3-3 敗北――そして
俺はかつてないほどの危機に陥ったことを客観的かつ主観的に分析した。
上空には十を超える聖竜たち、目の前には白銀の鎧を着た美しい女たち。こちらも十を超える。
手にもつ武器はそれぞれ違うが、最高峰のものであることはその輝きを見ればわかるというもの。
「カシム――か?」
先輩と呼ばれていた一際背の高い女が俺に声をかけてくる。見覚えのある女だ。
「よぉ、しばらくぶりだな。名前は覚えてねーが、そのスタイルの良さは夢に出てくるほどだった。忘れたことなどありはしねえ」
ふん、と女は眉のあたりで切り揃えられた真紅の髪を掻き上げ――カシムに軽蔑の眼差しを向けた。
ミハエルは展開についてくれないようで、一言も聞き洩らさないように現状の把握に努めているようだ。
「アレイだ。覚える必要などないぞ。貴様には恨みがある。我が主を辱めた恨みがな」
「主?あの騎士の王女さまのことか?」
「そうだ!だから、貴様を連行する。然るべきところで処断する!」
素っ裸にさせようとして結局裸にならなかったじゃねぇか。
あのあと俺は3ヵ月ほど逃げ回ることになったんだぞ。その間に何人の騎士をぶっ倒したことか……。
思い出しただけでも泣きそうになる。本当に辛かった。道行く女性に「変態のカシムよ」「王女様を襲ったんだってー」などと陰口を言われていたという事実は俺の心を引き裂いた。
心から啼いたあの夜――俺は一皮剥けたんだ。
「てめぇらの事情なんか俺にはどうでもいい」
あのときのように逃げるという選択肢はある。こんなボロボロの状態でも逃げ切れる確信ならある。
けれど――
「どけ。俺の邪魔をするなら――わかってるよな?」
担いだ魔剣を振りかぶり、地面に思いっきり叩きつける。
威嚇――ただの威嚇だ。
だが、これは威嚇たりえなかったらしい。見るからに満身創痍な俺を逃す気があるはずもなく、聖竜騎士団の面々は武器を構えて戦意の漲った瞳で俺を見ている。
「待って下さい」
唐突にミハエルが吠えた。
パイクを地面に突き刺して、騒音を奏でて大声を張り上げたんだ。
「私はあまり頭が良くないので事態を全て理解しているわけではありません。しかし、一つだけわかったことがあります。貴方は“あの”カシムなんですね?」
一番やる気満々なのはどうやらミハエルらしい。
俺を見る目は純真なものだ。騙したことは全く気にしていないようで、俺がカシムであるか、ということだけが大事らしい。
「そうだ」
ミハエルは顔を喜色満面になる。まるで玩具を見つけたときの子供のよう。
「そうですか。では、先輩。カシムを一番最初に見つけたのは私です。先手は譲って下さい」
アレイは苦笑する。仕方のない子ねぇ、と。他の面々も納得していることからコイツはいつもこんな感じなのだろう。
そして、強さを信頼しているんだろう。手負いの俺に負けるはずがない、と。
「やりましょう」
突然周囲の様相が一変する。
空気が重くなったような、身体を支えるために力を踏ん張らなきゃいけないような感覚。圧倒的強者だけが放てる圧力のようなもの。
まじまじと目の前にいるミハエルを見る。
そのような圧力を放てるようには見えないが――。
すすっ、と俺の近くに歩み寄り、互いの手が届くほどの距離で立ち止まる。
「では、いきます」
ガチンコでやろう、ってことか。舐められたもんだ。
俺は男だ。女に負けるわけにはいかねぇ。面子がかかってんだ。
弱みを見せれるはずもなく、俺は震えそうなほどに瀕死の身体を精いっぱい奮い立たせる。
「来いよ」
互いに笑い、攻撃を仕掛けた。
ミハエルの持つパイクはかなり短い。普通のパイクの半分にも満たない長さだろう。だが、そのおかげで隙も小さく、連続で突きを繰り返してくる。しかも、俺よりかなり身長が低いおかげで下から突き上げてくる形になる。至極、避け辛い。
「クッ!」
見えてはいるが、身体は反応せず、掠り傷を負っていく。
魔剣の腹で受けたと思えば、さらに追撃が来て、それをかわしたと思えば更に追撃が来る。怒涛の連撃。これがミハエルの戦闘方法のようだ。
「こんなものですか?!“あの”カシムはここまで弱いものなのですか?」
言ってくれる。
満身創痍の俺に対してどれほどの期待をしていたというのか。
「ワイバーンを倒していたときの貴方は本当に格好良かった!女だから手を抜いているとしか思えません――本気を出して下さいッ!」
それでも俺は黙して紙一重で避け続ける。
だんだんと癖が読めてきた。正確な突きを俺は腕でいなすことになっている。軌道を反らすために横から衝撃を加えて受け流す。
こいつ単純だ。攻撃パターンが少ない。
―――一撃で沈めてやる。
「どうした?こんなもんか」
より一層の力を込めてパイクを迎え撃ち、弾き飛ばした。
苦悶の声をあげて衝撃を抑え込めなかったミハエルはパイクごと身体を持っていかれる。
「武器なんざいらねぇな。素手でやってやるよ」
俺は魔剣を放り捨てる。理由は簡単だ。もう魔剣を持つだけの筋力すらも危ういんだよ……。
そして、これを挑発に使う。こういうタイプに効く言葉を俺は知っている。そうすりゃ真っ向から顔真っ赤になって向かってくるだろう。
「所詮女だ。戦うことに向いてねぇんだよ」
「なんですって?!」
ミハエルの後ろで観戦している聖竜騎士団は猛り狂ってる。超怖い。
けど、ミハエルはそこまで気にしていないよう。静かな口調で「そうかもしれませんね」と呟くだけだ。
「聞きます。武器なしで貴方は私に勝てるんですね?」
「当然だ」
「わかりました」
行きます、とだけ言うとミハエルはパターンを変えずに腹を突いてきた。穂先に遠心力を最高に効かせたフックをぶち込んで吹き飛ばす。
そして――俺より身長の低いはずのミハエルを見上げるほどに深く踏み込んだ。
「終わらせてやる」
得意技の右アッパーを振り上げた!
が、途中で障壁があり、俺の拳は届かない。
電流が走っているような防壁。俺は知っている。これはとても単純な【防御決壊】だ。
間の抜けた顔になっているだろう。クスリ、とミハエルは笑ったんだ。
「終わらせましょう」
パイクの穂先は俺の腹を貫いて、地面に突き刺さった。
腹を見る。見事に内臓がいっちまってる。
終わりたくねぇ。諦めたくねぇ。けど――
「ガフッ」
喀血する。
パイクを力任せに引き抜かれ、俺は――倒れ伏した。
身体の感覚がもうない。
「先輩!勝ちましたよ!」
と喜ぶ声が聞こえ――
「よくやった!」
と称える声が聞こえてくる。
畜生――畜生!くそったれ!
俺はこんなところで倒れる前に来たんじゃねぇ。
「まだだ……まだ俺は終わっちゃいねぇ」
背後にある魔剣に手を伸ばす。
ガクガク震える身体を魔剣を支えにして立ち上がる。
産まれたての小鹿のように立つ俺を不思議そうな眼で見る女たち。
あぁ、俺だって何で立ったのかわかんねぇ。
勝てるはずもねぇ。どう考えたって負ける。これまでの俺の経験からしてここから逆転できる可能性はゼロだ。逃げれる可能性だってない。
それなのに一歩、一歩、踏みしめるように俺は歩く。
「まだ――やるのですか?」
ミハエルは俺に振り返り、真面目な顔でそう言うんだ。
正直やりたくねぇよ。
けど、倒れたまま終わるのだけは頂けない。
倒れるなら前のめりだ。
「これで最後です」
トドメの一撃を――これで死ぬという必殺を俺は目を開けてきっちり見届けようとした。
だが、それが俺に届くことはなく――攻撃は突如現れた何者かによって防がれていた。
片手に魔杖を持ち、漆黒のローブを優雅に纏う――陽光に照らされたまるで金糸のような髪をたなびかせている少年。
「なんだ。まだ秘湯についてはいなかったのか。転移するには早すぎたようだな」
余裕綽々の冷たい声。
小さな時から共に励み、鍛え合った相棒。
聖竜騎士団の女たちも驚いている。そりゃそうだ。俺も驚いているんだからな。どういうことかさっぱりわかんねぇ。
けど、心強いことこの上ねぇぜ。
「良いタイミングだったようだな。お前もボロボロみたいだし、後は俺に任せておけ」
「任せたぜ。デルブライト」