009 死を克服した男
賢者たちが円卓に集う。
彼らは世界最高峰のシンクタンクであり、こと源術と魔法については他の追随を許さない存在だ。
彼らの持つ知識であれば世界の理を書き換え、異なる次元にすらも干渉ができるだろう。中には彼らを“神”として崇める者たちもいた。
「…では、汝ら賢者に問う」
一段高い上座に座る、大賢者と呼ばれるリーダー格の年配者が重々しく口を開く。
「…何故に魔法は必要なのか?」
「「「神に御元に近づくため故に!」」」
賢者たちが一斉に答えた。
「…ならば、更に問う。何故に魔法でなければならぬのか?」
「「「神が遺された足跡である故に!」」」
「…さらに問おう。源術の下位ではあるが、魔法はこの世界そのものに介入する恐れある力。これらを扱う上で、過ちを避けるには如何にする?」
「我々は知の具現者!」
「その誇り故に…」
「常に傲らず!」
「常に昂らず!」
「常に謙虚さを!」
「常に良識を!」
「安けき泰平こそ我らが神の望み!」
7人の賢者がそれぞれ答え、大賢者はニカッと歯のない顔で微笑んだ。
「…すんばらしい」
歯がないのにハッキリ喋れるのは魔法による物だ。
手を打ち叩いてもいないのにパチパチ鳴るのも魔法によるものだ。老い過ぎていて、手を実際に動かして叩けないのだ。
しかし最も源術に近い大賢者であればこれらの魔法を使うなど造作もないこと。
中には延命だけでなく、若さを取り戻す魔法も使えた。
しかし、賢者は私利私欲のために魔法を使わない。それこそが美徳とされているのだ。
「…我らに魔法があるように、彼の世界には科学という魔法に似た力がある。話し合いは十二分に済んだ。後は魔法書の完成を待つだけじゃが」
「大賢者クロノス・シラキ」
一人の賢者が挙手する。大賢者は大きく頷いて見せた。
その賢者は、他の賢者たちよりも体格がよい。
クロワッサンのような太い指をチョイと動かすと、豪華な体裁の本が大賢者の眼の前に飛んできて置かれた。
「魔法書はほぼすべて完成をみています。我らが智慧を絞り、役割を考えた魔法…学習者による程度差こそあれ、基本はマスターできましょう」
大賢者は本をジッと見やる。それだけで中身を彼は把握してしまった。そして、その完成度に満足した。再び手を叩く音が鳴り響く。
「…賢者たちよ。なぜ魔法書を創る必要があったのか。また、なぜ等位ごとに分けさせたのか、汝らならばその理由がわかろう」
わずかな動揺が賢者たちに走った。ほんの一瞬だが、大賢者の慧眼はそれを見逃さない。
(理解はした…が、納得できていないというわけか)
何人か不満そうな顔を浮かべている賢者たちを見て、大賢者は心の中で笑う。
「…我らに敵はいない。かといって、我らが争えば多世界まで滅び去ろう。完全すぎる世界は停滞し、やがて潰える。それを避けるための我らの叡智だ」
魔法書を指差し、大賢者は二人の賢者の顔を交互に見やった。
「賢者アンキム・ノドゥワード、賢者レレ・レマン。前に…」
手招きしてみせると、円卓からふたりの賢者が立ち上がった。そして足音を立てずに大賢者の前に立つ。
ひとりは長身痩躯、狼を思わせるギラギラとした眼が特徴的なダークエルフと呼ばれる種族だ。
エルフの人畜無害そうなウサギの様な見た目ではなく、イタチやキツネを思わせる風貌が特徴的だ。
もうひとりは隣に立つ男とは対象的で、身長はその半分くらい、だが横幅は身長と同じかそれ以上はあろうかという男だ。
細い目にニコニコとした表情のホビットと呼ばれる種族だ。ずんぐりとした表情と体格はマナティを思わせる。
「お前たちには、それぞれランク7とランク1の魔法書作成を依頼したが。
…さて、アンキム。ランク7の魔法はどうなったかね?」
「ハッ! 全身全霊で取り組ませて頂いた次第、それ故に最高峰の出来となりました。智慧の研鑽、魔法の真髄たる出来栄えと自負しております!」
アンキムが口元をニヤリと笑わせて自信ありげに答える。
「フム。では、レレよ。その方はどうか?」
「はい。最高の出来かどうかはわかりませんが、大事なところは網羅したかと…」
アンキムがフンと小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「…押したり引いたりなど、手でやっても用が足りそうな単純な魔法。さぞかし魔法書を創る上で、ページを埋めるだけでもご苦労なされたことでしょうな」
明らかに見下すようにアンキムが言ったが、レレは頬をポリッとかいて「ハハ」と小さく笑った。
「……なるほど。では魔法書を創るに当たって、もっとも最高の魔法となった物をひとつ教えてくれんか?」
「もちろんですとも! 大賢者様! 私が手掛けた最も難易度の高いランク7! 最上位は……」
自慢したくて仕方なかったアンキムは意気揚々と、いかに複雑で精緻で沢山の仕掛けが施された魔法かを話す。
決して並の人間では扱えないだろうと、本当の智者、それこそ賢者に匹敵しなければ習得は難しいであろうことも付け加えた。
それを隣で聞いていたレレが徐々に背を丸くしていく。悲しそうに、恥ずかしそうに、やがて顔を覆った。
「すんばらしい」
アンキムの説明を聞き終えた大賢者は三度目の拍手をする。
そして、顔を覆ったレレを優しい目で見やった。
「…では、レレ」
「は、はい…」
「お前は…」
「最高の魔法は…ありません」
アンキムが口元を抑えてブッと吹き出す。
他の賢者たちも呆れた顔を浮かべたか、苦笑いを見せた。
唯一、大賢者だけが何の反応も見せない。
「無いと? お前が創った100以上にも及ぶ魔法の中で最高の物がひとつもないと言うのかね?」
「…大賢者様。ランク1の魔法は、我らであれば意識すらせず使える初歩の初歩である魔法ばかり。幼子にも扱えましょう。その中で最高の出来の物はないのかと聞かれるのは、あまりに酷ではありませんか」
アンキムがそんなことを言う。そんな嘲弄と失笑を受け、レレは顔を真っ赤にさせた。
「……そうなのかね? レレよ」
レレは必死に頭を抑えて何やら考え込む。そして、やがて脱力して小さな震える声で言った。
「……強いて言うならば、【倍加】です」
「【倍加】だと!?」
アンキムが自身の額をペチンと叩いて高笑いする。
「物質や質量をただ単純に倍にするだけの魔法ではないか! ハハハ! これはいい! 【三倍加】という上位互換や【五重多層化】という魔法を識りながら、これが最高の魔法に選ぶとは!
確かに剣士には好かれそうな魔法ではある! 振りかぶった剣の質量を倍にすれば、ダメージも2倍になるだろうからな! ヒッーヒヒヒ!!」
「…それではアンキム。お前ならばランク1の魔法では何を選ぶかね?」
「ヒッヒヒ! ランク1に選ぶものなど…と言いたいところですが、そうですな。選ぶとしたら【真偽】でしょう。あれは場合によっては使えます。
しかし、上位魔法に【正答審判】がありますからな。唯一無二とは言い難いでしょうけどね」
ランク4の魔法を創った賢者が頷いて見せた。
「……それでもこの【倍加】は最強の魔法なんです」
レレはじっと大賢者を見やって言った。
アンキムは目を細め、それからフンと鼻を鳴らして肩をすくめる。
「……まあ、結果は後の時代にわかることだろう。我らはそれを待とう。我らに並ぶ智者を」
──
音がする──
そのことで音を知覚したのだと識る。
光が見える──
そのことで光を知覚したのだと識る。
深淵にいたはずなのに、随分と永い月日が経ったのであろうことがなぜか理解できた。
目覚めるのは億劫であった。そのまま意識を消失したまま全体に溶け込んでいたい気持ちになる──
それは早すぎる目覚め──
俺が俺であるという自覚を取り戻し、もはやそれから逃れる術を見いだせない──
ゆっくり眼を開く…いや、“開いた気”がした。元々眼は開いていたのかも知れない。ただ見ようと思っただけだ。
わずかに首を動かそうとして、ミシッともピシッとも聞こえる嫌な音がした。ボンドで固まっていた木片を剥がすときのような不快音だ。
俺の眼の前に何かがいる。
それはまだ幼い子供たちだった。
兄妹だろうか。ふたりは両手を組んで、眼をつむって何かを口の中でブツブツと呟いている。
「…お兄ちゃん。こわいよぅ」
「コラ。ダメだろ。ちゃんとお祈りしろ」
女の子の方が顔を歪ませて言うと、男の子が軽く叱った。
「だってぇ、お顔がこわいんだもん…」
「動かないんだから大丈夫だってばさ。そんなことよりちゃんとお祈りしろ。守り神様なんだぞ」
「う、うん…。わかってる」
…守り神?
なんだ?
そんなものがどこにいるんだ?
「…ヒッ!」
女の子が俺を指差す。眼を見開き、顔は真っ青になっていた。
「なんだよ。もう。毎日毎日。そんなにビビって…」
「う、動いた…」
「はあ? そんなわけないだろ」
男の子が俺の方を見て呆れたように言う。
「…やっぱ動いてないじゃん」
「だって、いま…首が…」
「守り神様はこの村を守うために力を使い果たしてしまったんだからさ…って、そんなこと言ったら姉ちゃんに怒られるな」
???
この兄妹は、俺の眼の前で何の話をしてるんだ?
「さあ、お供え物をして帰…」
男の子が果物がたくさん詰まったバスケットを持ち上げて、俺の方をしげしげと見やった。
「んー? なんか、確かにいつもと違う気も…」
「…君たちは…誰だ?」
少年も少女も地面に落としそうなくらい口をあんぐりと大きく開く。
「ギャアアアア!! 喋ったぁッ!!!」
「うわあぁぁぁぁぁーーーーんッ!!!」
ふたりは大号泣し、男の子はバスケットを放り投げ、女の子の手を握ったかと思うと一目散に走り去る。
「…なんなんだ?」
俺は動こうとして、身体が固く強張っていることに気づく。
声の調子もなんだかおかしい。決して美声と言えはしなかったが、それにしても俺の声はこんなに低く響くような感じだったろうか。
苦心して首を左右に動かし、それから手を伸ばす。
そして、少年が落としたバスケットから転がり出たリンゴを拾おうとしてギョッとした。
「な、なんだこりゃ…」
伸ばした手は枯れ木のようだった。いや、決してそれは比喩じゃない。枯れ木のようだったではなく、枯れ木そのもののように思えた。
くすんだ茶褐色をしていて、骨と皮しかない。しかもその表面の皮も乾ききって、うっすら骨の形がそのままに見えてしまっている。
「俺は樹木にでもなって…いや、待て。落ち着け。俺は誰だ? 森脇道貞…違う。そうだ。カダベル・ソリテール…だ」
元の俺はタプンタプンの肉をしていたが、カダベルは確かに細い腕をしていた。どちらかと言えば後者だろう。だが、それでもここまではやせ細っていなかった。
自分の状態を見ようと視線を落とすと、何やら妙なものを着せられていることに気づく。
高価そうなローブに、首元や手首にまで装飾品らしきアクセサリーが飾られ、どうやら頭にも何か被せられているようだった。
「なんなんだ。こりゃ…」
自分が座っているところは、まるで祭壇のようだった。
平たい丸石の上に花や果物、小銭や陶磁器のようなものが所狭しと置かれており、ちょうど俺だけを覆うように櫓のような物が組まれている。
「おいおい。まさか…祀ってたんじゃねぇだろうな。俺を…」
嫌な予感がする。
もしかして、さっきの兄妹が言っていた守り神…まさか、それは俺だったりするのか?
「俺は死んで祀られ…いや、待て。そうだ。俺は死んだだろ? ゴライに看取られて…?」
徐々に記憶が戻ってくる。それと同時に何がどうなってこうなったのかすぐにでも知りたい気持ちに駆られた。
「俺はどうなった? …鏡! 鏡はどこだ!!」
俺は手を伸ばしてそのまま転けそうになる。全身が固くこわばってて上手く立てないのだ。
「だ、誰か…」
人の気配を感じて俺は顔を上げる。
そこには少女がいた。さっきの小さな女の子ではない。
年齢は10代半ばか後半ぐらいだろう。
軽く癖のあるショートヘアーの金髪、澄み透った湖を思わせる碧眼。美しいとも可愛いともとれるなんとも魅力的な容姿をしていた。
目立つ容姿に反して、どこにでもあるようなパイル生地のワンピースといった地味な格好であったが、そのおかげで彼女が村娘なのだろうと知れる。
そして彼女が成長期の盛りであろうことは、控えめな衣装では隠しきれず、いわゆるこれが“私、脱いだら凄いんです”ってやつなのだろうかと俺は馬鹿なことを一瞬考えてしまった。
しかし、すぐに今の俺の素顔はさっきの小さな女の子が大号泣するほど恐ろしいものなのだということを思い起こし、俺は自分の顔を片手で隠すように覆った。
なんか触れた顔面も硬い…。
やべえ。今どうなってんだ、俺の顔は。
ああ、きっとこの娘も大号泣して走り去るに違いない。もしくは嫌悪に歪めた顔で罵られるか、誰か助けを呼ぶに違いないと…
「…動いていらっしゃる」
しかし、その少女の反応は俺が予想していたものと違った。
眼に涙を浮かべてはいる。
しかし、頬は上気し、ふっくらとした口元を震わせていた。何というか感極まったという雰囲気なのだ。
「ゴライが言ったことは本当だった…本当だったのね」
「ゴライ? ゴライを知っているのか? …君は…いったい?」
少女は何度も頷き、俺の視線と合わせるかのように屈みこむ。
いや、お嬢さん。今の俺、結構ヤバいすよ。ほら、寝起きですし…近くで見るのは……
「私、あなたの妻となる者です!」