063 ジョシュアとゴライ(2)
村の裏から抜け、山間の道なき道を進んで行く。目印も何もないことから、村人でなければ気づかない道なのだろうとジョシュアは思った。
「もう少しだよ」
「こんなところに人がいるのか?」
「うん。客人が来たときには必ず…」
「客人?」
「あ! いや、なんでもない!」
「なんだ?」
まるでナッシュは何かを隠そうとしているように見えたので、ジョシュアは訝しむ。
「…あー、その、あんまり人に教えちゃマズイのかも。なんていうか、他の人には黙っててもらえるかい?」
「……構わないが」
ジョシュアは、カダベルがなにか人に見られてはマズイものを隠してるのではと思う。だからこそ、ここでナッシュに警戒されるまいとそう答えた。
「よかった。…さ、もう少しだよ」
ナッシュは安堵したように、何度目かの“もう少し”を繰り返した。
山道を抜けると、木がほとんど生えていない岩山地帯に出た。灰色の大振りな堆積岩があちらこちらに転がっている。
「ここは…石切場か」
途中まで加工して放置されている石臼や竈、流し台を見て、ジョシュアはそう気づく。
「あ。いたいた。よかった。おーい!」
巨石の間に、粗末な小屋があった。岩の切れ目に棒を差し込み、無理やり天幕を張ったような、いつ壊れてもおかしくないやっつけ仕事の代物だ。
その前にふたりの人物が座っていた。ひとりはこちらに背を向けて、胡座をかいて座る巨人。
その隣で頬杖をついていた少女が、ピクンと顔を上げたせいで被ったトンガリ帽子の先が揺れた。
「なによ。誰かと思えばナッシュじゃん」
少女はつまらなそうに言う。
「そんなガッカリしなくてもいいじゃん。ジュエルちゃん。あ、紹介…」
「魔女ジュエル!」
ジョシュアがいきなり声を張り上げたのに、ナッシュは「え? 知り合い?」と驚く。
「げ。聖騎士! なんでここに!」
「こっちの台詞だ!」
ジュエルは心底不愉快そうな顔をして舌を出す。
「ナッシュ! アンタ、コイツが誰だか知っててここに連れてきたのかよ?」
「え? だって、彼はロリーシェの弟で…」
「はあ? 弟? ロリーシェの弟だからなんだってのよ!」
ジュエルが喚いていると、背を向けていた巨人が顔だけで振り返る。
その横顔を見た瞬間、ジョシュアの背筋に冷たいものが流れた。
幼い頃、恐怖の中で見た男の顔だ。
クルシァンに行ってしばらくしてからも、繰り返し夢の中に出てきてはジョシュアを何度も何度も苦しめた顔だった。
父が死んでからはそれはより酷いものとなり、この顔を思い出しては夜中に幾度も目を覚ました。
それは彼が物心がつくようになって、父を失った悲しみをカダベルに対する憎しみへと変えるまで続いたのだった。
「ゴライ・アダムルッ!」
ジョシュアの中で、カダベルこそが黒幕だと、忘れてこそいないが薄れつつあった記憶が、ゴライの顔を見たことで一気に心中に燃え広がる。
「な、なによ。いきなり大声出さないでよ。知り合いなの? ゴライ?」
振り返った巨人…ゴライは白濁した瞳でジョシュアを捉えた後、ジュエルの問いかけに戸惑った様に首を横に振る。
「俺を知らない…? とぼけるな!」
「し、知らないッセ…」
「ちょ、ちょっと、ジョシュアくん…」
ナッシュが間に入って止めようとするが、ジョシュアは剣を縛っていた紐をほどいて抜き身の刃を放った。
「そうだ! 思い出したぞ! そもそもロリーがカダベルを追ったのは、お前をゴゴル村で見かけたという話があったからだ!! お前とカダベルはやはりグルで…」
あの王都インペリアーでの戦いで、遠目に巨人の死体が居たのをジョシュアは見ていた。しかし、それがゴライであったことまでは彼は知る由もなかったのである。
「いきなり剣抜いてなんなのよ! ゴライがアンタにいったいなにしたってのさ!」
ジュエルがゴライを庇うように前に出る。
「どけ! 魔女ジュエル! そいつは俺やロリーの敵だ!!」
「はあ!? なに言ってんのよ、アンタ!」
「そいつが…ゴライのせいで、俺やロリーは父さんの店から…故郷を離れなきゃならなくなったんだ!!」
ズキリと胸が痛む。
なにか自分はまた間違えているんじゃないか?
そうは心の片隅で思いはしたが、カダベルに向けることができなかった怒りを、ここでまた別の方向に逸らすなんて器用な真似はジョシュアにはできなかった。
「俺から…そうだ! お前やカダベルは、父さんを…父さんやロリーを俺から奪った!!」
自分が放った言葉にジョシュアはなぜか傷つく。
剣の向ける先が震える。
迷う。自分は間違いを犯している気がする。けれど、爆発するこの感情をどうしていいのかわからなかったのだ。
「ご、ゴライはなにもしてないッセ!!」
「ふざけるな!! なにもしていない…そんなわけがあってたまるか!!」
そのゴライが何か違うとジョシュアは気づいていた。けれども気づいていて知らないフリをした。
見た目は少し違っていても、その顔は間違いなくジョシュアの幼い記憶に残るゴライ・アダムルそのものだったからである。
ゴライは剣を向けられて怒鳴られたせいで、その大きな身を縮こまらせる。
「…ほ、本当に知らないッセ。ゴライは…ゴライは…」
「まだ言うかッ!!」
ジョシュアが剣を振るう。
当てるつもりはなかった。ただ脅すだけのつもりだった。そうすれば本音を漏らす…そう思ったのである。
しかし、ゴライはそれを見て身を退いた。それは反射的なものではなく、“反撃する意志がなかった”からこそ、攻撃が当たろうと当たるまいと関係なく、彼自身の判断で退いたのである。
その際にゴライが手にしていた物が滑り落ちた。それが石机の角に当たって、バキンと3つに割れて散らばってしまう。
ジュエルがそれを見て「あ!」と声を上げた。
「…お、おおぉぅ」
ゴライが空になった自身の手を見やり、それから割れた破片を見て悲しそうな声を上げてションボリと肩を落す。
「お皿が!」
「皿?」
ジョシュアは怪訝そうに破片を見やる。それは歪な形をしてはいたが石皿だった。今までゴライは座ってこれを金ヤスリで削っていたのである。
「ヒドイ! なにすんのよ!! ゴライがイッショーケンメーに作ってたのに!!!」
激怒するジュエルに、ジョシュアは一瞬だけたじろいだが、すぐに気を取り直して足を踏み鳴らす。
「そんなもの知るかッ!」
「アンタがなにを恨みに思っているかは知らないけどさ! いまのゴライはなーんも知らないの!」
「そんなわけが…」
「あるの! ゴライは死んで、カダベルが生き返らさせたんだもん! それより前の記憶はないのよ!!」
ジョシュアは幼い頃に、老人カダベルがゴライを蘇らさせたことを思い起こす。
疑念が湧く。やはりカダベルがすべてを牛耳っている黒幕なんではないかという疑念だ。
もし自分やロリーシェを善意で助けたとしたら、なぜゴライをこのように生かしておくのか(ゴライは死んだ状態で活動しているわけだが)。
そしてナッシュの口ぶりからして、ゴライは自分たちに隠すようにカダベルが指示を出していた。隠すということは、やましい気持ちがあるからなのではないかとジョシュアは思う。
「! ロリーは…ロリーも、ゴライがここにいることを知って……」
「知ってるわよ! 同じ村に住んでるんだから当然じゃない!」
ジョシュアはまるで金槌で頭を叩かれたようにふらつく。
「信じ…られない。ロリー。ゴライにされたこと忘れちゃったのか。そんな、俺たち家族を…バラバラに……した……こいつを……まさか、許した……そんな……こと…」
「ジョシュアくん?」
ナッシュが声をかけるが、まるでそれが聞こえてないかのように、ジョシュアは剣をゴライに向けたまま、首を横に振りつつ後退る。
「俺は…俺だけは…絶対に…絶対にお前を許さないッ」
憎悪に染まった眼でジョシュアはそう言い捨てて、その場を後にしたのだった。




