3-5 欲望のままに
俺は自慢じゃないけれどとても目がいい。
目を凝らせば3kmほどまでなら視認できる。
ゆえに、俺に反抗しようと試みるシュリファなる聖竜を無理やり操縦しながらブルッシュリウムの秘湯の周囲にある底が見えないほど深い掘りの上で目を凝らして中を覗こうとしていた。
外壁はとてつもなく高いが、天井がない部分があり、露天風呂となっていることがわかる。が、人っ子一人いない。
何かがおかしい。デルを見ると同じ意見のようだ。
「どうする?」
問いかけてくる。
が、そんなこと聞くまでもないだろ?
「行くしかねぇだろ」
空駆ける王者を従えている。
秘湯の周囲には防壁などもなさそうだ。あるとしてもそれならデルブライトがとっくに気づいているはず。
目配せをする。ついてこい、と。
シュリファのケツを思いっきり引っぱたいて俺は突進する。
迎え撃ってくるかのような風の抵抗は加速していき、耳の中を侵略してくるかのような不愉快な風切り音が周囲を漂う。
風切り音を聞きながら、今日一日のことを思い出す。
親友と喧嘩して、魔獣ぶっ殺して、魔女に女にさせられて、女騎士に殺されかけて、親友に救われて、んで再戦して勝って――要約すればこれだけのことだ。
たったこれだけのことなのに、とても苦労をしたと思う。
どんどんと秘湯が近くに見えてくる。
外壁は30mを超えるほどに超大だが、空を飛ぶ俺たちには関係ないこと。
「デル!」
つい、声が出る。
「何だ?!」
「お前は不可能って言ったよなァ?!」
「そんなことを言った覚えがある!」
「どうだ、不可能だったか?!」
「いいや、可能だった」
「だろ?!」
テンションが上がる。
ここまで来て、達成感に包まれてくる。
俺はやれたんだ。あと少しだ。まだ秘湯に美女は見えないが、きっといるはずなんだ。
俺は――俺はッ!
「俺に不可能なんてねぇんだよッ!」
シュリファが嘶く。
とても悔しそうに、俺に従うのが苦痛なのか、とてつもなく悲哀の籠った声だった。
デルブライトが操るサラマンダーも呻いている。
俺もデルブライトも博愛精神など皆無なので、無理やり操作し、地面に降り立った。
降り立ったところは露天風呂がいくつもあるところだった。
若返りの湯、婚約祈願の湯、伯方の湯、などいろいろと書かれている。
名も知らぬ綺麗な石板が敷き詰められた高級感溢れる様相。風呂も一つ一つが大きく、泳ぐことすらできそうだ。
広さでいえばカシムの住まう家が何個入るのか考えなければならないもの。
デルブライトと一緒に観察していると、聖竜は不意に飛び去って行った。
帰り道どうするか、と少し考えるが、そんなことは忘却の彼方。どうでもいい。
そろそろここに女たちが来るに違いない。まだ太陽が上がっている。夜になればきっと来る、と俺は信じていた。
どこに隠れようか、と考えていると――
「ほ、本当に来たんだね。カシム。凄いよ。そこまで必死に覗きたかったの?」
聞き覚えのある声が秘湯とつながった場所にある旅館の扉から聞こえた。
旅館――極東にある木造りの風情な大きな館。何度か見たことがあるが、これほどまで巨大なものは見たことがない。
秘湯と旅館を繋ぐ扉から――ミオがいた。
いつも通りのローブ姿。だが、いつもと違うことがある。何かを諦めたかのような表情。
どういうことだ?
「ミオ――なんでここに」
デルブライトのほうを見る。何も知らないぞ、と首を振っている。
混乱する。何がどうなっているんだ。
ミオがパチン、と指を鳴らした。
すると、俺とデルブライトの周囲に突然壁が出来る。
【白の極壁】。神聖魔法の高位の奇跡。何もかもを通さない絶対的な壁。魔法も物理攻撃も全て跳ね返す――使い手はほとんどいない。
上を見る。
宙に浮かんで俺とデルブライトを見降ろしている奴がいた。
「やぁ、本当に来るとは思ってなかったよ。いやね?一応さ。いろいろと情報は来ていたんだよ。でね。私としてもカシムとデルの邪魔をしたくないんだよ?裸見られることくらい気にしないし」
「じゃあ見せろ!」
心からの叫び。
デルブライトも同様に叫んでいた。頼むから俺たちに秘境を見せてくれ、と。
「でもね。うん、そうはいかないんだ」
可愛らしい顔に嗜虐的な微笑み。
な、何する気なんだよ――。
恐ろしさのあまり発狂しそうになる。
魔剣を取り出して【白の極壁】に渾身の一撃を放つ。
当たった瞬間全ての衝撃を飲み込んでいるのか、全く手ごたえを感じない。
無駄なのだと悟った。
デルブライトも同様に苛烈な魔法を放っているが、全て無効化されている。
もう――終わりか。
「せめて終わるまで寝ててよ。あとでたっぷり説教してあげるから」
そう言ってリーフは詠唱を始める。
【睡眠】の魔法。
こんな密閉空間で喰らったらひとたまりもない。
詠唱が終わり、俺とデルブライトの周囲に薄紅色の靄が取り巻く。
「くそっ――何がどうなってんだ」
「情報屋に裏切られたというところだろうな」
「こんなところで――あと一歩じゃねぇか」
「負ける――んだろうな」
そんなふうに諦めを享受しようとしていた。
ミオは俺に対して憐憫の眼差し。
同情でもしてくれてんのか?
が、不意にミオの身体が突き出される。
「あ、ちょっと――まだッ!」
押し出されるように小さな身体は突き出され、その後ろからはイラストで見た女体をタオルだけで包んだ美女たちの姿があった。
どうやらこの事態は美女たちには知らされていなかったらしい。
エルフ、天使、魔族、ドワーフ、獣人、ありとあらゆるジャンルのいろんな属性の女たちが姿を現した。
幼女もいる。美女もいる。可愛らしい女もいる。
これは――!
力が湧いた。
「な、なんなのこれは」
「聞いてないわよっ!」
「なんで男がこんなところにいるんですかっ?」
「責任者ァァァッ!」
阿鼻叫喚の悲鳴。
女たちが嬌声を上げる。
いやはや、凄まじい蔑視を感じるが、そんなことはどうでもいい。
タオルだけが障害だ。
後一つ――障害はそれだけなんだよ。
「……デル」
「……カシム」
互いに目を合わせる。
そして、魔剣と魔杖に全ての力を込め始める。
後先考えてられるもんじゃない。
こんなリーフ一人の魔法に立ち塞がられて諦める俺たちじゃない。
「おおおおおおおォォォォッッッ!」
「はああああああァァァァッッッ!」
【睡眠】の靄は霧散する。
俺とデルの闘気と魔力が混じりあい、物質的に顕現し、周囲を汚染していく。
俺の闘気は血のように赤く、デルブライトの魔力は闇のように暗かった。
混じりあい、赤黒い色の波が【白の極壁】の中で充満する。
穢れ、澱み、崩壊する。
「カシムッ!君はそれでいいのかい?!裸が見れればいいの?!」
「さ、さすがに私もそこまで必死な姿は引くよ……」
ミオとリーフが冷や汗流してそう言うんだ。
けどよ――。
関係ねぇよ。
「デル!これは――」
「この力の脈動は――」
世界は赤黒く染めあがり――
「俺と――」
「お前の――」
男はただただ前へと進み――
「欲望だァァァァ!」
壁はすんなり破壊された。
暴風が巻き起こる。
ブルッシュリウムの秘湯は――。