2-5.魂の叫び
人を殺すということに抵抗を感じなくなったのは何時の頃からだろうか。
最初殺したときの敵ははっきりと思い出せるのに、慣れてしまってからの敵の顔は思い出せない。
最初は怖かった。あっさりと零れ落ちていく命の雫を見ることに恐怖した。生命を摘み取るということに対し、俺ははっきりと罪悪を感じていたんだ。
何度も吐いた。何度も泣いた。何度も悔やみ、何度も許しを乞うた。
誰に対してのものだったのか――今はわからない。
ただ、でも、今だからこそわかることがある。
「生きるってのはよ。誰かの命を摘み取るという代償を払わないとできないものなんだよ。そして、何か強い目的がないととてつもなく無為なものなんだよ」
ギチリ、と身体が軋みをあげる。
鎧によって限界まで強化されている俺の身体は悲鳴をあげている。
あまりに脆い己の身体に絶望しかけるが、今ある武器は己の身体だ。この身体を上手く使って戦うしかないのだから、ないものねだりをしても意味がない。
「たとえばそれは金だったりするだろうよ。名誉だったりするだろうよ。恋人のためかもしんねえし、子供や親のためかもしんねえな。つまりはよ。何かしらのことを求めて生きるんだよ。ただ生きてるだけってのはな。死体と何も変わらねぇ」
ハイゼルがかかげた戦槌を透かす。
続いてクライツの魔法が束になって押し寄せる。
もともと魔法を反射する俺の鎧に効果などなく、完全に無視して俺は構える。
戦槌を振り下ろした反動で硬直しているハイゼルの横っ腹はがらあきだ。フルプレートの鎧をつけているが、俺からすれば意味などなく――
ギチギチギチギチ――収束していく力の塊を解放し、魔剣の腹で思いっきりドツキ飛ばした。
ガフッ、と喀血しながら吹き飛び、湖面へと投げ落とされた。
壮大な水しぶきの音が轟きわたり、数瞬、水柱が天へと登る。
「悲しいことにそんな死体ばっかが跋扈してるってのも事実なんだよ。だからよ――俺はあいつらとは違う。違ってみせるって心に決めて、己を奮い立たせて、両足ともに踏ん張って生きてんだ」
水柱を見てもクライツは一切の動揺なく、俺に対して激烈な魔法を打ち放つ。
【脈動する水流】【収束された光の波動】【大地の亀裂】【狡猾な影刃】――高等魔法の連続行使は俺に対して遠慮なく為されるが、すべて反射されてあらぬ方向へと霧散する。
魔法というものは連続で使うことに適していない。連続で使う毎に倍倍で消費する魔力が増えていき、魔力だけではなく生命力すら殺ぎ落とされるようになっていく。
頬はこけ、穴という穴から血が流れ出るようになっても、クライツは詠唱を止めない。
朗々と、まるで歌を詠うかのように、痛みなど感じていないかのように紡いでいく。
【魅了】のせいですべてを魔女のために捧げることを硬く決めているんだろう。
命の危険を顧みず、無茶をするやつは嫌いじゃねぇ。嫌いじゃねぇけどよ。
別に好きでもなんでもねぇ。
ただ、近づいていき、ただ、殴る。
強化された俺の左腕から繰り出される拳はクライツを湖まで運んでいった。
「こういうのを覚悟って言うんだよ。覚えておけ」
魔女に向かって言い放つ。
本当にやるとは思っていなかったのか、さすがの魔女も顔色が悪い。
やや青ざめた美貌を見るのはあまり心地よくないし、女をいじめるのも趣味じゃないけれど、俺にだって生きる目的がある。そのためなら何だってやってやる。
鬼だと言われても、悪魔だと言われても、馬鹿だと言われても、俺は決して妥協しない
「本当に――微塵の躊躇もなく葬りましたね。さすがです。最低です。まさか本当に実行するほどのクソ野郎だとは思っていませんでした」
はしたない言葉を使っちゃいました、てへ、などとはにかむような笑みを浮かべる魔女は、しかし、実際のところかなり怖気づいているように見える。
冷や汗をかいているのか、額にはうっすらと流れる雫が見えるし、口が渇いているのか、声が霞んでいる。見るからに緊張状態だ。
「褒めるなよ。それに死んではいないだろ――たぶん」
「全身金属鎧をつけたまま湖に落ちて助かりますか?脆弱な肉体しか持たない魔法使いを思いっきり殴り飛ばしておいて、生きてるとお思いですか?」
「さぁな。至極どうでもいいことだ。俺には関係ねぇ」
別に死んでもかまわないという思いで攻撃したしな。
その後どうなろうが知ったこっちゃねぇよ。
殺すつもりで攻撃したけれど、確殺するつもりはない。ただそれだけの違いだったわけだしな。
だけど、その違いが魔女にはわからないらしく、非難の目を俺に向ける。
なぜこいつは被害者面をしているんだ?そもそもお前が俺に喧嘩を売らなきゃこんなことにはならなかった。
お前が売った。俺が買った。
ただそれだけの話のはずなのに、不純物を大量に混ぜやがる。
単純明快な話だろう?俺はかかる火の粉を振り払っただけだ。ただ、それだけのことだ。
「――かつて貴方ほどに自己中心的な人を私は見たことがありません」
「意志の薄弱な雑魚ばかり見てきたんだな。せいぜい拝め。俺こそが男の中の男だ」
「――もう黙って下さりませんか?不愉快極まりないです。ついつい握り潰してしまいそう。貴方の小さな命を私の小さな掌で押し潰してしまいそうです」
魔女の小さな手の中には俺の息子がいる。
唯一無二の――いや、二個あるから無二とは言わないか?まぁそこらへんの違いはどうでもいいとして、とりあえず魔女に俺の命とも言うべき急所が掌握されている。
だけど、それが何だ?
俺はゆっくりと歩き出す。余裕を持って歩み寄る。
彼我の距離は10mもなく、その気になれば一瞬で詰め寄ることもできるが、あえて俺はゆっくりと、ゆっくりと歩を進める。
「だから、動かないで!」
何が、だから、なんだ?
お前は何を必死に叫んでいる?
それが俺にはわからねぇ。
なんで俺が息子を人質にとられているだけで立ち止まらなきゃいけないんだ?全くもってわからねぇ!
「心に刻んだ言葉がある」
決して勝てない相手に立ち向かう奴らはいつも笑いながら、勝てないとわかっていても笑いながら戦地へ赴いていった。
カシムは強いからいいよな、って苦笑しながらそいつらはその言葉を最後に二度と会わなくなっていった。会えなくなっていった。
「動かないでって言っているでしょう?潰しますよ?!」
死ぬのが怖いと震えながらも前進していく奴らを俺は知っている。
死の直前に泣き喚きながら後悔の念を叫ぶ奴らを俺は知っている。
それでも、最後には、逃げなくてよかったなぁ、と笑いながら逝った奴らを俺は知っている。
そいつらは決まって同じ台詞を言ったもんだ。
「失うことを恐れていたら、何も手に入れることなどできはしない」
逃げれば命は失わなくて済んだのに、と俺は思う。
けど、今ならそいつらの気持ちがわかると思う。あいつらとわかりあえるんじゃないかなぁ、なんて柄にもなく考える。
「貴方は――」
そう――たとえ、それが俺の息子を失うことになろうとも俺が男であるという事実は揺るがない。
「人の話が――」
それでも、やっぱり失うことが怖い。とてつもなく恐ろしい。俺が今まで生きてきた中での最たる恐怖を軽く凌駕するほどの悪夢を目の前にして、正直なところ、生きた心地が全くしねぇ。だから――
「聞けないのですかァァァァ?!」
視界が滲む。
ブギョ、という擬音が俺の息子から放たれるのを聞いて、俺の視界が曇っていく。
だけどよ、今は立ち止まる場面じゃねぇ。泣いていい場面じゃねぇ。今はやれることをやるしかねぇんだよ。
前に進むしかねぇんだよっ!
「返してもらう。それは俺のお稲荷さんだァァァァ――!【カイゼル・フォルヴァー】!」
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