055 ギアナードの爵位
俺はロッジモンドが屋敷から出る音を確認し、念の為、さらに10秒ほど心の中で数える。
「……悪かったね」
俺がそう言うと、ロッジモンドが出て行った方とは違う扉から、ミミを抱き抱えたルフェルニが入って来る。
コウモリ(見た目はレッサーパンダに羽が生えた様なヌイグルミだが)のミミは、俺の生身のミイラフェイスにこの世の終わりみたいな顔を浮かべている。大変失礼なヌイグルミだ。あとでミイラ・ザ・ハンドで腹を撫で回してくれよう。
「君が居ることを隠す必要はないんだが、今の話を聞いての通り、かなり拗れそうだったんでね」
「いえ。その、ロッジモンド氏も立場が微妙ですから…」
「知っている。派遣領主の辛いところだな。王国側から探りを入れるようにとでも言われてるんだろう」
「ご存知でしたか。今は元老院と諸貴族の間で板挟み状態で…」
「ゼロサム王側に付くか、国家転覆側に付くか、本人も決定打がなくて悩んでいるんだろう。根っからの日和見主義だからな」
ロッジモンドは元々クルシァンの人間だ。それがギアナードで領主になるということは、かなり上手い立ち回りをしなければならなかっただろう。
「ロッジモンドに正体を明かしたのは俺のミスだったかもな。もっと慎重な男だと思っていた。少しでも君の助けになればと思ったんだが…」
「いえ、サーフィン村の今後を考えるならば、都市長との連携は不可欠です。それに遅かれ早かれ、私たちがこの村に訪れ続ければ気付かれたかと」
それもあるな。ルフェルニたちが来れば嫌でも目立つ。
「面倒な話だよ。いっそのこと、サーフィン村がサルミュリューク領だったら何も悩むことはないんだがね。いっそのこと、村ごと移転したいくらいだ」
「カダベル殿がそうお望みとあれば」
わずかな逡巡もなくそう言われ、俺は少し驚く。ルフェルニの顔が真剣なのが怖い。
「…冗談だよ。真に受けないでくれ」
「そうなんですか?」
なんでそんなに残念そうなんだよ。
そもそもサーフィン村の連中が、移住なんて選択を受け入れられるはずもない。
「しかし、ロッジモンド氏はカダベル殿を…屍従王の存在を明らかにしてどのようにするつもりなんでしょう?」
「存在を仄かに示し、後はこっちでやるって件ね」
ルフェルニは首肯する。
「さてね。ただ屍従王の情報は切り札になり得る。ゼロサム王への脅しにするか、民衆支持を得るための後ろ盾にするか…なんか上手く利用できる算段があるんだろう」
あの発言からは色々と読み取れる。
屍従王は利用したいが、自分たちでやるってことは、俺が勝手に動くのは困るって意味でもあるだろう。
「…ところで、ルフェルニはどう考えている?」
「私も、正直なところを言えば…カダベル殿に表舞台に出て来て頂きたいと思ってます」
俺がルフェルニに顔を向けると、少しバツが悪そうにする。
「…ミューンも同じ考えのようです」
「ミューンが?」
「ええ。カダベル殿と魔法談義をするのに、毎度のようにグリルダラクからお忍びでやって来るのは大変だと」
グリルダラクはミューンが治める領地だが、インペリアー西部に位置するディカッター領であるサルミュリューク、さらに先のイスカの最西部バンモミル、シャムシュの北部スモーワランド。そのちょうど間に位置しており、これらの領地よりもさらに奥まったところなので、距離で言えば東北にあるイルミナードからは最も離れている。
「ああ。そういうことか…。ミューンらしいな」
「ええ。ロッジモンド氏のように、カダベル殿を広告塔としたいわけではありません。本当に要人として…」
「そう上手くいくか? おだてられてノコノコ出て行った挙げ句、首を落とされるなんて勘弁だ」
俺は自分の枯れ木のような首に手刀を当てる。
「それはないかと。民衆の支持を得ているのは事実ですし」
「支持に応えられなかったら、それはすぐに反感に変わるだけさ。
それに他に王を名乗る者が現れたら、今の王であるゼロサムはどうなる? 王がふたりになるぞ。それこそ権力闘争が大好きな連中の思うツボだろ」
「かつて領主が王を名乗ることもあった様です。そしてそんな領主たちをまとめられる王が…」
「皇帝と呼ばれたか…」
ルフェルニは頷く。
「それにここだけの話ですが、ゼロサム王自身が退位を望んでいるのです」
「はあ? なんでまた?」
「元々、権力や政事には向かないと自覚されてはいたので…。魔女がいなくなって、さらに自分の立場を考えるようになった結果だと思います」
「ふーん。飾りとしちゃ完璧だったんだがな。魔女という存在のバックボーンはやはり大きかったか」
野心のある連中は、王の下で、魔女に無理やり力で頭を押さえつけられていたんだからな。
「…しかし、それでも無理な話だな。俺は貴族でもないし、ギアナードの支配者階級には立てん」
「カダベル殿は爵位をお持ちでは?」
「クルシァンでは持っていた。ギアナードに移り住んだ時…いや、それ以前に死んでるんだから、とうの昔に返上している」
ルフェルニは難しい顔をして少し考え込む。
「…それならば、ギアナードの貴族階級にいる者と懇意になればいいのではないでしょうか」
「懇意?」
「ええ。た、例えば婿入りして、家督を継げば…」
「? 死後継承なんだろう? 家督は継げたとしても、爵位まではすぐには動かせないんじゃないの?」
「いえ、ギアナードでは爵位の生前移譲が認められています。特にヴァンパイアなどは正当血統があるので、そういう面では優遇される措置が為されているのです」
「それは知らなかった。…そうか。クルシァンとは当然違うよな」
「ええ。ですから、是非とも…わ、私と婚姻して頂ければと…」
「ルフェルニと婚姻? なんで?」
「な、なんで…って…」
俺が首を傾げると、ルフェルニは顔を赤くしたまま石のように固まっている。
「俺が君の伯爵位を貰っても意味がないよ。君が動きにくくなるだけだ。デメリットの方が大きい」
「そんな……。け、結婚……」
「屍従王の代わりに引退なんてさせんよ。ディカッター伯にはまだまだ活躍してもらわんとな」
俺がそう言うと、ルフェルニはなぜか顔を覆ってしまった。そんなに引退したかったのかねぇ。ま、王の相談役ともなれば気苦労も多いだろうしな。
ミミはやっぱりこの世の終わりみたいな顔をして、「ルフェさまがミイラと…実現したら地獄だミュー」とか言っている。後で尻尾ワチャクチャの刑だな。
「……あー、貴族でないこともそうなんだが、俺にはそれ以前の問題がある。それが何かわかるかい?」
俺はゴライとメガボンを見やるが、ふたりは自分に振られるとは思ってなかったのかキョトンとしている。
「俺は死者だ。干からびたミイラだ。そんな者が生者の上に立つのは間違っている」
ルフェルニが不満そうな顔で口を開きかけたのを片手を上げて止める。
「外交的な問題もある。聖騎士どもが、屍従王の存在を知ったらただでは済まないだろう。ましてやギアナードが大手を振って、死者の台頭を赦したら…それこそ国家間規模の問題になりかねない」
「そこまでになるでしょうか?」
種族差に寛容なヴァンパイアであるルフェルニがピンとこないのも無理はないか。
「忘れちゃいけないのは、今までギアナードが他国と何事もなかった理由だ。これは魔女ジュエルという強大な抑止力があったことが大きい。
クルシァンからすれば、ギアナードそのものは取るに足らない弱小国だ。積極的に攻める理由がないというだけで、今の状態だと逆に攻め込まない理由もない」
ルフェルニに危機感がないとは責められない。魔女ジュエルは数百年に渡って存在して来たのだからして。
むしろ、他国の魔女を強く警戒していたクルシァンの方が何歩も先を行っていると言えるだろう。
恐らく、その国家の裏側にいるであろう魔女の考え方の違いによるものも大きいのだろうが。
「ですが、カダベル殿はインペリアーで聖騎士たちを退けたじゃありませんか…今回も同じようにしては…」
「退けた?」
「ええ。聖騎士団に古いツテがあると…」
「あー。それ、失敗したんだけどね」
ルフェルニには話してなかったっけ。危うく、俺の首はハネられるところだったんだけど。
「そうなんですか?」
団長が、総団長からの停戦命令を破るとは思わなかったからね。
「いずれにせよ、その手ももう使えない。あれは本当に最後の切り札だったんだよ。ソリテール家にもうそんなコネも力も財もない」
そもそも俺が何かしたと言うより、聖騎士たちが本当の意味で退いたのは、屍従王と魔女が協力関係にない上で共倒れになった部分が大きいだろう。
団長サトゥーザ自身は顔に泥を塗られた気分だろうが、魔女と屍従王が力を失い、ソリテール家の破産に加え、朱羽老人という厄介者まで消えて、聖教会にとっては踊って喜ぶような僥倖だったはずだ。
「それにクルシァンに潜む魔女がどう動くかもわからんしね」
「…魔女と敵対関係にある聖教示国に、本当に魔女がいるのですか?」
「その疑問は最もだ。最初、俺も同じ事を思ったが、ジュエルとは違った形で姿を隠しているなら可能性はあるだろう」
「それは王の裏に隠れる、そういう黒幕とは違ったやり方という意味ですか?」
「ああ。そもそもジュエルは黒幕と言っても存在を隠しきれていない。酷く稚拙で雑だったしな」
頭に血が上ったら、直接戦闘禁止という禁則すら破ってしまうくらいだ。ジュエルは影の支配者というタイプではない。
「他の魔女はもっと狡猾だと考えてていいだろう。実際、話に出てくるのは火磔刑の魔女くらいだが、それにしても噂だけで、わかってるのは信奉の対象とされているってことくらいだ。後はニルヴァ魔法兵団ってヤツを使役してることか」
「そうですね。そのジュエルにしても、地没刑の魔女…という名前自体、ギアナードですら知られていませんでした」
まあ、ジュエルは王族や領主以外は、自分の名前を知った奴は直接処分してきただろうしな。領主たちも自ら悪行がバレないよう加担していたヤツらだって少ならずいるだろう。
「案外、聖教会の上層部にしれっと名を連ねていたりしてな」
「ギアナードで言うところの大臣…クルシァンだと、八翼神官や聖騎士団長が怪しいということですね」
「八翼神官とやらは、俺が居た時代にはいなかったから知らんが…。少なくともサトゥーザや総団長が魔女である線はないと思うな」
「確か総団長と顔馴染みなんでしたっけ…。ツテと仰られてたのはその方ですよね?」
「まあね。俺と同い年の…あれ? ということは、100歳は軽く越えてるよな。それで名誉職だろうとはいえ、まだ騎士団やってんのか。すげぇな」
「え? ヒューマンなんですよね?」
「うん? たぶんそうだったと思うが…」
元カダベルの記憶は頼りない。魔法関係は全部きちんと覚えているのに、幼馴染の記憶なんて、思いっ切り顔を引っ叩かれたって思い出くらいしかない。興味が無いにしても程がある。
「……ま、屍従王が姿を現さん限り、クルシァン側も何もやりようがないってことさ」
「なら、ロッジモンド氏の提案は…」
「彼には申し訳ないが、うまく躱すさ。仮にゼロサム王が失脚したとしても、それはこの国の運命だろう。そうさせないために…」
「私たちが居るからですね」
ルフェルニがそう言うのに、俺は頷く。
そうだ。生者の国は生者が治めるべきだ。そして魔女という枷がなくなった今こそ、自分たちで試行錯誤して国を築く必要がある。
「屍従王の役割はもう終わったんだ。クルシァンには警戒しなければならないが、近々に動くような事は…」
そこまで言って、玄関に何者が叫びながら走って来るのを俺の耳が捉える。
「カダベル様! 一大事です! クルシァンからの使者が来ました!」
「……うそぉ」




