007 我が命尽きる時…
今までは外に出るなどということは滅多になかったが、最近は朝方ぐるっと屋敷の周りを歩くことが多くなった。
たまにあの『S・A・W・T・S』のDO60610世界の出張所を見に行くのだが、相変わらず留守のままだ。
不動産関係にも当たってみたが、架空名義の幽霊商社が以前に入っていたくらいで、異世界からのサービスを行っていた会社は存在していなかった。
地球のことを説明をする俺を、気の毒な老人と憐れむ相手の顔を思い出すだけで悲しくなってくる。
屋敷の周りをグルリと周り、殺風景だった壁面の側に植えた花の種に水をやる。
こういう時に魔法はとても便利だ。わざわざ水をジョウロに汲む必要もない。
【流水】を使うと、俺を中心とした半径500メートル以内の水源から水を移動させることができる。しかもそれが泥水でも、濾過して飲料にもなる真水にすることができるのだ。
水やりを終えると、中庭で栽培しているキノコやイチゴを見に行く。
こいつらは水をやりすぎると腐るので、ほどほどでいい。
立て掛けた丸太に生えるキノコはシイタケそっくりだが、色は傘も石づきも真っ黒で、味はほんのり甘みがあって食感もいい。確か“クロイマ”とかいう名前だったと思ったが、カダベルはキノコの種類などには興味がなかったのでそこはどうも曖昧だ。
イチゴは地球の物とは全然異なり、そもそも大木なんじゃないかというほど幹が太い。そこに柳のようなツルが延びて実が成る。これは“カタイチゴ”という種類なのだが、硬いのは支柱もなしに真っ直ぐ自立しているこの幹のことを示している。
これが春夏秋冬関係なしに実を成らせ、しかも生育スピードが早く、しかも大量に実が成るので食べる方が追いつかないほどだ。
カダベルは食べ切れない分は棄てていたようだが、道貞は大好きな甘味を棄てるのはとんでもないと、できるだけすべてを採ってジャムなどにしている。
赤ピンク色の実は熱すると砂糖を使わなくとも充分に甘みが増す。なぜか表面に種のようなものが少しもなく、ツルリとしているのでそのまま潰して煮込めばそれだけで滑らかなジャムになる。
たまに黒パンに挟んで食べるが、それは最高の味だ。いくらでも食べられるが、弱った胃腸では控えないと後で後悔することになる。
朝の短い散歩を終えると、自室へと戻る。
その際に見かけるのはホウキ頭だ。頭の毛ばたきを揺らし、その逞しい手にもホウキを持ってる。
うん。ジャンプをすれば天井のススも払えそうだ。
「おかえりなさいマッセ! ご主人サマ!」
ああ、これがカワイイ系のメイドとかならば安らぎを覚えたのだろう。
しかし、目の前にいるのはゾンビだ。青白いを通り越して紫色の顔をしたモンスターだ。
声だけはなぜが裏返って甲高い。上手く直せなかったので、そのままにしておいたのは失敗だったかもしれない。
「ゴライよ。掃除は終わったかね?」
「ハイ! ピッカピカにしマッセ!」
輝く瞳…そうは言ってもゾンビなので白濁としているのだが、心情的には少女マンガの登場人物のようにキラキラとさせているのだろう。
「そうか。ご苦労さん。…それで今日はどの絵本で勉強するんだい?」
「ハイ! ホンジツは『王様と乞食とオクトパス』でマッセ!」
ホウキを脇に置くと、シャツをめくりあげ、ズボンのゴムに挟んであった本を嬉しそうに持ち上げる。
「そうか…。王様が身分を捨て去り、友人のタコを犠牲にし、タコ焼き屋を開業するところは泣ける場面だな。よく読むといい」
「ハイッセ!」
絵本は俺が【筆記】で書いた適当創作だ。
絵は魔法ではどうにもならないので、棒人間ばかりだが、内容は道徳的な教訓を含んだ物に仕上げてある。
今のゴライの知能は5歳から7歳程度だろう。
生前の記憶は幾つか残そうと思ったのだが、どうにも無理だったらしい。まったくといっていいほど、生前のことを覚えていなかった。
まあ、悪人要素は消えたようだし、それなら悪事の記憶自体が消えてしまったのは良かったのだろうが…。
しかし、かといって、このままにして置く訳にもいかないので、子供に教えるようにイチから学ばせることにしたのである。
脳味噌がない時点でどう記憶しているのか、成長が見込めるのかどうかもわからない。
会話が成り立つことから、新たなことの記憶はできるようだが、しかし機能していないはずの肉体でそもそもどうやって動いているのか、また源核からの情報をどのように処理しているのか…疑問は山ほどあったが、とりあえず動いているのは動いているし、俺に危害を加えるわけでもないのだから「まあ、いいや」と捨て置いている。
そう。それだけ魔法…いや、その先にある源術というのは深淵なものなのだ。
それらが簡単にわかってしまっては、俺が神になってしまいかねないじゃないか。
「…俺は研究に入る。何か困ったことがあったら声をかけるがいい」
「わかりマッセ!」
ゴライの俺への信頼は厚い。幼子が親を慕うように、まだ年月は短いが、それでも良好な主従関係は着実に構築されていた。
俺が主人であることは書き込んだが、すべて従うようにまでは書き換えてはいない。
彼は元極悪人で屍体ではあるが、それでもロボットのような奴隷にするのは俺の望むところではない。
いま見ているゴライの人格は、彼が持つ本来の性格なのか、はたまた俺が源核に働きかけた作用によるものなのか…現段階で何も判明していない。
いずれにせよ、ゴライを不自然な形で生者の世界に留めたのは俺の責任であることには変わりないだろう。
「…ゴライ。聞いてもいいか?」
「ハイッセ!」
「……今お前は幸せかい?」
「ハイ! ご主人サマ! ゴライは幸せデッセ!!」
ふむ。これが本心なのか、または俺が作り上げてしまった偽りのものなのかがわからない。
だが、ゾンビとして生きていても日々を充実できているのならば幸せと言えるんじゃないだろうか。
この屋敷の中でゴライは生き生き…いや、死んでいるんだが、生活している。掃除をし、絵本を読み、小鳥たちと交わり、俺と会話する。
新しいことに触れるたび、ゴライが楽しそうにしているのは人生を謳歌しているからじゃないだろうか。
生きている間、ゴライはひどく孤独で惨めな感情を心の奥底に抱いていた。
その事実を自分で認められないからこそ、酒に逃げ、暴力で問題を解決しようとしてきた。
暴力で人を従えるのは一瞬は気持ちがいい。しかしながら、そうすることで自分の周りから人々が去っていってしまうことに、ゴライは心の奥底で気づいていたハズだ。
気づいてはいたが認められない…そんな人間はゴライだけではない。だから、ゴライは根からの悪人ではないはすだと俺はそう思う。
自室へと入る。そして老眼鏡をかけ直し、途中まで読み進めていた魔法書に眼を落とす。
すでにこの家の本はすべて読み終えている。再読するのは新たな発見をするためだ。
だた死に行くだけの俺に目標ができた。
それはゴライの今後の事を考えてやることだ。
ゾンビが浸透していないこの世界で、どうやったらゴライが平穏な暮らしを送れようになるか…。
俺のかけた魔法が消え、その肉体が消失する時まで、彼が幸せに過ごすための道を備えてやる。
それが、俺の最期に果たすべきことだろう。
最初、ゴライに対して厄介者以外に何も思うところはなかった。
だが、同じ屋根の下で共に生活しているうちに愛着のようなものが生じていたのだ。
見た目はアレだが、中身は子供のようなものだ。
ましてや自分を慕ってくるのであれば、可愛いとまでは思わなかったとしても、ちょっとした面倒ぐらいはみてやろうという気になる。
「魔法を作り出した賢者のことがもっとわかれば…」
この魔法書に何かのヒントが隠れているはずだ。
源術とはこの世界の仕組みそのもの。それに意図的に干渉し、現実に変化を生じさせることが目的で魔法が作られたと考えるのが自然だろう。
ならば逆に魔法を通して、源術…この世界の仕組みそのものに触れることも可能なはずだ。
ゾンビ・ゴライを作って確信した。それは今俺が識る魔法以上の物を生み出せる可能性があるということだ。
今の俺では魔法を組み合わせて使える範囲を広げる程度しかできない。
しかし、もし魔法そのものを作ることが可能ならば、いや、さらに言えば源術そのものが操れるようになれば…もっとより多くのことができるのではないだろうか。
それこそ例えば、“ゾンビのゴライを生者の形に戻す”…そんな奇跡のような“魔法”を生み出すことすらも可能かも知れない。
源術については、魔法を通して考察する他ないが、魔法についてさらに精通すれば、少なくとも賢者の領域には徐々にであっても近づけるはずだ。
そして、魔法のランクについても知りたかった。
魔法を何をどういう基準でランク分けしているのか。
また俺ことカダベル・ソリテールは、100個もの魔法を習得したのに、なぜランク1までの物しか使えないのか。
謎を解き明かしたいと思うのは、カダベル・ソリテールの探求欲なのか、それとも森脇道貞の好奇心なのか…そんなものは最早どうでも良くなっていた。
魔法書を端から端まで読み、気づいた点や考察などを【筆記】で日記に書き込む。
いつ終わるとも知れない長い研究だ。だが、そんな日々に俺は満足感を覚えていた。
「せめて、ゴライをどこか誰にも見つからないような場所に…ゴホッ! ゴホッゴホッ!!」
口に手を当てて咳き込む。胸の奥が灼けるように熱い。
「…おいおい。まじか…。くそっ…たれ」
手にべっとりとついた血を見て、俺は悪態をつく。
肺がうまく動いていない。
上手く呼吸ができなくて苦しい。
「……ちきしょう。これからだ。これからなのに。少しは、この、世界が、面白い、と…思えてきたのにッ」
【牽引】で杖を引っ張ろうとして失敗し、そのまま椅子から滑り落ちて派手に転げる。
「俺は…死ぬ…のか。こんなところで……異動までして……」
こんな酷い話があるだろうか。異世界に行った話は山ほどあるが、異動した先で寿命が尽きてそのまま死ぬだなんて、物語にも何にもなりはしないじゃないか。
「く、薬…」
俺は這いつくばりながら、棚を目指して進む。
聖神殿の神官からもらった気休めの鎮静剤があるはずだ。それがあれば取り敢えず痛みは治まる。
ああ、ここは魔法の世界だろうに。それなのに、なんでまともな治癒魔法がランク1にはないんだ……
「ご主人サマ!!」
あ。ゴライか…
そうか。俺が倒れた音に気付いて……
──
目を覚ますと、眼の前にゴライの心配そうな顔があった。
目覚め一番に見たい顔ではないが、俺がベッドに横になっていることから、俺が意識を失っている間に彼が運んでくれたようだ。
どうにも体調は優れないままだ。だが、不思議と焦りや不安というものは消えていた。
ああ。本当に終わりが近くなり、覚悟が決まったということなのだろう。
「ご主人サマ。死んじゃイヤデッセ!!」
ゾンビに死ぬなと言われるのは実に奇妙な感じだ。
ゴライの泣きそうな顔…だが、泣けないのは涙腺が働いていないからだ。もし涙を流せたら号泣していることだろう。
俺は考える。いや、だいぶ前から考えていた。もし俺が心半ばで倒れたら、ゴライをどうしてやるのが最善なのかについてだ。
本当は俺が何かしら準備してやるのが一番だったが、そうできなかった時のためのプランBだ。このBはBetterのBだ。
こんなにも寿命が早く尽きるとは思ってはいなかったが仕方ないだろう。
寿命が予測できる魔法みたいなのがあれば便利なのだろうが、そんな魔法みたいな便利なものはないのだ。
…ん? なんかおかしいことを思ったようだが、どうやら意識が混濁しつつあるようだな。
「……ゴライよ。よく聞け」
「ハイデッセ…」
「まだ完成していない絵本の話で、『赤鬼と青鬼とサーフィンボード』というのがある…」
「“さーふぃんぼーど”とはなんデッセ?」
「…いい質問だ。あれは海のモテアイテムだ。波に乗るのと同時に女の子にも乗るのだ」
「“もて”アイテム?」
「そうだ。赤鬼は日焼けした熟練サーファーだ。そいつは高慢チキな嫌な性格にして、三度の飯より乱暴が大好き、女の子も大好き。日めくりカレンダーの如くナンパしては、とっかえひっかえしていた、とんでもない男だった…そして、夏の浜辺を独占していた」
ゴライは真剣な顔で頷く。
「…対して、青鬼は貧弱な気の弱いモヤシだった。しかも運動音痴の彼は、サーフィンボードに乗れなかったのだ。岩陰に隠れ、波打ち際で砂山を作るのが日課だった」
咳き込むのを堪えて、俺は語り続ける。
「この青鬼は、サーフィンできないことを赤鬼にイジられていたし、女の子たちにモテることはなかった…つまり非モテ男だったのだ」
「…おお」
「…しかし、青鬼は心優しく、人当たりがよかったので、海の家のアルバイターとなった」
「…“あるばいたー”?」
「うむ。そして、自腹を切って、女の子たちにヤキソバやカキ氷を貢ぐ…いや、奢ったりすることで、地道にポイントを稼いで好感度を増していった。
やがて、そんな遠回りな戦略が功を奏する…」
「…おお…」
「仲良くなった海の家の皆と協力し、高慢チキな赤鬼を浜辺から追い払うことに成功したのだ」
「おおおおッ!!」
「それからの青鬼はモテモテに変身した。モテアイテムが無くとも、努力すればモテモテになれたのだ。女の子の気持ちを察して、優しくすることがモテの王道だったのだ。めでたしめでたし…と、そんな話なのだよ」
「“アオオニ”、スゲぇデッセ!!!」
「…そうだろう。そして、この話の教訓は、見た目がどんなでも、心が綺麗で気配りさえできれば、皆が良くしてくれるということにある」
言っていて胸が苦しくなる。…2つの意味で、だ。ひとつはもちろん現在、死に瀕しての痛み。
もうひとつ…森脇道貞は見てくれが悪かったことだ。
だが、人に優しくしてきたかと言われればそんなことはない。
見た目も悪く、心も汚いだなんて救いようがないじゃないか…。だから騙されてこんな目に遭ったんだな。
まったく自業自得だよ。
ああ、それにそうか。見た目が悪いという共通点があったからこそ、俺はゴライをなんとかしてやりたいと思ったのか…なるほど。そこに今になって気づくとはな。
「……ゴライ。お前はどんな形であれ、俺がこの世界に創り出した唯一の存在だ。だから、そのことを誇れ…ゴホッ!!」
「ご主人サマ!!」
口の端から血が垂れる。
心臓の音が弱っているのが自分でわかる。手足の感覚が無くなりつつあった。
「…ゴライ。周囲の人々に良くしてやるんだ。力の限り守り、助けてやるんだ。そうすれば、皆もお前にも良くしてくれるようになる。
…時間はかかるかも知れんがね。青鬼のように…必ずだ」
「で、でも、ゴライは…この屋敷から出たことがないデッセ!」
「大丈夫だ。お前は生きている時、元気に外で暴れ……遊んでいた。多くの者たちとな。だから、今のお前でもできる」
「ご主人サマ…」
「生きよ。…いや、もう死んでいるんだが、細かいことはいい。末永く存続し、俺ことカダベル・ソリテールが生きた証となれ…」
意識が遠のいていく。
ゴライの手が俺の手を握りしめる。それは冷たかった。死ぬ瞬間くらい温かい手で包まれたいものだが、それでも誰かに死を看取られるというのは悪い気はしない。
「…さらばだ」
俺はそう呟いた。
それは誰かに対してのものだったのか。
ゴライか、世界へか、カダベル・ソリテールへか…
それとも、森脇道貞に対してか…
そんな疑問は闇へと吸い込まれるように消えていってしまう…。
ゴライが何か叫んでいるが、もう何も聞こえない…
眠りより深いところへ誘われている気がする……
──これが死か──
何者も抗えぬ世界の理。
だが、本当にそうなのか?
俺は一瞬だけ考える…
俺は源核に働きかけてゴライを甦らせた。
源核に働きかけるには、対象者は死んでいなけばならない。
ならば、死に逝く今の俺にならば“魔法”を使えば……あるいは……
──【解析】──




