065 川辺での語らい
「うーん。なんで川に鮭じゃなくて、トビウオがいるのか…。でも、切り身は赤いしな。これが鮭やサーモンと言われても頭が拒否するぜ」
川下から遡って来るトンボみたいな羽根の生えた魚を見やり、カダベルは首を横に振りながら「どっこらしょ」と手近にあった倒木に腰を掛ける。
「さてはて、どうなりますかねぇ〜」
袋から魔畜石を何個か取り出す。それらは固い紐でグルグル巻きにされて連結していた。それらを繋ぐ紐を持ち上げると、真ん中に魔畜石がブドウのようにくっついて連なり、その周囲を別の紐で繋がれた単独の魔畜石がグルグルとゆっくり回転する。
「俺の考えが正しければ機能するはずだが…」
カダベルは手を上げて川の方に向ける。
「この辺かな? 【照準】…と」
川幅が細くなっているところを目掛けて魔法を使う。
「【掘削】✕3」
自分の周囲に窪みが出来、その部分の残土が【照準】に指定した部分に瞬時に移動する。
その結果、川の流れが一部堰き止められ、遡っていた数匹の魚は盛り土に阻まれて右往左往した。水面を飛んで逃げようにも土手に阻まれる。
「悪いね。人間で実験するわけにもいかんくてね」
カダベルはそう呟き、先程の繋がれた魔畜石を困惑している魚たちのいるところへゆっくりと沈める。
「【通電】」
沈みきったところで魔法を使う。
「……失敗か? いや。お?」
流れが止まり、魚たちも動きを止めて水面に浮かび上がった。
「よし。成功した。問題は…」
カダベルは水面に足を入れ、思ったよりも深かかったので危うく転けそうになりつつも、浮かんでる魚を持ち上げてしげしげと見やる。
「よーしよし! もうひとつ確かめねばな。【発打・倍】」
カダベルは堰の端を破壊する。堰から逃れて行こうとした魚の1匹が、急に変わった流れに巻き込まれてカダベルの近くにやって来た。
「影響は一瞬か。大丈夫だな。さあ、お前は行け」
新しくやって来た魚が元気なのを見て、カダベルは頷き、【掘削】を使い堰の一部を開くと、逃げ道を見出した魚はそこから逃れて行く。
「おっと、全部流れて行っちまうな。いかんいかん」
浮かんでいる魚たちが下に流されそうになるのに、カダベルは慌ててそれらを拾い集めて丸籠の中に放り込む。途中で目覚めて、泳ぎ出した者は逃がしてやった。
「作るのに苦労した割には、影響範囲はそうでもないか。離れてると効果が薄いのは当然だが…。うーん、理工をちゃんと勉強しとけばよかったぜ」
川から上がろうとする際、視線に気付いてカダベルは顔を上げる。
「カダベル公。なにをされてるんでしょうか?」
「セイラー女史。と、今日の護衛はサトゥーザか」
少し離れた所で腕を組んでいるサトゥーザはフンと鼻を鳴らす。
「ご馳走が大漁だ」
「ご馳走?」
「繁殖期だから沢山いるんだけどね。コイツら警戒心が強いから滅多に釣れんし、網とかからもするする逃げるんでなかなか捕まらないんでさ、村でもあんま食べる機会がないのよ」
カダベルは籠に入った魚をセイラーに見せて言う。
「魚…ですか? 公自ら漁獲に?」
腰近いところまで川に浸かっているカダベルを見て、セイラーは眼を瞬く。
「漁獲ってほどじゃないが…。まあね。他にもウニみたいな形した、ワカメって名前の魚なんだか海藻なんだかよくわからん、味はカニカマボコのようなやつもあるよ。海面にへばりついてる。ついでだし、採ろうか?」
「い、いえ…」
「ま、あんま美味しくないからな。マヨネーズがあれば…ああ、鮭のマヨネーズ焼きとか最高だよな。卵と油はいけたんだがな。肝心の酢がイマイチでさー。妙に甘ったるいでやんの。後を引く酸味がなきゃマヨネーズとは言わねぇよな」
「“まよねーず”…?」
「また意味のわからん事を…」
「食えばわかるんだって。まあ、まだ試作品すらイマイチだから食べさせてあげられんがね。
これだけありゃ、ロリーやゾドルんところくらいはお裾分けできるな」
カダベルは上機嫌にそう言いつつ片付けをし出す。
「手伝いを…」
「いらんよ。籠に入れるだけだし」
「……公は不思議な方です」
「んー? そう? 変人とはよく言われるがね」
セイラーは少しサトゥーザの方を気にしかけたが、思い切ったように続ける。
「屍従王はもっと恐ろしく、狡猾で残忍だと…そう聞いておりました」
「狡猾で残忍ねぇ〜。誰がそう言ったことやら」
「フン」
カダベルがわざとらしく顔を向けると、サトゥーザは再び鼻を鳴らす。
「実際に会った感じとは違ったかい?」
「ええ。私は……その、少しお話をしても?」
「構わんよ」
セイラーが遠慮がちに、俺とサトゥーザを交互に見やる。
サトゥーザはしばらくカダベルを見た後、俯いて首を横に振った。
「……周囲を見て回ってきます。なにかあったらお呼び下さい。すぐに駆け付けます」
サトゥーザは剣を軽く鍔鳴りさせ、暗に『手を出したらただではすまない』という事をカダベルに示す。対するカダベルは手をヒラヒラと振った。
「……ふぅー」
サトゥーザが林の奥に消えたのを見て、セイラーは小さく息を吐いた。
「立場があるとは言え、巫女というのも気苦労が絶えないね。さあ、そこにお座りよ。これを使えば汚れ…」
倒木の上にハンカチを取り出して敷こうとする前に、セイラーは先に座ってしまう。カダベルは「ふむ」と頷いて出した物を懐へとしまった。
「……実はサトゥーザは叔母なのです」
「ああ。それはこの前に聞いたよ」
「昔、叔母は強く、頼りがいがあって、優しく、私が最も尊敬する……」
「いまは違うの?」
「あ、いえ、今でもそうなんですが…。その、距離感が……なんというか、離れてしまって」
「ああ。敬語で喋ってるしね。肉親って感じが今はしないってこと?」
セイラーは小さく頷く。
「やけにソワソワしてるね。サトゥーザは今は近くにはいないよ?」
周囲を警戒するセイラーを見やり、カダベルは不思議そうに首を傾げる。
「あ、いえ…。その、源神が聞いておいでだとしたら…」
「ああ。なるほど。信心深いことだ…。まあ、巫女なんだから当然だが」
セイラーは唇を固く閉じる。カダベルはそれを見て一瞬だけ彼女が怒ったのではないかと思った。
(……いや、この子はローティーンだったか。素直なんだとしたら怒ったとは違うな)
カダベルは少し考えた後、思いっきり杖で水面を叩く。バシャンと水が跳ね、それを顔にかぶったセイラーの眼が大きくなる。
「源神とやら! 聞いているのだとしたら今は耳を塞げ! ここは屍従王の統括地だぞ!」
カダベルは空を指差してそう叫ぶ。もしかしたらサトゥーザがそれを聞きつけて戻ってくるのではないかと思ったがどうやらそれは杞憂だった。
「なにを…?」
「なんか神様の声は聞こえたかい?」
「いえ…」
「なら黙認されたってことさ。好きに話したって大丈夫。ここで話したことはもちろんオフレコだよ」
カダベルが親指を立てるのに、一瞬だけ呆気にとられた顔をしたセイラーだったが、口元を抑えて荒く息を吐き出す。
(え? 過呼吸? …いや、もしかして笑ってるのか? これ? 眼がガンギマってるようにしか見えないんですけど…)
そんな風に笑っていたセイラーだったが、すぐに手を下ろして眼を伏せる。
「……私は巫女などにはなりたくなかった」
それはちゃんと聞き取れないくらいに小さな声だったが、カダベルの耳には届く。
「大事な御役目なのはわかっています…。でも、私が源神の声を聞き、何かを喋る度にサトゥーザおばさんは辛そうな顔をする。そんな時、私はどうすればいいのか…」
セイラーは長い足を上げて、その自身の両膝を抱きしめる。
「私は…サトゥーザおばさんに嫌われているんです」
「そんなことはないでしょうに」
「それがあるんです…。おばさんが婚期を逃したのも私のせいですし…」
「婚期を逃した…?」
「よい縁談があったんです…。それが、私が巫女に選ばれた時と重なったんで、認定式の護衛に集中するために断ってしまったんです…」
カダベルは少し考える素振りを見せてから「ふぅむ」とひとつ頷く。
「サトゥーザおばさんは本当は子供好きなんです!」
「そうなの? なら、セイラー女史のこともそう思ってるんじゃないのかい?」
「私は大きすぎますから…」
身を縮こまらせるセイラーに、カダベルは「いや、物理的な大きさはあんま関係はないんじゃないかな」と呟く。
「そうです! ジョシュア団員!」
「ジョシュア?」
「彼への接し方をよーく見ればおわかりになりますが、まるで赤ちゃんに接するみたいにニコニコ笑っているのを何度も何度も見ました!」
「そういや、言われてみれば、よく視線でジョシュアを追ってるなぁ…」
部下の動きを監視してるのだろうとカダベルは深く考えていなかったのだが、確かに子供を見るお母さんのようだと見えなくもないとカダベルは頷く。
「だが、ジョシュアは子供ってほど小さくは…。いや、ベビーフェイスではあると思うけど…」
「きっと赤ちゃんの代替なんです! 彼の絵を見て、涎を垂らすくらいに顔を寄せて『オムツ替えてあげたい』って言っているのも聞きましたし!」
「……え? それって、赤ちゃんプレ…いや、待って」
カダベルは怪訝そうにする。
「きっと、欲求不満なんです! 本当は早く旦那さんを貰って、自分の赤ちゃんを…」
「ちょっと待ってったら!」
さらに続けようとしたセイラーを、カダベルは慌てて止める。
「それってサトゥーザ本人に聞いたのかい?」
「……いいえ」
「君、なんかロリーに似ているところがあるなぁ」
「ロリーシェ・クシエ正修道士に?」
「自分の思い込みで、相手の気持ちを読み取ろうとする点だよ」
言われたことの意味を考え、セイラーは恥ずかしそうに口元を覆う。
「そうやってわかりやすく感情を表に出すといい。無表情な鉄仮面の下、悪いことばかりを溜め込んでいてもよくはならんよ。相手にも理解してもらえんしね」
「仮面をつけられている公がそれを…?」
カダベルは皮肉なのかと思ったが、セイラーの生真面目な顔を見て、それは純粋な疑問なのだと気づく。
「下はミイラだしな。でも、角度で笑ったり怒ったりして見せる表現する訓練はしているよー」
カダベルはおどけて仮面を上げ下げすると、セイラーは「外さないで!」と悲鳴を上げた。
「俺なんかはまだ喋れるからね。メガボンなんかはまんまガイコツだからな。表情以前の問題さ」
「メガボン様…」
「アイツが俺以上にオーバーリアクションするのは、自分の感情をそれで表現しているからだよ。
ロリーみたいになんでもかんでも思ったまま話してくれればいいが、君はどうにもそういうタイプじゃなさそうだ」
セイラーは自分の頬を両手で挟み込む。
「なにも閉じている様に見えるのは君の心だけじゃない。サトゥーザも同じかも知れん。それを開いてやるにゃ、まずは自分から胸襟を開くのが一番さ」
「……なるほど。勉強になります」
「勉強ってほどかね?」
「ええ。私にとってはそうです」
セイラーは「先生」と言って、カダベルは大仰に肩を竦めて見せた。
「もっと色々とお話しても?」
「もちろんだとも。日はまだ高いからね」
こうしてカダベルとセイラーは結局、日が傾き始めるまで川辺で話を続けたのであった……。




