080 姉弟の仲直り
ジョシュアは落ち着きなく、村の裏通りにあるベンチの前で行ったり来たりしていた。
「カダベルの話はしない。ゴライの話もしない。聖騎士団の話や、聖教会の話もダメだ…あと気をつけるべきことは…」
指を折りつつ、ジョシュアはブツブツと繰り返し確認する。
「ジョシュ」
「ロリー!」
姉の姿が見えた時、ジョシュアは一瞬だけ泣き笑いのような顔になった。
「本当に来てくれたんだね。俺、呼び出されたのはなにかの間違いかと思って…」
ロリーシェから、ナッシュを通して送られて来た手紙をジョシュアは胸に当てて笑う。
対するロリーシェは思い詰めたような顔をしていたが、舞い上がっているジョシュアはベンチの上にハンケチを敷いて座るように促した。
「普通にしてくれていいわ。ジョシュ」
「いや、そういうわけにはいかないよ。それで話したい事っていうのはなんだい?」
「……仲直りがしたいの」
ジョシュアの顔がフルフルと歓びに震える。
「も、もちろん! 仲直りしよう! 誤解はあったけれど、俺たちは姉弟だよ! いつまでもいがみ合ってちゃいけない! 天国の父さんも…」
「ジョシュ」
「ろ、ロリー?」
手を包み込むように握られ、ジョシュアはドキマギした。
(お、落ち着け俺! ロリーは姉で、昔から口うるさくて…でも、こんなに……)
ロリーシェの顔を間近で見て、ジョシュアはあることに気付く。
(姉さんは…こんなに悲しい顔をしていた?)
屈託なく笑い、周りに気を遣い、いつも優しさに溢れていたというイメージしか持っていなかったジョシュアは戸惑う。
今のロリーシェの眼の奥には哀しみや決意の色が見て取れたのだ。
「ジョシュ。あなたは母さんのことを覚えている?」
「母さん?」
母の姿を記憶の奥から引き出そうとするが、それは真っ黒なシルエットで、そこからどうイメージしても姉の姿となってしまうのだ。
「……いや、まったく覚えていないよ」
「そうだよね。私もあなたも小さかったから。私も薄っすら記憶にあるだけ。そして、母さんが義父さんと出会った理由は知っている?」
「ロリー。なにを…」
「いいから答えて」
「父さんはクルシァンで商売をしていて、ギアナードに来た時に母さんに出会った…?」
父から聞いた話を、ジョシュアは少し自信なさげに口にする。
「そう。けれど、正確には違うの。母さんもクルシァンの生まれで、ギアナードに転居する時に使ったキャラバン隊の馬車の中で一緒になったのが始まり」
「え? 母さんもクルシァンの生まれ? そんなの聞いたことないよ。父さんはそれ知って…」
「義父さんは知らなかったわ。母さんが『故郷のギアナードに帰る』と言ったから…」
「ロリーはなんで…」
「見ていたとは思うけど覚えているわけじゃない。それはギアナードで義父さんと一緒になった後、母さんが私だけに話したこと…」
弟に隠し事をしていたという負い目を感じてか、ロリーシェは軽く目をそらす。
「でも、母さんはなんでそんな嘘を?」
「聖都から遥か南、“ディーブグロス”…そこが母さんの故郷。母さんはなにかがあって、そこに居られなくなって、幼い私と乳飲み子だったあなたを連れて、ギアナードに向かった…」
「なにかって…なにが?」
「それはわからない。けど、母さんはこうも言っていたわ。『なにか大きくなって困ったことがあったら、最長老に会いなさい』って」
「最長老? ディーブグロスとやらの? 意味がわからない。そこが人里だったとして、そこから追い出されたんだろ? それなのになにかあったら会えだなんて話の筋が…」
「わからない」
「わからないって。? なんでロリーはそんな話を今に…まさか」
「いまがその時だと思ったの」
ジョシュアは軽く目眩を覚えた。ロリーシェを連れてクルシァンに戻るのは目標ではあった。そこで修道士としての生活に戻るのか、ナドのところに戻るかは本人の自由だが、そんな得体の知れないところに行くと言うとは夢にも思わなかったからだ。
「ロリー。少し落ち着いてよ。母さんはなにか意味があってその話をしたのかも知れない。けれど、聖都の南にある大森林は誰も立ち入ったことのない未開の地だろ、確か…。それに何年も…いや、何十年も昔の話だよ。その最長老って人だって生きてるとは限ら…」
「私たちと同じ種族なら生きている。間違いなく」
「種族って、標人が?」
ジョシュアが怪訝そうにするのに、ロリーシェは悲しげな顔を浮かべた。
「ジョシュ。私は酷い姉だよね…。ゴメンね。あなたが大人になった時に話せばいいと思って…」
「姉さん?」
「お願い、ジョシュ。私を連れて、ディーブグロスに…」
「それは…。ロリー。大森林は…」
「これはこれは。いけませんねぇ〜」
ベンチの後ろの木から聞こえてきた声に、ロリーシェとジョシュアは驚き振り返る。
「今の会話は、上役として見過ごせませんなぁ」
「フェルトマン卿…」
木陰から姿を現したのは、顎髭を弄くり回すフェルトマンであった。
「聖騎士と修道士の駆け落ちはそう珍しくありませんが…」
「私たちは姉弟です…。顔を見ればわかるでしょう」
「これは失礼を。美男美女の素敵なカップルとばかりに思いましてね。心が通じ合うと、顔も似ると言いますし」
ロリーシェは瞳の奥に怒りを湛えて言うが、フェルトマンは笑みを崩さずに姉弟を見やる。
「フェルトマン卿。俺たちは別に…」
「聖心も届かぬ異教徒の住まう背徳地。かつて魔法士たちが違法な研究を行っていた遺跡。背信者たちを送る流刑地…などと、悪い噂も積み重なって呼ばれてはいますが、ただ単に管理が行き届いていないだけ…ディーブグロスとはそういうところです。ですから……」
不穏な空気が漂う中、ロリーシェもジョシュアも固唾を飲んでフェルトマンの次の言葉を待つ。
「とおーっても面白い!」
「はぁ?」
フェルトマンが手を合わせて破顔するのに、ジョシュアは思わず前のめりに倒れそうになる。
「いえね、元々、調査は命じられていたんですよ。南側は当方の管轄域でもありますしね。しかし、こんな時期に聖騎士団から人員手配をお願いするのも難しい…言っちゃ悪いですけど、これ渡りに舟だと思いましてねぇ。ああ、もちろん、貴君のお母様の事伝とやら、当方も大変興味がありますです。はい」
フェルトマンは優しく微笑んでロリーシェを見やる。
「…あなたはなにが目的なの?」
「目的? ああ、目的ですか…。目的ねぇ…」
視線を彷徨わせ、顎先をトントンとリズミカルに叩いていたフェルトマンは、手を擦り合わせたり袖の中に指を入れたりと忙しなかった。
「…まあ、それは追々話すとしてぇ」
「あなた、一体…」
「当方がいれは、聖教会からの追っ手は掛かりませんよ」
「え?」
「聖騎士と修道士が勝手に赴けば、それは聖教会に対する反逆と見做されます。離反した者がどうなるかはご存知でしょう」
「追跡者…」
聖騎士たちの中で、反教主義者などを専門に処断する団があることをジョシュアは思い出す。
「ええ。聖騎士団の影を担う存在…審問官のことは噂くらいは聞いたことがあるでしょう。一度追われたら、団長クラスでも無事では済まないでしょうな。彼らはしつこいですよ〜」
フェルトマンがやんわりと脅してくるのに、ジョシュアはコクリと喉を鳴らす。
「ですが、八翼神官の護衛となれば…それは立派な任務でしょうねぇ」
「だから目的を聞いてるの。私たちに協力する見返りはなに?」
「ですから、それは今度に…」
「いまここで話して。あなたが私たちに協力してなにになるの? もしかして、罠に…」
「罠? いやいや、信用ないですねぇー。当方はただ知的好奇心から…」
「ジョシュア! ジョシュア・クシエはどこだ!?」
唸り声の混じった怒声がどこからか聞こえ、フェルトマンは首を伸ばす。
「この声は…」




