2-3 ウィッチィ
まるで地震が発生したときのように大地は揺れている。その振動の原因は後ろを全力疾走するミノタウロスの群れのせいだろう。ミノタウロスより更に大きいオーガも追いかけてきているのだから地面が揺れたっておかしくない。
手に大きな斧を持つ牛男と身の丈を更に超える巨大な戦槌を担いでいるオーガに追われるというのはなかなか経験できることではない。この状況を俺は純粋に楽しんでいた。
「ハハッ、追ってくるぞ!急げ、急げ!」
俺の後ろで後れて追随してくる二人に向けて言い放つ。
全身鎧を着込んでいるのに結構な速さで走るハイゼルとローブなのにひぃひぃと息を漏らしながら走るクライツ。しかし、俺の走りについてきているだけ魔法使いではマシなのかもしれない。かなり手を抜いているのも事実だが、運動能力の低い後衛職ではついてこれない者も多いのだ。やはりブルッシュリウムに挑んでくるだけの実力はあるということか。
「カシム殿!」
野太い声で呼ばれる。ハイゼルだ。
「このまま逃げてどうするのだろうか!」
「逃げ切れるまで走り続ければいい」
「逃げ切れなかったら?!」
「男らしく戦えばいいだろ」
「なるほど、騎士らしく華々しく散るのですな!」
「散ったらダメだろ?!」
散るの前提で戦うなんて冒険者ではありえない思考だ。結局は銭を儲けるために仕事をするわけだ。騎士は誇りのためや主君のために戦うらしい。俺には理解できないが、そういう人間もいるのだろう。
後ろを振り返ってみるとミノタウロスの群れの中でも特に足の速い奴がいて、だんだんと追いついてきているのが見える。少しすればクライツに追いついてしまいそうだ。
助ける義理もないが、助けてやれるのなら助けてやるのが俺の信条だ。
疾走から急停止してその反動で背中に担いでいた【魔剣カイゼル・フォルヴァー】を解き放つ。
「クライツ、少し屈め」
その言葉に反応してクライツは瞬時に伏せてくれた。なかなかの反応だと思う。
確認した後に一閃する。ミノタウロスは反応して斧の柄で防御したが、それにわざと弾かれるように魔剣をぶち当てて、その反動で更に軌道を変える。膂力で無理やり変えたこともあるせいか、腕にかなり無理をさせてしまったが功を奏したようだ。俺の放った撫で斬りはミノタウロスの胴は輪切りにした。飛び散る鮮血は濃厚な死の匂いを撒き散らす。ミノタウロスは呆気なく死に果てた。本来なら強者のはずのミノタウロスであるが、正直これくらいの相手ならなれている。数が多いから面倒くさい。ただそれだけの理由で逃げている。あまり格好よくはないが、やはり体力の無駄遣いはよろしくない。
伏せているクライツを無理やり立たせる。
「立て。行くぞ」
その間にもまた追いついてきた奴らを応対しなければならなかった。
前に出てクライツを庇うように立ち塞がる。なんで俺がこんなことをしているんだろう、と疑問に思うが何となくだ。
今回の相手はミノタウロスとオーガだ。ミノタウロスが真横からその大きな斧を振るってくる。受け止めたら今戦槌を振り上げているオーガに殺されてしまうだろう。受け止めるのは却下だ。
では、いなすか?これもノーだ。結局は戦槌でやられる。
では避ける?これもダメだ。後ろにいるクライツが殺される。じゃあ、どうすればいいかというと割と簡単な答えが出る。
殺られる前に殺ればいい。
戦槌を魔剣で受け止めると同時に振り下ろされる戦槌に全身全霊の蹴りをお見舞いする。魔獣の毛皮の靴なのでそれなりの装甲はあるが、所詮は毛皮。やはり鉄には勝てない。しかし――。
「う――おぉぉぉぉぉぉぉ!」
そこは根性と筋力で押し返す!
左から来た斧の衝撃を受け止めながら更に真上からの戦槌を蹴り飛ばす。とてつもなく身体が軋む行為だが、なんとか耐え切った。
「痛ぇじゃねぇか!」
そのまま両者を弾き飛ばして体勢が崩れたところに俺の一撃をお見舞いする。
防御をする暇さえなく敵は死に果てた。
クライツは俺の雄姿を見て「すごい……」と呟いている。そんな当たり前のことを言われても困る。
「さっさと行け」
「あ、はい。ありがとうございます!」
言うなりクライツは全力疾走で駆けていった。息を切らしているわけには結構な速さでだ。まだ体力が残っているらしい。良いことだ。
ハイゼルははとうに走り去っている。あいつ実は臆病者じゃないのか?普通はクライツのこと守ってやるだろう。まぁ自分じゃ勝てない敵を相手にする意味もないか――って、うん?
何かが変だ、とこの時に思った。
だってそうだろ?魔獣は基本的に馬鹿じゃない。自分より強い奴を決して狙ったりはしない。好き好んで自分が死ぬような敵を相手にしない。弱肉強食の世界なのだから当然のことだ。強い奴には媚びる。これが魔獣の鉄則だ。
それなのに圧倒的に強者の俺を追いかける。仲間を殺されただけで。それはおかしい。何故追ってきているんだ?
よくよく見るとミノタウロスやオーガの眼がおかしい気がする。まるで何かに操られているような……。
「そんなわけないか。魔王がいるわけでもなし」
他の美人ハンターも来ているはずなのに俺のところにここまで敵が来ていることは謎だが、運が悪かったのかもしれないしな。
つまらないことを考える暇はない。
俺もさっさと行こうと思い直して追いかけることにした。
おかしい、と思い始めたのは先ほどのことだが、今は確信に近くなりつつある。
結局のところ俺は魔獣の群れの半分ほどを殲滅してしまったが、魔獣は一向に引く気配がない。魔王のときも魔獣の相手をいくらかしたことがあるが、あのときは瞳の中に恐怖がありながら挑んできた。
俺を殺さなければ魔王に殺される、という恐怖。つまりは魔王が怖いから従っていたわけだ。そんな哀れな魔獣を俺はあっさりと殲滅したが、罪悪感は不思議とない。
さて、今も魔獣の相手をしているわけだが、瞳の中に浮かぶ感情はなんとなくわかってきた。
それは陶酔だ。王国の騎士たちの中でも更に忠誠が篤いと言われている聖騎士――騎士の中でも更に上位の者たちのような瞳をしている。主君の命令を喜んで行うという狂信者の目。どういうことだ。こいつらは魔獣のはずだぞ。
クライツやハイゼルを逃がすために何度か応戦しているうちに気づいたのはそれだった。・
今は随分と先に走り去ったのを確認したので俺も追いつくために全力疾走をしている。俺のほうが走りが速いようで魔獣に追いつかれる心配もない。
それにしても――ふむ。
デルがいればこういうことをきっちりと推察してくれるのだが、生憎俺はこういう思考は得意ではない。基本的に真っ直ぐ進んで叩き潰して前へ進んできたからだ。こういう絡め手のようなものは苦手だ。
だってそうだろ。明らかにこの魔獣たちは俺を――俺たちをどこかへ誘導するように追いかけている。わかっていてそれに従っているのもおかしいが、こういう場合はだいたい親玉が待ち伏せているものなのだ。そいつを倒せば終わる。一番早い。
「にしても走りっぱなしだな」
別に走るくらいで疲れるほど柔な鍛え方をしていないので大丈夫だが、心配なのはクライツとハイゼルだ。クライツは魔法使いだし、ハイゼルはあの全身鎧だ。いい加減疲れきっているはずだろう。
それなのに追いつけない。ハイゼルの足跡はくっきりと地面に刻まれているので絶対先にいるという確信はあるのだが、さすがにオカシイ。それほどまでに体力がある奴ならもうちょっと強い。少なくともミノタウロスくらいは自力で倒せるはずだ。
それなのに――どういうことだ?
「まさか――なぁ」
嫌な考えが脳裏に過ぎる。
そういえば聞いたことがあるんだよな。森の中にいる魔女の話。
メフィズスウィッチィという元々は人間なのに魔族と契約して魔女になってしまった女の話。とてつもない美女だったらしく、あらゆる男から求婚されたらしいが、結局それら全てを放棄して森に逃げたっていう――。
まぁ実際のところ興味があって調べたことはある。結局は他の女の嫉妬で色々と嫌がらせをされて命を絶つためにここへ来たんだろう。そのときに秘湯に行こうとしていた魔族と仲良くなったんだろう。魔族は弱っている人の心に入り込むのが上手いから。
いやでも、ここ数年は魔女は発見されてないと聞くし、魔女は既に死んでいるじゃないか、とすら言われている。そんなに美人なら会ってみたいと思ってブルッシュリウムの魔獣を討伐中に何度も探したが結局は見つからなかったし。
もはや伝説の中での話だ。
ちなみにその魔女の得意分野は幻覚だと言う。
要するにありえないことを見せ付ける能力だ。人では決して持ち得ない特殊な力。もし持っている人がいたとしたら王国の召抱えになれるだろう。いろいろな妄想がある意味現実として享受できるのだ。不埒な男女が欲しがらないわけがない。権力があれば尚更だ。しがらみがあるのなら更に欲しいだろう。見たい夢を見れるわけなのだから。
しかし、魔女の話を想定して考えると現状は辻褄があう。
もしかしたら魔獣たちは魔女に操られているのだろう。
そして――もう――、と結末を想定してしまった。確定事項のように考えてしまった。自分の推察が合っているかのように思ってしまった。それは間違いないとうい確信がある。
ブルッシュリウムの魔獣はだいたい調べつくしている。その情報を統一して考えるとこれ以外考えられないのだ。
と、急に足跡が途切れた。
途切れた先を見て俺の足も止まってしまう。
俺の視界に飛び込んできたのは開けた場所だった。
森の中だというのにそこには木々はなく、綺麗な湖があった。
その中心に陸があり、そこにはとてつもなく整った顔立ちと理想的なスタイルをしたお姉さまがいた。まぁ下品な言い方をするととてつもなく色っぽい表情を浮かべたボンキュッボンの姉ちゃんが薄手のローブ――といっても太腿は見えるかなり大胆な格好のものだが、湖の前で立ち尽くしているクライツとハイゼルへにっこりと笑んでいた。
「め、女神様だ」
とハイゼルは言っているし、クライツにいたっては言葉すら出ていない。
あれは魔女だなぁ、と確信するには十分だ。人ではありえない美しさがある。きっとそれはあの禍々しい魔力だろう。デルほどではないが、かなり濃厚な魔力を秘めているようだ。
しかし、まぁなんとも――
「美人だなぁ」
正直なところこの時点で俺の敗北は決まっていた。女を斬れるわけがない。たとえそれが異種族であろうともだ。魔獣の性別は見た目でわからないからいいが、魔女は元々人間だけあってすぐにわかる。どうするか――。
まぁとりあえずは後ろから迫り来る魔獣をどうにかせねばなるまい。
振り向いて相手にしようとしたところ、魔獣たちは追ってはきていない。どういうことだ?
「アナタがカシムさんですね?」
そんなとき聞き覚えのない凛とした声で呼ばれた。とても透き通った声。静謐な感触。聞いているだけで心地が良くなるような――そんな声。これはとても危険なものだ。
「あぁ、そうだが」
答えるときも腹に力を込めてそう言った。気を抜いたら――。
女性経験の皆無な俺にとってはあまりに魅力的過ぎる。全てを委ねてもいいのではないかと思ってしまう。
「そんなに警戒しないでください。そちらの御二方に聞いただけです」
「魔女相手に警戒するな、と?」
「えぇ、魔女相手にでもです」
にっこりと微笑まれる。とてつもない色香を放つ笑顔は俺の精神力を刻み、奪い取っていく。負けそうだ――目の前で既に屈しているハイゼルやクライツのように負けてしまいそうだ!
ぐらつく足元をしっかりと抑えて俺は魔女を睨みつける。
「そんなに睨まないでください。怖いです」
「そんな眼で俺を見るな。惚れてしまうだろ!」
正直半分は惚れていそうだ。
とてつもなく魅力的な瞳をしている。黒い瞳に見えるが、少しばかりブラウンの混じった特殊な色合い。ここらでは見ることのない、宝石のような美しさを秘めている。吸い込まれてしまいそうだ。
「あら、嬉しい。私の可愛いミノタウロスやオーガを惨殺した人とはとても思えません。何度私の魔獣を倒せば気がすむのですか?」
「好き好んでやってるわけじゃない」
「好き好んでやってなければよろしいと?」
「さてな。俺は気に病むことはないから興味もない」
「そうですか。まぁこのような無粋な話題は必要ないですね」
確かにそうだ。無粋にもほどがある。俺とコイツは敵なのだから、会話すら不要なはずだ。しかし、あぁなんでだろう。少しだけ話していたいと思わせられる。
「あぁ、じゃあどういう話題をお好みで?俺は秘湯まで進みたいだけなんだが」
「それは困ります。あそこの防衛を私はとある人から依頼されていますので」
通りで討伐中に見えなかったわけだ。そういう情報はどこかから流れていてその間は身を隠しているわけだな。つまりはどこかの誰かと繋がっているということ。
だが、そんなことは関係ない。俺は決めたんだ。覗くと。あらゆる美女がいるという秘湯へ俺は進むと決意しているんだ。退くことはできない。諦めるなんて論外だ。倒れるなら前のめりに倒れる。そしてあわよくばその瞬間で良いから俺は夢を見るんだ。
「それは困る。俺は何としても覗かなければならないんだ」
「あなたが困っても私は何も困りません」
「あぁ、俺もお前が困っても何も困らない」
つまりはそういうことだ。お前の事情なんか知ったことか。いくら綺麗な姉ちゃんでもコイツは敵だ。敵のはずなんだ!
「心は痛まないのですか?女性を困らせるなんて最低です」
「痛まないな」
嘘だな。少しは痛む。
「だからモテないんですよ」
「何故それを?!」
かなり痛んだ!俺の心が悲鳴を上げた!
言葉という刃は時に人の心を切り刻む。あまり俺のトラウマをいじらないほうがいい。男ってのは身体は頑丈だが心は弱いものなんだぜ?乙女のように扱えこの野郎!
「私が何と呼ばれているかご存知ではなかったのですか?知っているような口ぶりでしたけど」
「あぁ、知ってるよ。幻覚を見せる魔女だろう?」
「えぇ、そのような魔女と眼を合わせて会話するなんて無用心だと思いません?警戒しないように言ったのは私ですけれど、それはあまりに無防備だとは思いませんか?」
「―――アッ!」
あぁ、馬鹿なのは俺だった。
魔女と対峙した場合の対処法は簡単だ。今まで婆さんみたいな魔女を相手にしたときはいつもそうやっていた。
会話をせず眼を合わせず一気に攻撃を畳み掛けて意識を奪う。
あぁ、でも相手が美人だったから、縁がまずないと言えるほどの造形の女性だったから話してしまった。声が綺麗だったというのもある。もう少し聞いていたいと思わせる声音だったせいもある。
けど結局は俺の男心のせいなんだろう。やはり女性と話すと心が躍る。
俺はあまりにも馬鹿だった。男はみんな馬鹿なものなんだろうが。
「しばし悪夢を堪能ください。その間にあなたは魔獣に食されていることでしょう」
目の前でぐらついていく。おそらく昏睡状態にされて夢を見るんだろう。
「同胞を殺した恨み――など無粋なことを言うつもりはありません。だから、私はアナタに言えることは一つです。さっさと死ね、人間」
そんなことを言われながら見せられる夢なのだ。あまり良いものとは思えない。
こんな呆気ない最後は嫌だなぁ、と思いながら俺は意識を手放した。
あ~は~ん