3-2 カシム的紳士な振る舞い
発狂しそうなほど興奮しているわけではないが、常に下腹部に力を入れていないと持って行かれそうだった。
林立する木々を歩きながら数え、それでも高鳴る鼓動を抑えることができそうにないので頭の中に必死に思い浮かべた。男の裸を。
――屹立していた元気な息子は役目を終え、従順な屍となり、俺の鼓動は収まっていった。逆の意味で冷や汗が流れてきたが。
そのように不謹慎極まりなく、不審者全開の俺に何かしら思う事があるのか、露出度高めの武装をしたミハエルが声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
心配そうな声音が響く。
あぁ――木漏れ日が眩しい。下半身へ必要な血流が向かったのか、失血気味の俺は眩暈を起こす。あまり俺を心配しないでくれ。俺に構わないでくれ。
敵になるとわかっていても、敵になると確信していても、惚れてまうやろおおおおお!
「あぁ、大丈夫だ」
などと思っていることなど億尾にも出さず、クールに対処するよう努めるが、やや前傾姿勢になっているのは致し方ないことだろう。だって、ほら。俺って男の子だし。
盛り上がるテンションと盛り上がる何処かを必死に抑えようとしながら、俺は前を向いて歩いていた。
森の中、女の子と一緒に歩きながら俺は何をやっているんだろう、と泣きたくなる。
前傾姿勢になりながら、魔剣を引き摺り歩く姿はかなりダサイ。
「重いのなら持ちましょうか?重傷を負ってるように見えますし……」
優しく言われる。
どんな攻撃でも耐えきる自信があるし、どんな罵倒でも受けきる自信がある俺だが、滅多に優しくされることはない。温かい声は俺の心に直撃だ。
「いける――まだ、いける!」
何がいけるのか、と自分自身不安になるが、俺は何も間違ってはいないはずだ。いけるんですか、とミハエルは呟くが、あぁ、俺は今なら天にすら逝ける。こんな死に様も悪くはねぇ――。
「ところで、カシムさん。持っている剣を見る限り名のある方だと思うのですが、本当にあのカシムではないのですか?」
「俺じゃあないな」
「そうですか。残念です。もし本人ならば是非お手合わせ願いたいところなのですが」
本当に残念そうに呟く。
地面を踏み締める靴音が少し深くなった気がした。そこまで闘いたいのは何故だろうか。俺以外にも強い奴などいくらでもいるだろうし、それに――戦いたがる女の気持ちがわからねぇ。
やっぱり花を愛でる女のほうがいい、なんて思うのはおかしいのだろうか。
俺の好みはいいとして、俺がどんなふうに思われているのかも気になる。実際どんな風聞なのだろうか?
「ちなみにその有名なカシムってのはどんな奴だ?」
できるだけ不自然にならないように声音を制御しながら聞いてみた。
そうですね、とミハエルは相槌を打つ。
「怜悧な眼差しとともに誰をも近づけない孤高の佇まい。かつ、身長も高く、鍛え抜かれた身体は見る者全てを虜にするらしいです。とにかく美形で、本当に格好いいらしいんですよー」
憧れちゃいますよねー、という少しばかり蕩けた声で言われてもな。誰だよ、それ。どれだけ美化されてるんだよ。それに孤高じゃねぇよ。友達がいないだけだ。俺の走りについて来れる奴がいねぇだけなんだよ……。
「装備するのは身の丈を超える無銘の大剣と浄化されていない穢れた魔獣の皮――」
んー?と間延びした声を出しながらミハエルは俺をじっと凝視する。そんなに見つめられると照れるだろうが。
「身の丈を超える大剣に、魔獣の皮の装備してますよねぇ?」
「無銘の剣じゃねぇぞ。きっちり魔剣だ」
「ふむー?まぁ聞く話によるとその人は武器にこだわらないらしいですからね。そのような禍々しい武器は手に取らないでしょう」
武器には確かにこだわらない。
何度か技を放つとだいたいの武器は壊れてしまうからな。
駆け出しの頃は武器を稼ぐ金すらもなくて拳一つで戦ったもんだ。そのたびに罵られたものだが、あれも良い思い出――悪夢でしかねぇな。実際よくあんな恐ろしいことをやってたもんだ。
回想している間にも話は進み、それでですねー、などとミハエルはまだまだ俺の評価をしている。美化されすぎてて原型が残っていない。
「我が騎士団では大本当に人気でしてね。何度も争ったことがある先輩が言うには【抱かれたい男No.1】だそうです。あの瞳で見つめられたらとても感じ――どうしましたか?」
どうしましたか、と言われてもな。
気分が悪い。抱かれたい男No.1?抱いたことなんてないわけだが。俺が夜に抱くのは愛用してる抱き枕だけだ。それ以外のものを抱いたことはない。抱けるもんなら抱きてぇけど、そんなことを許してくれる奴はいねぇんだよ――ッ!
「まぁ、カシムさんではなさそうですね。ところどころ似ている部分はありますが、孤高というようにも見えませんし。とてもフレンドリーですよね。震えながら歩くところなんてとても可愛いです」
「失血のしすぎでフラついているだけだ」
その一言は見事にスルーされ、疑ってすみませんでした、と言われる。謝るのはそこだけでいいのか?
「あ、話は変わりますけどもカシムさんは彼女いますか?」
グサリ、と心に突き立つ言葉の剣。
聞きにくいことをあっさりと聞いて人の魂を切り刻んでくる。あまり俺をいじめないほうがいい――。
「いたらこんなとこに来ねぇよ」と吐き捨てるが「彼女がいるかどうかとこの森に何かしら関連性でもあるんですか?」と言われる。あぁ、あるさ。とびっきりな。
「彼女ができなくて――人生の迷子になったのさ」
「いくら自殺の名所だからって自殺はよくありませんよ?いつか良い人が見つかります」
いつ自殺するなんて言ったよ。それほどまでに俺は世界に絶望してねぇよ。
まだ俺はやれると信じてここまで来た。
少し視界が暗くなる。空を見ると太陽が雲に隠れていた。
遮られた光の中、周囲を見ると血生臭い風景。引き千切られた人の死体や、叩き潰された魔獣の死体――命のやり取りの傷跡がそこかしこに見受けられる。
そんな中で俺はこんなに緊張感がない状態でいいのだろうか。
考える。
俺は何故ここまで苦労して来たのか、と。
「あのー?」
ミハエルのほうを見てみた。
あぁ、そうか。俺は裸を見るために来たんだった、と思い出す。
そもそもは女風呂を見たいわけではなく、女の裸を見たかったんだ。
コイツは女だ。あぁ、間違いなく女だ。
美脚はそそられるものがあるし、容姿だって整っているし、美脚は本当にいいものだ。そそられる。
不愉快な臭いのせいか、俺は妙に興奮し始めていた。
血を見ると――昂る。
失われた血のせいか、意識が朦朧としている。
あぁ、もういいんじゃねぇか?と心の中で俺が囁いている。
「あのー!」
意識が我に返る。
俺は今――何をしようとしていた?!
俺の顔を覗きこむように屈んで上目づかいで見つめてくるミハエルに――何をしようとした?!
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ――大丈夫だ」
初めては愛のある行為にしようと誓っただろう?
金で買うこともできたけれど、やはり愛に生きようと――俺は決断しただろう?!
襲うなんてのは言語道断、許されるべきことじゃねぇ。
未だに心配そうに見つめてくるミハエルを押しのけて、大丈夫、と自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
「――大丈夫ですか?」
可愛いなぁ、などと思ってしまう。
あぁ、でも、そうだ。ダメだ。
こいつは敵なんだよ――惚れたら結局傷つくだけなんだよぉッ!
まどろむ意識は決壊寸前で、俺の理性も崩壊寸前で、俺にしては珍しく周囲の警戒を怠っていた。
遠くから聞こえてきているはずの大音量の何かが羽ばたく音。
聞き逃してはいけないはずだったが――致命的に俺は聞き逃していた。
「先輩!」
歓喜に震えるミハエルの声。
ミハエル!と答える慈しむような声。
気付いたときには遅く――空には竜を駆る戦乙女たちが立ち並んでいた。
「よかったです。先輩たちの中には治癒魔法が得意な方もいます。これでカシムさんの傷も大丈夫ですね」
そんな都合のいいことがあるかよ。
俺に気付いた聖竜騎士団の奴らは凄まじい形相で俺を睨んで殺気を放っている。
それに気づいていないのかよ。
「――チッ」
知れず、舌打ちをしてしまう。
あと少しだってのに、どうして俺の努力は報われない。
俺に恋をしろなんて言わねぇ、俺を愛しろなんて言わねぇ、俺にときめけ、なんてことも言わねぇよ。
あぁ、でも、女と仲良く会話するなんて夢みたいな一時を過ごせたのは感謝しよう。
良い雰囲気だったと思う。俺は実際、少しばかりときめいていた。
「カシムさん?」
くぐもった笑い声しか出てこねぇよ。
呆れて物も言えねえ。
何に期待してたんだ?俺に恋してくれる奴なんかいるはずねえだろ?今までいなかったんだ。そう都合よくあらわれるかよ。
だからよぉ――だから覗くんだろ?
たとえどんな壁があろうとも、真正面からぶち壊してよ――覗くんだろ?
あぁ――上空から優雅に降り立ってくる聖竜騎士団の連中は正しく壁だ。何人いるんだ?全員俺を睨んでる。武器を構えて睨んでる。
「先輩――?」
理解していないミハエルをよそに、聖竜騎士団の連中は優雅に大空から降り立ってきた。