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体力づくり

 あたしがラパン様に成り代わってから三日目の朝が来た。

 公爵令嬢らしく優雅に朝食をとりながら、あたしはリシェスにとても大事な事柄を告げる。


「今のあたしには重大な欠点があることが発覚したわ」


 あたしの告白にリシェスはハァと生返事を返した。


「この体、実はめちゃくちゃ弱い!」


 魔物に襲われれば足がもつれるし、一徹すらできずに潰れるし、飛んできた木剣を華麗にかわすこともできない。

 小柄でスリムで燃費がいいのは長所なのだけど、このラパン様ボディはあまりに貧弱がすぎる。


「こんな体ではいざって時に戦えない。早急に解決する必要があるわ」

「お嬢様には特に戦力を求めていませんので。いざという時にはおれがお守りいたします」

「あなたのことは信頼しているけど頼りきるわけにもいかないわ。生き残るためにはあたし自身も力をつけないと」

「ではどのようにして?」

「あなたたちの訓練にあたしも参加させなさい!」


 リシェスがあたしの体を頭からつま先までナメるように見つめてくる。

 決していやらしい目的ではないとわかっていても恥ずかしさでつい体をよじって隠してしまう。

 しばらくすると彼は、何かを諦めたかのように小さなため息をひとつついた。


「失礼ながらそれは無理かと」


 はぁ? ふざけんじゃないわよ……と言いたいところだけど正論よね。

 あたしが訓練に参加したら足を引っ張って他の兵士の邪魔になることは目に見えている。我ながらバカなことを口にしたわ。


「だったらあたし専用の特訓メニューを組んでもらうことはできないかしら」

「残念ながらそれ以前の問題です。お嬢様にはそもそも訓練を行うための地盤ができておりません」

「だったらまず何すればいいのよ」

「走り込んでください」


 リシェスさらりと言った。


「えっ、それだけ?」

「他にできることがありませんので」

「いやいや、さすがに何かあるでしょ。たとえば剣の素振りとか」

「剣を握る段階まで至っておりません。とりあえず朝晩しっかり走り込んでください。まずは体幹を作っていただかないことにはおれから教えることは何もありません」


 そ……そう、それは……まあそうよね。


 何事も一朝一夕にはいかないものね。困ったものだわ。


「わかった。あなたの言う通りにするわ。それでどのぐらい走り込めば次の段階に進めるのかしら」

「ひとまず半年ほどお願いします」

「その頃にはすでにあたしたちの命運が決まってるわよ!」

「なのでお嬢様に戦う力は求めていないと何度も」


 うぎぎぎ……いや知ってたけどね。あたしこれでも元陸上部員だから。

 体力づくりは年単位。半年でも短いぐらいだってことぐらい。

 でもこんなファンタジーな世界観なら短期間の修行で劇的なパワーアップとかあってもいいでしょうに。重たい胴着ならいくらでも着るわよ。


「はぁ……なんかこう都合よく強くなれる魔術とかないものかしら」

「魔術は才能によるところが大きいですからね。少なくとも我が隊に使い手はおれしかいません」

「ラパン様は使えなかったの?」

「魔術学園に通われておりましたがお世辞にも才能があったとは……」


 ならあたしも魔術師としての貢献は絶望的ね。

 剣はダメ。魔術もダメじゃただうるさいだけのお荷物だわ。これはゴドウィンに見限られるわけだ。


「人には向き不向きがあります。お嬢様もあまりお気になされぬよう」


 そう言ってリシェスは食器を片づけた。

 まったくもって人間って不平等だわ。まあグチってもしょうがないか。彼の言うとおりありのままの自分を受け入れることにしましょう。




「というわけで、まずはランニングから始めましょう!」


 ドレスを脱いでスポーツウェアに着替えたあたしは訓練場へとやってきた。

 ちなみにこのスポーツウェアはカーテンを縫って作った自作よ。ウサギのアップリケがオシャレでしょう。部屋に裁縫道具一式が置いてあって助かったわ。


 ありのままの自分を受け入れたところで次はワンランク上の自分を目指すわよ~。ガンバれ~あたし、ファイトだ~あたし!


「まだ諦めていなかったんですか」


 足をつらないよう入念に準備体操をしていると様子を伺っていたリシェスが呆れ顔でそう言った。


「何度も言いますが今から運動を始めたところで何も変わりませんよ」

「何度も聞いたけどそれは諦める理由にならない。あたしはあたしの生存確率を0.1%でも上げるためなら何にだって挑戦するわ」


 可愛いことぐらいしか取り柄のないマスコットガール。でもあたしの体のキレがわずかに増すことで何かが変わることもあるかもしれない。

 いいえ仮に何も変わらなかったとしてもあたしは走る。自分でそう決めたからだ。

 はい準備運動終了。さっそくスタートよ。


「あたしはあたしで勝手にやるから! リシェスは兵の指導でもしていなさい!」


 そう命じてからあたしは勢いよく駆けだした。

 まずはゆっくり、体が慣れてきたらだんだん速度をあげていく。

 目標は訓練場の外周を10周。これを朝晩必ずこなす。いずれは100周ぐらい余裕にしてみせる。


 だいじょうぶ、あたしなら絶対やり遂げられる。さあ、はりきって行くわよぉ!




「こ……こんなはずでは……っ!」


 あたしの体はたった1周でもう音をあげていた。

 いやいやさすがにウソでしょう。小学校のグラウンドより狭いのに貧弱なんてレベルじゃないわよ。ハーフマラソン完走余裕だったあたしがまさかこんな醜態をさらすことになるなんて。


「納得なされましたか?」


 水筒を持ってきたリシェスが、今度は子供に言い聞かせるように、できるだけ優しく声をかけてきた。


「ナメんじゃないわよ。あたしは10周走りきるまで絶対に諦めないんだから!」


 あたしは給水を拒否するとガクガク震える足を無理やり立たせて再び走り始める。


 息があがる。視界が歪む。足が鉛のように重い。

 今のあたしはきっと亀より遅い。でも屈辱よりも嬉しさが勝っている。

 あたしは今、鈍足だった香菜子ちゃんの気持ちを身をもって味わっている。

 彼女と一緒に走っている気がして少しだけ救われた気分になる。


 大丈夫、あたしはまだまだ走れる。さあ気合いを入れ直すわよぉ!




「き……気合いだけじゃ……どうにもならないものね……」


 気づけばあたしはまた膝をついていた。

 今いったい何周走ったのかしら。気分的には5億周ぐらい走ってるけど10周はまだよね。だったら立ち上がらないと。


 でも困ったわ。どれだけ力を入れても足がピクリとも動かないの。


 こういうとき香菜子ちゃんはどうやって心を奮い立たせていたのかしら。今のあたしにはとても真似できない。

 フフ……親友の尊敬できるところを新たに発見できたわ。貧弱な体もそう悪くないものかもね。


「ラパン様、がんばってください!」


 死にかけていたあたしの耳にリシェスの大声が届いた。


「すでに6周走っておられます! あとたったの4周です! 顔色もいいですし大丈夫! まだ走れるはずです!」


 そうだ思い出した。あたしも疲れて尻餅をついた香菜子ちゃんに必死になって声援を送っていたわ。

 不思議ね。誰かから声をかけられると力が湧いてくるの。もう少しがんばろうという気になれる。きっと香菜子ちゃんも同じ気持ちだったのよね。

 リシェスから力をもらったあたしは気力を奮って立ち上がり、ノソノソと歩くように走り出した。




「ラパン様、おれが間違っていました! 懸命に努力することが無駄などということは断じてありません! 進みましょう、少しでも前に!」


 リシェスの声援を背にあたしは必死に走り続ける。

 けど7周目を越えたあたりでまた足が止まる。


「お嬢様がんばってください!」

「あとたったの3周ですよ!」

「根性ですお嬢様!!」

「大丈夫! いけますいけます!」


 気づけば訓練中の兵士たちが集まってあたしに声援を投げかけていた。

 応援してないであなたたちも訓練を続けなさいよ。まあ新兵志望のあたしが偉そうなこと言えないか。いい機会だしあたしのド根性をみんなに見せてあげる。




 8周目に突入。

 滝のような汗で全身グチャグチャだ。でも汗が出るってことは体内に水分が残っているってこと。だいじょうぶ、まだ走れる。




 ……たぶん9周目。

 心臓が悲鳴をあげる。視界がかすむ。声援は絶え間なく聞こえてくるけどもう誰が何を言ってるかもわからない。

 わからないけど声をかけられているという事実だけで救われる。もう少し走れる。




「よくがんばりましたお嬢様!」


 疲労困ぱいで倒れ込むとリシェスがあたしの体を支えてくれた。

 さすがにもう足が動かない。最後まで走りきりたかったけど……無念だわ。


「10周達成、お見事です!」


 ああ、達成できてたのね。よかったわ、口先だけの女にならなくて。疲れすぎてもう口すら開けないけど。

 ただ晩も同じだけの距離を走るというのはさすがに無理ね。心臓が破裂して死んじゃう。情けないとは思うけど計画は修正しないと。


「うおおおおおおおおおおっ!!! やり遂げたぞおおおおおおおおおっっ!!!」


 心に余裕が出てきてようやく周囲の兵たちの大盛りあがりが聞こえてきた。

 みんな口々にあたしが倒れるまで走りきったことを賞賛している。中には感極まって泣いてる者さえいる。

 いやいや、さすがに大げさがすぎるわよ。狭い訓練場をたかだか10周しただけじゃない。しかも途中休み休みで。褒められすぎるとかえって恥だわ。


「皆の者、ラパン様の偉業を讃えて胴上げだ!!」


 誰かがそう言うと兵士たちはあたしを囲って本当に胴上げを始めたわ。


「わっしょい! わっしょい! わっしょい! わっしょい!」


 こ……これはいくらなんでも恥ずかしすぎる!

 今更気づいたけどこれ、運動会でビリの子がみんなから応援されてるのと一緒の状況じゃない!

 散った散った! あたしの虚弱は見せ物じゃないのよ!


「……」


 でもまあ……努力をみんなに褒められるのは、そう悪い気はしないのだけれど。

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