押収物の保管庫などの施設が複合され、捕まった犯罪者は一旦ここに留置されることになる。
その施設の一つに、地下へと向かう階段を下る複数の人影があった。
「エウレカ卿、身体に異常は見受けられませんでしたので、尋問の後に最奥の房に収容しております」
「案内ご苦労様。ここからは僕一人で大丈夫さ」
「承知致しました。では、私共は入口の監視所に戻っております」
エウレカの言葉に牢を預かる騎士達が敬礼と共に踵を返す。
エウレカはそのまま房の奥に向かい、狭いベッドに横たわる男に声を掛けた。
「やぁ、元気?」
男は寝転んだままこちらを見やると深い溜息をつく。
「はぁ〜。誰かと思えばエウレカおじさんか。元気に見える? これ」
「おじさんはやめてよね。血まみれで発見された割には元気そうで良かったよ」
クロウを発見したのは通りがかった近隣の住民だが、その惨状に辺りは一時騒然となった。しかも身元を調べてみれば倒れていたのは指名手配犯である。
昨夜はクロウの意識が回復次第、何があったのかの尋問が行われ、現場の検証も含めてベルシュカ市騎士団は大忙しだった。
「調書を読んだんだけど、ユーリ君が襲われているところに君が駆けつけたって? やるじゃあないか」
「返り討ちにあってりゃ世話ねーよ」
茶化すエウレカにクロウが不機嫌そうに答える。
「ていうかおじさんはユーリちゃんのこと知ってるんだ?」
「少し前に君のことで案内所に聞き込みに行ったんだよ。倒れていたのは君だけでユーリ君は発見されていない。恐らくは連れ去られたんだろうけど、心配だね」
「どうもアイツらはユーリちゃんを殺そうとしてたみたいだからな」
状況を考えれば生きている保証はない。
「ユーリ君を襲ったのはこんな感じの奇妙な仮面を付けた男と十代くらいの少女。間違いないかい?」
エウレカが無精髭をさすりながらクロウに一枚のスケッチを見せる。
そこには〇と×で目を模した面を被った、クロウが昨夕に路地裏で戦った仮面の男の面が描かれていた。
「そーだね。何かピカピカしてたよ。おじさん……あいつらのこと知ってんの?」
やや据わった目で尋ねるクロウの言葉にエウレカは少しの沈黙を置いた。
「僕に聞いたって言わないでくれよ……そいつは通称『電子の仮面』。正体不明で目撃例もなし。それなのに危険度Sランク扱いの指名手配犯でね。ずっと放置されてたんだけど、半年前に奴がマギクラッド導国の燦術研究所を襲う事件があった。そこで奪われたのが〈黒の経典〉っていう術書でね」
「くろのきょーてん?」
「〈始まりの王〉は知ってるだろう。この世界がただ鏡の国と呼ばれていた頃の〈光の王〉が、己の秘奥を記した術書の内の一冊でね。不味いのは〈黒の経典〉は悪魔の世界と関わるための術が書いてあること。もっと不味いのはこいつを扱えるのは〈光の王〉以外は存在しえないことだ」
「〈光の王〉ねぇ。俺は会ったことないけど、何が不味いわけ?」
顔を顰めながら話すエウレカにクロウが尋ねる。各国を治める王が〈光の王〉と呼ばれる存在なのはこの世界の住人であれば誰しもが知っているが、外境暮らしが殆どのクロウからすれば単なる統治者といった認識だ。
「〈光の王〉はそれぞれが特別な力を持っている。今まで幾つもの国が興っては滅んできたけど、何でか鏡の国で王を名乗って国を率いるのは必ず〈光の王〉なんだよ。その〈光の王〉しか扱えない術書を奪った電子の仮面は〈光の王〉の関係者、あるいは〈光の王〉そのものである可能性がある。どちらにせよ、このまま奴を放っておくと戦争の引き金になる可能性があるわけだ」
「へー」
エウレカにしては珍しく神妙な顔をしたが、クロウは殆ど興味はなさそうだった。既に飽きてきてすらいる。
「あのねぇ、ニ年前の大戦が終結してやっと平和になったんだよ。一つの国が滅んで大勢の死者が出た。今の平和を少しでも維持しようと上は必死なのよ」
「そんなことよりさ。ここ出れないかな? 寝転がるのにも飽きてきたしね。ブチ破ろうかと考えてたんだけど、おじさんなら何とかできるよね?」
「うーん。逃げられちゃうと僕の既に低空飛行気味の評価が墜落しちゃうんだけどなぁ……」
「そこを何とか」
寝っ転がりながら両手を合わせるクロウに呆れ顔をするエウレカ。
「君、奴らに仕返ししようとしてるでしょ。強いのは知ってるけど流石に相手が悪いと思うなぁ。同じ指名手配といっても、クロウ君はCランク。罰金払って素直に国に仕えれば許して貰えるよ。どこの国も悪魔と戦える人材は喉から手が出るほど欲しがってるからさ。それで後は適当にやればいいのさ、僕みたいにね」
「胸に大穴空けられといて泣き寝入りしろってか? それにさ、それができるなら指名手配なんてされてないって」
強気に笑うクロウ。やられっぱなしは性には合わないし、幼いころから常に血の匂いがするほうに飛び込み、自身を鍛え続けてきた。
「ユーリ君がそこまで大事なのかい?」
尋ねるエウレカをクロウは笑い飛ばした。
「ハッ、俺は俺の思い通りにいかねーのが気に入らねーんだよ。ユーリちゃんなら俺が助けなくったって勝手に助かるさ。俺はあの野郎が最後に笑ってるなんて我慢できねぇだけだ」
クロウの言葉にエウレカは肩を竦めた。
「まぁ、いいけど。聞きたいことは聞けたし、クロウ君の身柄については数日後には導国に移送されるだろう。君と追いかけっこしてる間はのんびりできて良かったんだけどねぇ……残念だよ」
話を切り上げて立ち去るエウレカの背中に向かってクロウはまた溜息をつく。
「はぁ。エウレカさんには期待出来そうにないし、どーしたもんかな」
* * *
「ア……アァ……アアア」
テーブルクロスが敷かれた瀟洒な木製の机を挟んで人の形をした何かが呻いている。
それは体こそ人間と呼べるものだったが、肌は大きく爛れ、腹は縦にぱっくり割れてぬらぬらと唾液で汚れた不揃いな歯がのぞいている。首は胴から長く伸びてこちらに向かい、虚な目はどこを見ているのか分からないが、不気味なことこの上なかった。
「だーめよ。まだ食べちゃあ」
右横から嗜める声がする。
そこには幼い肢体似合わぬ蠱惑的な衣装を纏った少女がのんびりとケーキをつついていた。
(……まだ?)
少女のセリフに少し固まっていると今度は左側から声が掛かる。
「心配しなくていいよユーリちゃん。逃げようとしない限りそいつのお腹に収まることはないからさ」
左側には奇妙な仮面の男がノートパソコンのような端末を開きながら腰掛けていた。その端末から伸びたコードは男の仮面に繋がっており、先ほどから仮面には大量の文字や数字がスクロールしている。
「だってさ。ほら、気をつけ! シャキッとしろボンクラ!!」
「……アウー」
少女……イリーヤの声に目の前の異形が姿勢を正す。
しかしすぐにデロンと首が落ちた。
ユーリは特に拘束はされているわけではない。
窓から見えるのは廃墟のような街並み。ここもその建物の一つなのだろうが、部屋には埃一つ落ちてはいないし、調度品も整えられている。
ユーリ達の掛けるテーブルには紅茶置かれ、奇妙なお茶会が催されていた。
「インストール完了。まぁこんなところかな」
呟きながら電子の仮面がパタンと端末を閉じる。仮面から文字は消えていつもの〇×に戻っている。
「召喚の準備は完了かしらぁ?」
「うん、後は最後のピースを頂戴しに行くだけだ」
頷く電子の仮面に少女が妖しく笑う。
「フフ、ご一緒した方が?」
「いや、いい。段取りは整えてあるし、僕一人ですぐに片付くだろうからね。君が暴れる出番はないよ」
「そう」
そっけない電子の仮面に少女は残念そうだ。
「あ、あの。これから私はどうなるんでしょうか?」
話が終わりを見計らってユーリがおずおずと声を掛ける。
「うんうん。気になるよね」
電子の仮面がこちらを見やりながら頷く。
「ユーリちゃん、君は悪魔を知っているかい?」
ユーリはこの世界に来た時に目の前の仮面の男からけしかけられた犬のような異形を思い出す。概ねクロウのせいだが、あの醜悪さは今も夢で見て飛び起きるくらいだ。忘れるはずもない。
そして目の前の明らかに人ではないそれも、隣でケーキを頬張るイリーヤもそうと聞いた。
「基本的に彼らは人を好んで喰らい、世界そのものを蝕む。この世界にとっては害虫のようなものだ」
「害虫呼ばわりはひどいわぁ。ご主人様ぁ〜」
イリーヤが薄笑いを浮かべながら非難の声を上げる。電子の仮面はそれに軽く笑って謝りながら話を続けた。
「彼らが蔓延ると世界はその端から滅んでゆくとされている。つまりこの世界そのものが少しづつ狭まっていくわけだね。故に騎士達は悪魔討伐を任務としてせっせと働いているわけだ」
カイリから鏡の国には世界の果てがあると聞いた。また、ベルシュカ市のようにその果てに近い地域を外境と呼ぶとも。
悪魔がその原因であると?
だが、それがユーリとどう関わってくるのか。
「僕はそんな彼ら、その中でもより上位の存在を呼び出すための器として君を呼んだ」
「……器って、どうなるんですか?」
少なくともユーリにとって好ましい話ではないような気がする。
「あなたを食べちゃうのよぉ」
そう言ったイリーヤは嗜虐的な微笑を浮かべてユーリを見つめてくる。
「言ってたでしょう。悪魔は人を食べるって。あなたは美味しそうだものねぇ」
少女とは思えぬ雰囲気に気圧されて言葉に詰まるユーリ。
(この子も悪魔。ってことは体は……)
「そう、この子の意識は食べちゃった。跡形もなくね」
イリーヤの邪悪な笑いに背筋が凍る。
「あまり脅かすなよイリーヤ。しかし君の意識が悪魔に呑まれる可能性は高いだろうね」
意識が呑まれる。つまり、それが意味するところは……。
誰かがユーリのことに気が付いて探してくれているかも知れない。しかし、この場所にたどり着くまでにどれほどの時間が掛かるだろうか。恐怖と心細さに視界が滲んでくる。
そこでニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべながらこちらを見ているイリーヤに気付き、唇を噛み締めて気を持ち直す。自分にできることなんて何もないかも知れないが、相手の思惑通りというのも癪だった。
(攫われてることはきっと誰かが気づいてくれてるはず……)
カイリやルキアの顔が思い浮かぶ。傷が治ったとはいえ、クロウは大丈夫だろうか。そして、あの時傷を治したあの光は一体何だったのか?
電子の仮面は〈光の王〉と言っていた気がするが。
「……光の王」
ぽつりと呟いたユーリに電子の仮面は喜びを表すように仮面を点滅させる。
「そういえば肝心な事を説明していなかったね。文字通り〈王〉として君臨する存在さ。そして鏡の国においては神に等しい力を与えられている。ーーそれが君だ」




