9 仮面の男
そろそろ夕日が沈み切ろうとしている黄昏時。
民家が立ち並ぶベルシュカ市の路地裏の一画に、二組の男女が向かい合っていた。
「臭いってどういうことぉ!?」
クロウに臭いガキ扱いされたことが勘に触るのか、イリーヤが声を荒げる。
「お前、悪魔だろ。俺はそーゆーのは分かるんだよ。ガキンチョの案内で嫌な臭いがする方を辿ってたらここにたどり着いたしな」
「――な、なんで」
どうやら図星だったらしい。イリーヤが驚いた顔をしていた。
「九郎君、逃げて! この人達は私を探してたみたいだから」
先ほどまでの物騒な会話といい、仮面の男達は荒事には不慣れなユーリでもヤバいことは分かる。自身の揉め事にクロウまで巻き込むわけにはいかないだろう。
「ハッ、状況はよく分かんねーが、こいつらを潰すってんなら手を貸そうか?」
そんなユーリにクロウは何故か満足げに笑い、ユーリに問いかけた。
「で、でも」
「大丈夫だ。どうしても手に負えないようなら時間だけ稼いでさっさと逃げるさ」
そこに状況を静観してた電子の仮面が割り込んでくる。
「人払いもしているのに、どうやってここに入って来たか知らないけど、こちらの顔を見た以上は彼女も君も消えてもらうよ」
「フフ、ご主人様は顔が見えないですけどねぇ」
イリーヤがクスリと笑って茶化す。その次の瞬間イリーヤの姿が掻き消えた。
「っ!!!」
いや、消えたかと見紛う速度で移動してクロウに両手を叩きつけようとしていた。
「とろいな」
しかし、クロウはタイミングを見切って放った前蹴りでイリーナを吹き飛ばす。
「みゃぐっ!!」
民家の塀を突き破って吹き飛ぶイリーヤ。
クロウはあっさりと対処したが、イリーヤの身のこなしは人のそれではない。
――悪魔。ユーリが遭遇するのは二度目だが、ユーリの元いた世界では空想上の存在である悪魔も、ここでは実在しているらしい。
「へぇ、言うだけあるね」
電子の仮面が感心した様に頷いた。
「イリーヤ、君は下がれ。僕が殺そう。ユーリちゃんを逃がすなよ」
「……りょ〜か〜い」
電子の仮面に指示され、先ほどの蹴りのダメージでやや顔を歪めたイリーヤがユーリに近づいてくる。
「させねーよ」
クロウが間に入ってイリーヤを止めようとするが
「せっかちだなぁ」
電子の仮面は軽く両膝を曲げた構えから、ワンステップで一直線にクロウに向かい左拳を繰り出す。
クロウがその拳を外受けで流して逆の手で相手の顎に向かって突きを放つが、電子の仮面は頭部を覆うように上げた腕で突きをクリアリングしつつクロウの首の後ろを掴み、そのまま自身の腰を起点にクロウを地面に投げつける。
「かっ、はっ」
仰向けに叩きつけられ呻くクロウだったが追撃の気配を感じとり、無理やり立ち上がって身を躱す。
ガスッ! という音とともに、電子の仮面が先ほどまでのクロウの頭があった場所を踏み砕いた足を残念そうにプラプラと振ってみせた。
「粋がるわりに大したことないね。格好つける相手はちゃんと選ばないと」
「九郎君!!」
イリーヤに腕を掴まれながらもユーリが叫ぶ。
クロウはゲホゲホと咳き込みながら電子の仮面を睨みつけ、構えることもなくゆっくりとお互いの間合いのギリギリまで近づいていく。
「ゴホッ、ぶん投げられたのは久しぶりだ」
(ちょっと油断したな。師匠なら手を叩いて笑ってそうだ)
背を強く打ち付けたせいか、まだ呼吸が苦しい。電子の仮面の言う通り、大口叩いてこの様だと、クロウが幼少の頃に師事した師であればひとしきり笑ってから訓練を倍に増やしてくるだろう。
(借りはさっさと返さねーとな)
間合いのギリギリで両者が対峙する。
次の瞬間、クロウが高速で電子の仮面の眼前に踏み込んだ。
電子の仮面からすればコマ落ちした映像の如き速度。
(ーー早い!!)
クロウが行ったのは後ろ足を引き付けて前足を繰り出すという単なる”継足”である。様々な武術や格闘技に同種の足捌きが存在する基本的な動き。そのただの足捌きが必殺に昇華するまでクロウは磨き上げていた。
「ーーツッッ!!」
そのまま弾けるように全身を連携させ、一切のモーションを感じさせないハイキック。極限まで練り上げた、クロウにとっての切り札ともいえる絶招の一つ。
〈シグマ流ー剛法『絶招』上段回し蹴り〉
初めてユーリと会った時、犬型の悪魔の首を一撃でへし折った蹴りを電子の仮面の側頭部に叩き込む。
辛うじて両腕を差し込んだ電子の仮面はその凄まじい衝撃を受けきれず後ずさった。
「――ハハッ、驚いた」
蹴りを防いだ両の腕はダラリと下がり、前腕があらぬ方向を向いていた。
尋常ではない威力。しかしクロウの表情は硬かった。
「オイオイ……多少防いだところで全部吹き飛ばせると思ったんだが、お前……何者だ?」
「僕が誰か、君が知る必要はないよ。ここで死ぬんだから」
「ハッ、両腕へし折ってやったのに随分と強気だな」
クロウはここしかないと追撃を仕掛ける。
「君では私には勝てない。例え君がどれほど格闘術に優れていようとね」
ガードの出来ない電子の仮面に放ったクロウの突き、その一撃は電子の仮面の体を何の抵抗もなく貫き、そのまますり抜ける。
「あん?」
拳が空を切ったクロウが間の抜けた声をあげる。
そのたった一瞬だった。
電子の仮面は折れたはずの腕をクロウの胸に伸ばす。
――ゴポリ――
クロウの口の中が血で溢れかえった。
伸ばされた電子の仮面の片腕は先ほどのクロウの突きと同じく何の抵抗もなくクロウの胸を透過し、そのまま実体化していた。
「透過する手」
電子の仮面がズルリと腕を引き抜くと、胸の大穴から大量の血が流れ落ち始める。先ほど折られたはずのその両手は何事もなかったかのように治っていた。
「お疲れ様」
電子の仮面は崩れ落ちるクロウに背を向ける。
「く、九郎君……!」
イリーヤを振り解きユーリはクロウに駆け寄った。
そのまま深い血溜まりの中で汚れるのも構わずにクロウを抱き上げようとする。しかし、クロウは既に意識もなく、ユーリには重たい体を持ち上げることはできずに頭だけを抱えた。
「九郎君! 九郎君!」
必死に呼びかけるが当然反応はない。虚ろな瞳から急速に生気が失われていくのを感じる。
何が出来る? 救急車? そんなものはない。例えあったって間に合わないだろう。
自分の無力さに打ちひしがれるユーリの脳裏に決して多いとは言えないが、忘れるはずもないクロウとの記憶が蘇ってきた。
ーーこの世界に来て、いきなり襲われたところを助けてもらった。
最初は怖い人かと思ったが、街に着くまでユーリが不安にならないようずっと話しかけてくれた。
ーー次に会った時はカイリに軽口を叩きながらも、この世界に馴染もうとしているユーリを気にかけてくれた。
ーー今もユーリを助けるために体を張ってくれた。
短い付き合いではあるがクロウにはたくさんの恩がある。
「九郎……君……」
まだ何も返せてはいない。
この世界での暮らしに慣れてきて、これからだったのだ。
「九郎……君」
「満足したかい? すぐに君も彼の元に送ってあげるよ」
電子の仮面が酷薄な口調でユーリに囁く。
勝手だ。勝手に喚んで。勝手に期待外れだといい。勝手に殺そうとする。
自分だけならそんな理不尽にも諦めがついたかも知れない。だけどクロウは巻き込まれただけだ。
(だめだよ‥‥そんなの)
そう思うユーリに、自身の心の奥底から掠れるような小さな声が聞こえた気がした。
ーーアリ、ガトウーー
そしてクロウの顔を見つめるユーリの周囲が薄ぼんやりと光り始める。
温かみのある柔らかい光。その柔らかな光はやがてクロウの体へとゆっくり収束していく。
「これは‥‥」
電子の仮面が呟く。
しばらくの間光がクロウの体へと注ぎ込まれた後、クロウの体には傷一つなくなっていた。胸の大穴も消えている。
「えっ……クロウ君?」
「クク、ククククク。クハハハハハハハハハハハ!!!!」
驚いているユーリだったが、そこに狂笑が響き渡る。
興奮しているのか仮面の表示を激しく点滅させ、電子の仮面がユーリに歩み寄ってくる。
「なるほど。普通は最初から分かっているものだと思ったけど、そうじゃないのか。あるいは今覚醒したのか。……まぁ、どちらでもいいさ。これで始まる。ようやくだ!!」
ぶつぶつと呟きながらユーリに向かってくる。
「へぇ、傷跡が消えて生気も戻っている。燦術や異能の気配も感じられなかったし、間違いはなさそうだね」
電子の仮面はクロウはしげしげと眺めるとユーリに向き直る。
「ユーリちゃん、君の目覚めに免じてこの男は見逃そう。だから大人しく付いてくることだ」
そう言って電子の仮面はイリーヤに命じて座り込んでいるユーリを立たせる。
「……私をどうするつもりなの?」
問いかけるユーリに電子の仮面は声に喜色を滲ませて答えた。
「君には贄になってもらう。この歪んだ世界を滅ぼすための礎となるね」
「ーーでは行こうか。新たなる〈光の王〉よ」




