073 他命与奉仕
火は物凄い勢いで屋敷を呑み込んでいく。
ロリーたちに煙を吸わせないため、俺たち死者が後ろから支え姿勢をできるだけ低くして脱出する。
「ロリー!!」
出てきた俺たちを見て、びしょ濡れのジョシュアが安堵の声を上げた。水をかぶって今にも飛び込もうとしていた矢先のようだ。
「屋敷が…」
煙を見て戻って来たのであろうゾドルとミライは、かつて自分たちが暮らしていた家を呆然と見やっていた。
「危ない! アンタ、離れるんだよ!」
「なにを言っている! カダベル様のお屋敷だぞ! 早く【流水】で火を消し…」
そう言って桶に手を向けたゾドルは怪訝な顔を浮かべる。
「魔法が…」
「村長。俺たちもさっきから【流水】を使ってるんだけど…魔法が使えないみたいなんだ」
「そんな馬鹿なことが…」
「いずれにせよ、【流水】で消し止められる段階じゃない。避難するぞ」
「か、カダベル様…」
俺が言うとゾドルはもう一度屋敷を見た後、なんとも言えない顔をしてミライとその場を離れる。
「崩れるぞ!」
誰かがそう叫び、二階の屋根部分が底抜けて落ちる。
あそこにはイルミナードから持ってきた貴重な魔法書やその写本、それ以外にもまだ全部には眼を通していないゴゴル村の歴代の村長が残した日報などもあった。
魔法書コレクターの元カダベルなら、この状況にあっても魔法書のために火の中に飛び込んだだろう。
しかし、今の俺には“惜しい”という気持ちはあっても、そこまでの執着心はなかった。
むしろ、奇妙なほど心は落ち着いている。憑き物が落ちたというか、“死後も終わらない蒐集の日々からようやく解放された”という様な安堵感だ。
道貞として元の世界を捨てた時、そしてこの世界でカダベルとして死を迎えた時、どちらも心のどこかでこうなることを覚悟していたんだろう。
執着心というものは、生きているからこそ持つものだ。この世に未練を残して…というのがないとまでは言わんが、道貞にもカダベルにもそれは当てはまらなかったんだろう。
「ああ。燃える…全部…燃えちゃう…。カダベル様のお屋敷が…」
ロリーが肩を震わせているのを見て、俺は自分の間違いにようやく気付いた。
「“思い出”か…」
俺が甦って、ロリーとちゃんと話したのはこの家でだったな。
それだけじゃない。ゴライがいて、メガボンがいて、ジュエルがいて…この屋敷には沢山の来客があった。
そうた。死者の家だというのに静かだった試しがない。
形あるものはいつかは消えてなくなる。それはただ物が消えてなくなるというだけではなく、そこにあった追憶…思いや感情までも失われるということも意味する。
そして、もう二度とそこで思い出を新たに育むこともできなくなる。
ロリーやゾドル。ゴライがいま感じているものはそういった感情なのだろう。
だが、俺やゴライは“過去”でいい。
それでも、“過去”を置いて、生者は前に…未来に向かって進まねばならない。
「カダベル様ー!」
ビギッタたちが坂を駆け上って来る。
「大変です! め、メガボンさんがぁ!」
「ん? メガボン? そういや、あの野郎。この危機になにをやって…」
「ご主人サマ!!」
「ゴライ?」
切羽つまった声に俺は驚く。
「ジュエルが!」
ゴライの方を見やると、ジュエルは黒紫色の顔をしてぐったりしていた。
「な! チアノーゼだ! 降ろせ! すぐに! ロリー!!」
頭を打たないようにジュエルをゆっくりと降ろす。彼女は喘ぐような呼吸をしている。
すぐに駆け寄ったロリーが、首筋に手を当て脈を確認した。
「ど、どうだロリー?」
「心臓が止まっています!」
「え…? でも、これって呼吸してるんじゃ…」
ロリーは腕をまくり、すぐに心臓マッサージを始める。魔法を使わない緊急処置は前の世界とさほど変わりはない。
俺にできることは…
「心停止なら、とても【手当】なんかじゃ意味ないぞ…。そうだ! 巫女! セイラーなら…」
「私に使えるのは【中治癒】までです…」
「それでも使わないよりは…」
「いいえ、それだったら、“あの人”なら…」
「あの人?」
セイラーがいつの間にか戻ってきていたサトゥーザに目配せすると、彼女は「不満だが仕方ない」という顔を一瞬だけして、頷いて走って行った。
「ど、どうだ? ロリー…」
汗だくになっても止めることなく、ジュエルの胸部を間断なく押しながら、ロリーは首を横に振る。
こんな時に、俺はなにもできないのか…
「連れてきました!」
サトゥーザが声を上げる。その隣には真っ白な神官服を着た50代くらいの男が立っていた。
「どもども〜! 北方は寒いだけでなく、色々と騒ぎも起きるようですなぁ!」
男はモノクルを拭きながら、呑気に手をヒラヒラとさせて見せる。
「なにやら煙が見えたとかでサトゥーザ団長は先に行ってしまわれたんで、当方は入口で放置され途方に暮れておった次第でして! それはともかく、さてはて、なにやらお困りとのことで…」
こんな時にヘラヘラと笑っていることに不快感を覚えたのは俺だけじゃなかったようで、サトゥーザも眉間にシワを寄せていた。
「祭司…いや神官か?」
「ええ。最高位神官…八翼神官がひとり…フェルトマン・アストラリウム卿です」
セイラーがそう紹介すると、フェルトマンという男は俺の方を見てニターと笑う。
「八翼神官?」
「カダベル・ソリテール公爵! こうしてお会いできることは大変な名誉ですな! 貴公のお噂は兼ね兼ねお伺いしております!」
「は?」
「当方は今しがたご紹介に預かりました八翼神官、『自愛』の字…フェルトマン・アストラリウムと申します! なにやら困惑されているようですが、確か『自誠』のアンワートとは一戦交えたと聞いていたのですがね!」
手を差し出すのではなく、俺の手を掴んで引っ張り、無理やり握手してくる。
「な、なんだこの男は! いまそれどころじゃ…」
「おや! あそこに見えるは、地没刑の魔女ジュエル・ルディではありませんか!」
握手していた手をパッと離し、絵画でも見に行くような軽い足取りでジュエルの方に近づいていく。
「お気になさらず! そのまま心肺蘇生を続けて下さって結構ですとも!」
ロリーが揉み上げから汗を垂れ流すほど必死で蘇生を試みている横で、フェルトマンは「ほー」「へー」だのと言っている。
あまりに酷い態度に俺が口を開こうとした瞬間、サトゥーザが肩を掴んで止めた。
「なんだ?」
「ふざけた男だが、魔女ジュエルを助けられるとしたら他にはいない」
セイラーとジョシュアも「そうだ」と頷く。
「……ほほう! 多臓器不全ですか! まるで臓物を内側から拗られでもしたかのようですなぁ!」
「そんなことがわかるのか? 魔法?」
「いや、魔法じゃありませんとも。しかし、治すには民間療法ではどうにもなりませんな。そこは信心深さにより、源神オーヴァスの聖心より賜った治癒の魔法が必要かと…」
「もったいぶるな! お前なら治せるのか!?」
俺はフェルトマンの肩を揺さぶる。
「八翼神官はランク5の魔法を1つは習得しています」
「ランク5ということは、【回復治癒】より上の【再構築治癒】が使えるのか?」
「ほう! さすがは魔法研究家! 聖教会でも秘匿されているはずの高ランク魔法もご存知とは…」
俺がそう言うと、フェルトマンはモノクルの位置を調整しながら口をすぼめてみせた。
「そんな話は後にしてくれ。【再構築治癒】なら手足の欠損だけじゃなく、脳以外の臓器の再生も可能なはずだろう?」
「いかにも…。しかし、当方が扱えるのはあいにく【再構築治癒】ではありません」
「なに?」
「ですが、彼女を助けることはできる。それが“聖教会に敵対する魔女”であったとしてもね…」
「フェルトマン卿」
セイラーが嗜める様に言うが、フェルトマンは人差し指を立て、俺の仮面をジロリと見やる。
「望みは、俺がクルシァンに向かうことか?」
「さすがは公。セイラー様とサトゥーザ団長は苦慮されておられるようでしたからね。卑怯とは…」
「卑怯です!」
ロリーが心肺蘇生を続けながらそう叫ぶ。疲労から息も絶え絶えなのに、それでもフェルトマンを睨みつけていた。
「……フフン。まあ、議論している時間はありませんね。心停止から3分経過。時間が経つと魔法といえども蘇生にリスクが生じますな」
「カダベル!」
なぜかいつの間にか側に来ていたロッジモンドが俺の肩を叩いた。
「そちらの言いように従おう。…だから、まずは彼女を治してくれ」
「結構ですとも」
セイラーは相変わらずの無表情だったが、サトゥーザとジョシュアは「これは本意ではない」という顔を浮かべた。
「ロリー…」
俺がロリーの背に触れると、彼女の腕は突っ張って硬直してしまい、その場に汗だくのまま倒れてしまった。
心肺蘇生を誰かが代わってやろうとしたのだが、ジュエルを助けようとする鬼気迫るロリーに誰も「代わる」とは言えなかったのだ。
すぐにはよくはならないが、【手当・倍】を掛ける。
「…さて、治しますが、おひとり健康な方にご協力を仰ぎたい」
「なに? 協力?」
「これから使う魔法は【他命与奉仕】ですからな」
「なんだと! この野郎!!」
その魔法を知っているのは、俺とセイラーだけらしく、皆はわけがわからないといった面持ちだった。
【他命与奉仕】は、第三者の生命力を対象者へと分け与える魔法だ。
【再生構築治癒】と違う点は、消費魔力が極端に少ないのと、使用者の任意で分け与える生命力を調節できる点だ。命を奪うくらいの極端な分け与えをすれば、ランク6の【万全再生回復】という瀕死の状態から復活させる魔法に匹敵する…と、思う。
思うって言うのは、カダベルは使えないから実験したことがないからだ。
フェルトマンがやけに余裕ぶってるのはこういうわけか。
「では、誰が“奉仕”されますかね? その前に、まず死者であられるカダベル閣下とそちらの大きな方は…除外ですな」
俺はともかく、ゴライが死者と見抜いた…ってか、こんな明らかに毒々しい肌色してれば当然か。肩がひしゃげてるのに痛がっている素振りもないし。
「カダベル殿…」
ルフェルニが不安そうに俺を見やる。
「……他者の生命力を元手にする魔法だ」
「なら、健康な誰かが必要ってことですか?」
「そうだ。しかも対象者1人に対して、候補者も1人という制約がある…」
真っ先にロリーが手を上げようとしたのを俺は首を横に振って止める。無理しているのが一目でわかる。指先が真っ直ぐ伸ばせずに真っ白だ。
「それだけじゃない。相手の瀕死度合いによって使う生命力の量も比例する。それも無尽蔵に…」
「それって…」
ルフェルニだけはそれだけで、この魔法の“残酷さ”を理解出来たようだ。
「場合によっては、生命力の提供者も“死”にます。命を尽くして他者に“奉仕”する…素晴らしい聖心に則った奇跡の理法です」
「フェルトマン卿」
心なしかセイラーが怒気をはらんで睨むのに、フェルトマンは肩をすくめた。
「さて、お急ぎを。さすがに死んでしまった相手には効果がないどころか、もうひとり死人を作ることにもなりかねませんからな」
この魔法に失敗はないはずだが、双方の“生命力が枯渇”することはあり得る。
悔しいが、元から生命力がない俺やゴライ、メガボンは対象から外れる。
そして、当然、ジュエルを助ける義理のないセイラー、サトゥーザ、ジョシュアも、だ。
彼らはやりきれない顔をしてはいたが、仮に立候補してもフェルトマンが拒否するだろう。
となると…
だが、死ぬかも知れないとわかっていてお願いはできない。それに命が掛かると言われて躊躇わない人間なんていない。
「私が…!」「いや、ワシが!」「待ちな! アタシだよ!」
ロリーとゾドル、ミライが手を上げ、ややあってジュエルに思うところがあるルフェルニが手を上げた。
そして、青年団も腹を決めたかのように次々と立候補する。
「お前たち…」
俺は思わず泣きそうになる。
赤鬼どもをけしかけ、この国を操ってた魔女だ。それをこの村の皆が助けようとしている。
「ジュエル…。お前は…」
「こんなにも! いやはや! 愛されてますね、魔女ジュエル・ルディ!」
茶化すように笑うフェルトマンを、俺は無い眼で睨む。
「しかし、候補者はひとりだけ。選んで下さい。カダベル公爵」
「俺が…選ぶ?」
「他に誰が? 生死を超越された屍従王こそ、この場にあって中立かつ公正な適任者だと当方は思いますですよ。はい」
「カダベル様! 私を選んで下さい!」
「ロリー!」「ロリーシェ!」「アンタ、またそうやって!」
「ジョシュも、村長たちも黙っていて!」
ロリーは俺の手を取り、自身の胸に強く押し当てる。
「私は生命力が有り余ってます! 若いですし! 絶対に、カダベル様を置いて死んだりしません! だから、私が一番です!」
「ロリー。そんなことは…」
ロリーは俺が悩むことを理解して、自分を推薦するように主張しているのだろう。
「私は全然、カダベル様のお役に立ててません! せめて、せめてこんな時くらいは…」
ロリーはポロポロと涙を溢す。
「ああッ!!」
背後で苛立った様な大声が上がった。驚いて振り返ると、ロッジモンドが自身の癖毛をグチャグチャに掻き回しているのが見えた。
「黙っていて聞いていれば! 相手は子供だ! 子供なんだぞ!! カダベル! どいてくれ!」
「私は子供なんかじゃ…!」
「うるさい! 俺やカダベルからすれば子供だ!!」
ロッジモンドはロリーを突き飛ばし、俺に顔をグイッと近づける。
「俺がやる!」
「は? ロッジモンドが…」
「そちらは?」
「俺はこのイルミナード領、都市長ハーベスト・ロッジモンドだ!」
なんでだ? 一番関係なさそうなコイツが…
「都市長?」
「そうだ! このゴゴル村もイルミナード領だ! そして、これは我が領内で起きた事件! つまり都市長の俺の責任とも言える!」
? ロッジモンドの膝が震えている…なんで、コイツ、いきなりこんなことを…?
「領主の責任…まあ、筋は通っていなくもない」
フェルトマンはなぜか俺を見て尋ねる。
「領民や、他領地の領主に責任は負わせられん! 俺を使って貰いたい!」
「話を聞いてましたかね? 命を失うかも知れないんですよ」
ロッジモンドは一瞬だけ気が削がれたような顔をしたが、ジュエルの方を見て意を決したかのように頷く。
「……ふむ。当方には異論ありませんが」
「ロッジモンド。なんでだ? お前は魔女ジュエルに恐怖してたんだろう?」
「そうだ。怖かったさ…」
俺が尋ねると、ロッジモンドはジュエルを見ながら口髭を撫でた。
「なら、どうして?」
「……軽かったんだ」
「なに?」
「抱きかかえた時…俺の孫よりも、な」
ロッジモンドは自分の手を見つめてため息をつく。
「カダベル。俺は小心者な日和見主義のつまらん領主だ。それは認める。…だがな、孫たちによい未来を残したいというのだけは本心なんだ」
「…そうか」
どうにも俺はロッジモンドという男のことを誤解していたみたいだ。
「……どうしますかね?」
「ロッジモンド。本当にいいのか?」
俺が尋ねると、ロッジモンドは強く頷く。
「頼む。フェルトマン」
「承知。…いやぁ、少し残念。当方としてはカダベル公爵がどのような采配をされるか気になったんですがね」
本当に悪趣味なヤツだな。
「しかし、正しいかも知れませんね」
「正しい?」
「【他命与奉仕】は、対象者に対しての奉仕する側の想いが大事になりますから。成否に影響するのです。それが僅かなわだかまりであったとしてもね。本心から自主的に、そう自己犠牲を払う覚悟に勝るものはない」
フェルトマンは、ロリーとルフェルニを見やって笑う。
「そんなことが…」
「使用者がそう言うのだから信じて下さいよ」
確かに俺は【他命与奉仕】の魔法書を実際に読んだことはない。
元カダベルの高ランク魔法知識は、他の文献や伝聞などを元に推察や考察をしているものが殆どだ。魔法書に勝るものではない。ましてやそれを習得している人間に言われては返す言葉もないな。
「では、時間が惜しい。さっそく始めましょうか」




