意地悪な神様
「蒲生咲希くん。君は本当に最低な人間だな」
机に書かれた落書きを消していると委員長がわざわざ嫌みを言いにきた。
学園屈指の秀才らしいけどキザでイヤミったらしくて何かあるとすぐに上から目線で絡んでくるから大嫌い。返事を返すのも煩わしいから無視しましょう、無視ムシ。
「話を聞いてるのか咲希くん――ウサキくん!」
「……あたしをあだ名で呼ぶのやめてくれないかしら」
しまった、つい反応してしまった。
でもこればかりはしかたがない。あたしをあだ名で呼んでいいのはあたしの友達だけ。このガリ勉クソメガネに呼ばれる筋合いはない。
「聞こえているのならちゃんと返事をしたまえ。そんな軽い頭だからクラスでも底辺レベルのバカなんだ」
「余計なお世話よ。用事があるならさっさと済ませてちょうだい」
あたしが邪険に扱うと委員長はチッと舌打ちしてから今週発売のゴシップ誌を机に置いた。
「君の悪行、とうとう記事にまでなったぞ」
週刊誌の表紙にはあたしの写真と一緒にデカデカと『人殺しの少女』と書かれていた。
これ隠し撮りよね。未成年の一般人なのに目線のひとつも入れてない。近年のモラルハザードはホント深刻。この国の将来を憂うわ。
「念のため確認してもらうが、記事の内容に間違いはないよな」
委員長の言葉に従うのはシャクだけど当事者として内容を改めさせてもらうわ。
ふむふむ……○月×日早朝、堤防で遊んでいた鮫島香菜子さん(16)が足を滑らせて海に転落した。一緒に遊んでいた蒲生咲希さん(16)は助けを求める香菜子さんの手を拒絶し溺れる彼女を見捨てて逃走……か。
「まるで直接見ていたかのような文章ね」
「目撃してたんだよ。この記事のライターは地元出身だ」
「まったく気づかなかったわ。この人、溺れてる彼女を何もせずに黙って見てたの?」
「責任転嫁はいい。質問に答えろ!」
逃げたわけじゃない。
助けを呼びに行っただけ。
でもそれはただの言い訳よね。
「……おおむね事実よ」
あたしは雑誌を委員長に投げ返した。
「なぜ助けなかった」
委員長は激しい怒りを露わにした。
カメ子ちゃん……いえ香菜子ちゃんは少しドン臭いところがあったけど校内にファンクラブがあるほどの美少女。もしかしたら委員長もファンだったのかもしれない。
「あの時、彼女の手を取ったら一緒に海に引きずり込まれて死んでいたから」
あたしは当時の心境を正直に告白した。
「あなたは自分が必ず死ぬとわかってて誰かを助けられる?」
「もちろんだ! 同じ学校に通う仲間を助けるのは人として当然のことだ!」
委員長を大声を張り上げた。
ご立派だわ。少しだけ見直したわ。普段の彼の素行を見る限りとてもそうは見えないのだけれど。
あたしに限らず内気で成績の悪いクラスメイトをよくイジメてるけどあれは真の仲間じゃないってことなのかしら。
「予想以上に最低最悪な人間のクズだな蒲生咲希。胸と尻にすべての栄養が吸われている君のようなバカ女が伝統あるうちの学校に通っているという事実がそもそも間違いなんだ。視界に入れるのも汚らわしい」
委員長の罵詈雑言も聞き慣れたもの。怒るのもバカバカしいから無視する。
でもどれだけ無視してもなかなか帰ってくれないのよねこの正義のヒーロー様は。
「だいたい君は陸上部でスポーツ優秀なんだろ。その気になれば助けられたんじゃないのか。それともその無駄にでかい脂肪の固まりが邪魔だったのかね」
そう言うと委員長はあたしの胸をガシッとわし掴みにしてきた。
「制服越しだがなかなか柔らかいじゃないか。これなら海に落ちてもいい浮き輪になったんじゃないのかね」
……さすがにこれは怒ってもいいわよね。
イヤらしい笑みを浮かべながらあたしの胸に夢中になっている委員長の頬を思いっきりひっ叩いてやる。
委員長はこれ以上ないくらいブサイクな面をさらして床に這いつくばったわ。いい気味ね。でもちょっと目立ちすぎたみたい。
「暴力はやめなさいよ! この人殺し!!」
すぐに委員長の取り巻きの女子がやってきてあたしを責めたてる。
あたしの机に人殺しだの牛チチ女だの落書きしたのって多分こいつらよね。
イジメはよくてビンタはダメなんだ。まあいいけど。
「その人殺しにあなたたちも殺されたいのかしら」
あたしが凄んでやると取り巻きたちは委員長を連れてすごすごと退散していった。
これでも陸上部員で体力には自信がある。ケンカになったら負けるから逃げるしかないわよね。
まあこれであたしへのイジメがなくなるとは思っていないけれど。
予想通りとはいえ今日は不愉快な出来事が絶えないわね。
休憩時間になるとクラスメイトから陰口を叩かれ、ホームルームでは教師からイヤミを言われ、帰宅の際にはロッカーに靴の代わりに大量のゴミ。しかたがないから素足で帰ろうとしたら二階からバケツが降ってきたわ。
「すまないね。掃除中に手が滑ってしまったよ」
窓に腰かけて笑いながら言ったのは委員長だ。取り巻きの女たちもゲラゲラ笑っている。間違いなく故意だわ。ムカつくわねえ。
とはいえ今から二階に戻ってブン殴りにいくのも手間なのでやめておきましょう。
「それにしてもたった一晩でずいぶんとワルモノになったものだわ」
報道では匿名だったけど週刊誌は写真付きかつ実名だしメチャクチャ悪く書かれてたからしかたないことかしら。
あのゴシップ誌って業界最大手で発行部数すごいのよね。SNSでもホットワードになってるからあたしは一躍有名人。おかげで道を歩いているだけでも白い目で見られている気がするわ。一度悪評が拡散したら死ぬまで言われ続けるっていうし、情報化社会ってホント怖いわ。愉快犯にイタズラされる前に早くおうちに帰りましょう。
自宅に帰るとなぜか母さんがいた。
仕事はどうしたのと聞くと突然ひっ叩かれる。
「アンタのせいで仕事にならないから辞めてきたのよ!」
ああそういうこと……。
職場でもあたしの話題で持ちきりじゃ仕事が手につかないわよね。
出世の道も閉ざされてしまっただろうし辞めるしかないのか。
「アンタのせいで必死に積み上げてきた私のキャリアが全部パー。アンタ私に何か言うべきことあるでしょう?」
「オリオン建設なんて辞めて正解だよ。母さん働きづめで体調悪くしてたし、少し休んだほうがいいよ」
怒った母さんにもう一発叩かれた。
これについてはあたしが悪いので甘んじて受け入れる。
「アンタのその歪んだ性格はきっと父親の教育のせいでしょうね。あんな奴と結婚したこと自体が大きな過ちだったわ。まあいいわ、もう二度と会うこともないだろうから」
吐き捨てるように言うと母さんはケースを持って家を出ていってしまった。
かける言葉も見つからなかったあたしは父さんのいる書斎に向かう。
「母さん出ていっちゃったよ」
「知ってるよ」
机の前で俯いている父さんはボソリと答えた。
PCの電源を入れていたが書きかけの小説にはまったく手をつけていない。
「追いかけなくていいの?」
「僕たちはもう離婚したんだよ!」
突然の家庭崩壊は衝撃的だったがあたしの心は驚くほど動かなかった。
ただそうなんだと事実をありのまま受け入れるだけだった。
「なんだその顔は! こうなったのは全部おまえのせいだっていうのに! おまえなんか……おまえなんか生まれてこなければよかったんだ!」
人生で初めてといっていいぐらいの剣幕で怒鳴るとすぐに後悔したような顔をして頭を抱えてうずくまる。
「すまない言い過ぎた。でもしばらく独りにさせてくれないかな」
どうやらこの家にはもうあたしの居場所はないらしい。
あたしはそれ以上何も言わずに家を出て行った。
たぶんもう帰って来ることはないと思う。
「あたしは臆病者で最低な女だ」
香菜子ちゃんの墓前であたしは独りごちた。
ホントはあの時、あたしは香菜子ちゃんを助けようとしたんだ。
でも彼女の手を掴もうとした瞬間、血のように赤い線が見えて思わず手を引いてしまったんだ。たぶん本能的なものだったと思う。
「今でも死なずに済んだ。冷たいお墓に入らなくて良かったって心から思っている」
悔しいけど委員長の言う通りだった。
親友だったらたとえ確実に死ぬとわかっていてもその手を取るべきだった。
一緒に冷たいお墓に入ってあげるべきだった。
それができなかったあたしにはもうあなたの親友を名乗る資格はない。だからここに来るのもこれが最後。
「さよなら。香菜子ちゃん」
あたしは泣いた。たぶん一生分泣いた。ここから先の人生、何があろうと決して泣くことはないだろう。
きっと冷酷非情な極悪人として生きると思うから。
夕暮れの街を当て所なく彷徨う。
昔は風情があったけど最近はオリオン建設のトラックがひっきりなしに走っているからうるさいったらありゃしない。
「まさか自殺する人の気持ちがわかるようになるとはね」
ほんの一瞬だけどあのトラックに飛び込めば楽になれるかなと考えてしまった。
もちろん行動に移すことはない。あたしは死ぬのが怖い臆病者だから。まあ仮に自殺するとしても飛び込みはないかな。運転手の方のご迷惑になる。
それにしてもここ数年でホント物騒な街になったわ。オリオン建設の海上都市開発計画のおかげで人や車が一気に増えたせいよね。たとえばそこでスマホをいじりながら横断歩道を歩いている女子高生とかうっかりトラックに轢かれても――
「ちょっとあなた危ないわよ!」
居眠り運転でもしているのかトラックは横断歩道が近いのにスピードを落とそうとしない。
その事実に少女はスマホに夢中で気づいていない。
このままでは本当に轢かれてしまうと思ったあたしは急いで駆け寄ろうとした。
「あっ……」
あたしの目の前にまた赤い線が見えた。
香菜子ちゃんの時よりももっとクッキリと鮮やかに。禍々しさすら感じるほどに。
これはきっと運命からの警告。この線を越えたらきっと確実な死が待っている。絶対に越えてはいけない。
「あたしはもう二度と……ッ!」
でもあたしはその警告を無視した。
無我夢中でつっ走りトラックに轢かれかけていた少女を思いきり突き飛ばす。
正直、自分でもよくわからない行動だった。
あれほど臆病者だったのに、あんなに死にたくないと思っていたはずなのに、どうも親友を失った後悔のほうが勝っていたらしい。
あたしは女子高生の代わりにトラックに轢かれた。最期の瞬間は恐怖ではなくわずかな満足感と大きな安堵があった。
こうしてあたしは死んだ。
重さ十数トンの大型トラックに轢かれたのだ。あたしの小さな体なんてもうグチャグチャ。間違いなく即死だ。
でも不思議ね。どうしていまだに意識があるのかしら。
ここが煉獄で、まだ贖罪が足りていないということだとしたら……神様はホント意地が悪いわ。
新作始めました!
しばらくは毎日更新がんばります!
過去最長クラスの長編になりますのでぜひ最後までお付き合いください
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